(2月16日)
・小学校卒業記念の文集で。
活字ではなく
自筆のペン書きが印刷されるということで
皆はりきっていました。
「楽しかった修学旅行」とか
「六年間の思い出」など級友たちは
小学校生活にちなんだ作文を載せていたのに、
なぜか私だけ「読書感想文」を堂々と載せていました。
なんかおかしいと気づいたのは
随分後になってからでした。
今でも差し替えてほしいと思っています。
読んだ本は小川未明の「殿さまの茶碗」で、
茶碗のイラストつきでした。
(匿名希望)
・学校の帰り道、
窓ガラスに黒いシートを張って
中が見えないようにしている
ワンボックス車を見ると、
誘拐された人が閉じ込められてるかも!と
思って、目が離せませんでした。
そうして、走り去ろうとする一瞬の間に
必死でナンバープレートを記憶する私!
忘れないように繰り返し、繰り返し
つぶやきながら帰るにもかかわらず、
家に辿り着いたらもう、
怪しい車のことなんて
すっかり忘れているのでした。
(RYO)
・わたしが子どもの頃にコワかったのは
『モールス信号』の音です。
確か「海難事故を防ぐために」という
NHKの短い情報番組が毎日のようにあり、
その音が聞こえるたびに怯えていました。
父が若い頃モールスの技術者だったらしいので、
子供心にも「お父さんを傷つけちゃいけない」と思い
必死に平静を装っていました。
実際のところ、今でも非常に怖い音です。
とても一人では聞けません。
(ももたん)
・小さいころ(確か幼稚園くらい)心配性だった私は、
家族の中で最後まで寝つけない子どもでした。
眠れずに一人で布団の中でモジモジしていると、
どこからか「カツーン、カツーン」と、
やけに規則正しい音が聞こえて来るではありませんか!
想像を逞しくした私は、近所にある歩道橋を
殺人鬼が凶器を持って気配を消しながら、
ゆっくり降りて来ている様子をイメージしてしまいました。
どうしよう!自分は気付いているけど、
お父さん、お母さん、弟を全員助けるのは無理だー!
逃げられーん!と深夜まで怯え、
息を潜めて殺人鬼をやり過ごしていました。
小学生になって、その音は父親のイビキと知りました。
ある時「カツーン、カツーン、…ぐがっ!」と
なったのを初めて聞いたからです。
音の恐怖に耐えていたので、
布団の中で安堵して涙が出たのを覚えています。
(はろうぃん)
・小学校1年生のとき、給食の時に
「私の夢」を放送することになりました。
一人一人がそれぞれの夢をテープに吹き込みました。
私も「○○(なまえ)、お嫁さんになりたいです」と
テープに吹き込みました。
放送当日、生まれて始めて
メディア(校内放送ですが)に自分が出ることに
クラス中が興奮状態で、
給食そっちのけで放送を聴きました。
いよいよ自分の番になり、
「○○、お嫁さんに...」という声を聞いて愕然。
低くてドスのきいた、
1年生の女の子とは思えない声だったのです。
「○○、男みてー!」
という言葉がさらにショックを深めました。
「こんな声の子は、夢はお嫁さんなんて
言っちゃいけない」とそれから
「お嫁さんになる」夢は封印されました。
けど、大学卒業後1年目で結婚したので、
夢はかなってしまいました。
(匿名希望)
・子どもの頃、犬と猫の区別が分かりませんでした。
子ども心に、犬と猫が結婚して子供ができたとき、
雄なら犬、雌なら猫と
呼ばれるものだとばっかり思っていました。
幼稚園の頃ですが、今でも酒の席で言われます。
(やっち)
・家出の話で思い出しました。
幼稚園のころ、家出しようとしたことがあります。
何か気に入らないことがあって
「もう家出する!」と宣言したら、母や姉が爆笑し、
おかしがって家出の荷物を作ってくれました。
レゴブロックや積み木を風呂敷に包んで、
首からうしろにかけ、両手にも風呂敷包み、
というスタイルで玄関を出ましたが、
その瞬間心ぼそくなり
「やっぱりやめる」
と中止したものでした・・・。
家出のスタイルについては、母や姉に
「風呂敷包みでなきゃダメだ」
と注文をつけてたような覚えもあります。
たぶん、「おそ松」くんなどの
漫画で覚えた知識だったのでしょう。
(てつや)
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(ミニコメント)
モールス信号がこわいのに
技術者の父を気にしたり、
父のいびきを殺人者の足音とまちがえたり、
父ってのも、ガキのホラー的要素には
欠かせないんですねぇ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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