(12月4日)
・東西南北の覚え方が話題になってましたが、
私がむかし方角を習ったとき、
どーしても正しく覚えることができず、とうとう、
「時計回りに東南西北(トンナンシャーペー)」
と覚えました。
そう、両親が麻雀好きだったものですから
耳に入っていたのでしょうね。
じつは今でも地図や間取り図をみるときは、
こころの中で「とんなん……」とやってます。
ではでは失礼します。
(札幌市・MJ)
・印象深いものは子どもの頃に見た夢。
大きな工場が2軒並んで建っていて、
その真ん中の狭い空き地にたった一つのベンチ。
そしてベンチの前には一輪の野草。
ピンクの可憐な花でした。
その花がどっちの工場のものかという
争いが発展して、
戦争のようになってしまうのですが、
私はその花の前のベンチにぽつんと一人で座り、
ただオロオロしているというものでした。
花も守りたいし、戦争も怖いし、
自分はなにもできないし。
目が醒めたら泣いてました。
かわいかったなぁ、自分(笑)。
あと乗り込んだエレベーターが
全面ガラス張りの水族館のようになっていて、
きれいな魚がいっぱい泳いでいる夢は
今でもよく見ます。これが私にはめちゃめちゃ怖い。
たぶん前世は水死したんだと思います。
(あゆ)
・わたしが小学生の時にみた悪夢です。
住宅街を何かから逃げていました。
ふと見るとガレージにT字のブロックをおいて
授業をしてる家がありました。
その1番前に積み木で組んだ
ブロックに並んでるふたり組が。
ひとりはキャンディ×2のような女の子。
もうひとりは子どものジェイソン。
その積み木を崩し、彼を怒らせたあたいは
『僕タローくん』と斜め上に吹き出しを付けた
子ジェイソンに住宅街を追いかけられました。
おお怖い!
(もとあき/23歳)
・小さい時、熱を出すとよく見る景色がありました。
その頃は実家の二階に部屋があったのですが、
階段を上がる時、海に沈む太陽が見えました。
その太陽は紫色に輝き異様なほど
美しかったのを覚えています。
それだけならいいのですが、私の頭の中では
「あの太陽が沈む時、死んじゃうんだ」とか、
「あの太陽の所に行かないと……」なんて、もう
自分は終わりのようなことばかり考えてました。
それで太陽の所に行こうと思い、
階段を昇ろうと思っても
一向に前に進む事もできずにもがいてました。
ある時、高熱で同じ景色を見ながら
フワフワしていたら
ホントに飛んでいったことがあります。
着地したのは勿論、階段の下です。
痛みはありません。
その後、母に病院に連れて行かれ、
頭のレントゲンを撮ったのを覚えています。
それより前に病院に連れて行って欲しかったです。
(智人)
・トラウマっぽいのですが
フルマラソンをする夢をよく見ます。
子供の頃には小→中→高校とマラソン大会が毎年あり、
しかも何度も練習するのが
イヤでイヤで仕方がなかったです。
先生方は、時間がかかってもゴールしろと言い、
絶対にリタイアさせません。
小学生の頃近くの林に
『からすうり』と呼ばれる細長い実があって、
コレをふくらはぎに塗ると
足が速くなるという噂があり、
子供心にも嘘っぽい!とは思いつつ、
マラソン大会当日、
誰にも見つからないように塗りました。
勿論効果はなく、しかもかゆくなってしまいましたが。
大人になってマラソン大会にでなくてもよくなったのに、
テレビや新聞でマラソンの事が話題になるこの季節、
苦しくて泣きながら
マラソンをする夢を見てしまうんです。
試合前に『からすうり』を
ふくらはぎになすりつけてスタート。
でも42.195キロもあるので
ゴールした事は一度もなく、
やっぱりリタイアはさせてもらえない・・・
日常で極力マラソン情報は避けたいのですが、
人気選手の方ががんばっているのでそれも難しいです。
(おかし)
・私たちの部屋は2階にあって結構急な階段なので、
5人いる子供たちは例外なくみんな1回は落ちました。
その中で今でも語り草になっているのは長男で、
私たちが下で見守る中、
まんまるいボールのようになって
ぼん、ぼん、とはずんで落ちてきました。
さすが!子供は素直に無駄な抵抗をしないので、
自然に身体を守った形で落ちるのだな〜と、
あ〜〜、と叫びながらもなにもできず、
感心しながら見ていました。
そして圧巻は最後、まるくなったまま
弟の腕の中にすっぽり収まりました。
ほんとに人間ボールそのものだったんです。
(emma)
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(ミニコメント)
今日は、「子どもの頃の悪夢」という、
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中心に、おとどけしましたよー!!!
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