KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(1月31日)

・小学校一年のとき、
 急に家出というものをしたくなって
 家を飛び出したことがあります。
 本格的に置手紙も残していきました。
 家出先が近所の友だちの家だったので
 一時間たらずで見つかってしまったんですが、
 迎えに来た母をはじめ
 家族みんなに大爆笑されました。
 どこでそんなことを覚えたのか、
 私は置手紙に
 「おとうさん、おかあさん、
  さきだつふこうをおゆるしください」
 と書いたのです。
 十五年以上たった今でも
 そのことで家族にからかわれています。
 (けい)

・中学生の頃、ニューエイジ系の本に、
 「10年後の自分宛に手紙を書くと、願いが叶う」
 と書いてあったのを真に受けて、
 14歳の私は、24歳の私に手紙を書きました。
 「私はジャッキー・チェンのお嫁さんになる。
  私はジャッキーと結婚する」・・・!
 (サンフラン)

・私は海援隊の「贈る言葉」を聞く母の傍で、
 恐怖漫画を読んでしまい、
 「贈る言葉」嫌いになりました。
 あのイントロが流れるたびに、
 恐怖漫画の怖いシーンがリンクしたように
 目の前に浮かび、泣きそうになっていました。
 (イチゴ)

・小学校高学年の頃、田舎の親戚の家に行った時、
 本棚にあった一冊の本。
 忘れもしない書名は「一, 二, 三―死」
 かなり難しそうな文庫本だったにも関わらず、
 なぜか、私はその本を手にとってしまったのです。
 そして目次を見ると、最終章が
 「石の牢屋で世を終える」と・・・。
 恐ろしくて、その日から毎晩、不眠症になりました。
 「私も石の牢屋で世を終えるかも…」って。
 いまとなれば、牢屋に入るような
 そんなやましいことをしていた記憶もなく、
 なにが恐ろしいのかまったくもって不明ですが…。
 この本、いま思えばタイトルからして恐ろしいのですが、
 当時はひたすら、「石の牢屋」が
 気になって仕方がありませんでした。
 (京都人)

・高校に入って始めての合唱コンクールのときのこと。
 指揮者に指名された私は、
 練習の中心になっていたのですが
 あまりに言うことを聞いてくれない男子に
 突如としてキレて、
 「てめぇーら、いいかげんにしろー!」
 と怒鳴ってしまったことがありました。
 その一瞬後、またそれまでと変わらず、
 にこやかに練習を続けたのが実に効果的だったとか。
 ・・・ああ、冷静沈着、温厚篤実で通していたのに。
 (椿)

・両親は、妹を叱る時に、
 「言うこと聞かないと、ちりがみ交換呼ぶよ!」
 という一言で、おとなしくさせていました。
 新聞紙と一緒に連れて行かれると思っていたみたい。
 (P太)

・コワイといえば幼稚園のころ、
 「オレたちひょうきん族」の
 懺悔のコーナーが本当に怖かったです。
 あの生きてるのか死んでるのかわからない
 真っ白なキリスト様(?)の顔はもちろんのこと、
 バツを出されてゲストが水をかぶるまでの、
 あの独特の間が耐えられませんでした。
 だいたいの人が水をかぶるであろうことが
 予想できるのですが、それでも
 爆発何秒前みたいな嫌なドキドキ感は
 今でもはっきり思い出せます。
 (ムヂカ)

・私が住んでいた家の近くには川があったのですが、
 おじいちゃんにいつも
 「この中にはピラニアがいて、
  食べられてしまうんだよ」と聞かされていました。
 そしてある日、弟が川に入ろうとしているのを発見!
 弟が食べられると思った私は、
 号泣して、川のまわりにいたみんなに、
 助けを求めました。
 まわりの人は笑って相手にしてくれず、
 死んでしまうかもしれないのに、
 なんという人達だと
 さらに泣いてえらい騒ぎになったようです。
 (匿名希望)

(ミニコメント)


子どもの頃によくありがちな経験、
どれも、じっくりと、読んでいましたよ!
ピラニアとジャッキーチェンが好きだなぁ。

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2004-01-31-SAT

 

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