(2月18日)
・幼稚園の頃、ばあちゃんにつれられて
はじめて沖縄から東京に行き、
はじめて見る電車に興奮して
1人で飛び乗ってしまった私のいとこは
次の駅で駅員さんの保護されて
「どこから来たの?」と聞かれ
「我謝(がじゃ)」としか答えられなかったらしいです。
沖縄の地名云われても、駅員さん困っただろうなー。
(匿名希望)
・私の通っていた女子大には当時(10年位前)、
オリジナルの”恋のABC”がありました。
全部は覚えていませんが,
最初は手をつなぐとか,一緒にガムを噛むとか,
AからZまであるもので,
ものすごいスモールステップで進んでいきます。
そして最後Zは
「子どもが公務員になる」でした・・・。
(匿名希望)
・「ささった棘が血管をとおって心臓に」
という話、けっこうポピュラーだったんですね。
安心しました。
うちでは親もかたく信じていて、
私が子どもの頃、つまようじの束をふんでしまい、
「つまようじが血管をとおって心臓に!」
ととりみだした親に、足のレントゲンをとりに
病院につれていかれました。
真夜中だってのに医者をたたきおこしたんですが、
当然というか、
レントゲンにつまようじは写りませんでした。
私はといえば、棘ならともかく、
つまようじなんて太いものは
血管をとおらないんじゃないかと
のんきにかまえてたんですが、親のほうは、
「もう心臓までつまようじが
流れていってしまったんじゃないか」
「この子は死んでしまうんじゃないか」
と暗い待合室でつぶやいていたことを、
よく覚えています。
・・・ガキのころはバカだった、というよりか、
親もバカだったなあ、という話ですね。
(大月)
・幼稚園の頃、朝ごはんの後の歯磨きの際に
毎日しゃっくりがでていました。
それで私は「自分はロボットなんだ!」と思い込み
何故親が私を家に置いているのかが
不思議でしようがありませんでした。
と同時に親に毎朝食後のしゃっくりのことが言えず
ロボである自分を必死に親に隠していました・・・
知らぬ間に朝のしゃっくりは出なくなっていました。
(え)
・うちのお母さんは京都の観光地なんかで売っている
陶製の人形や、企業さんから
ノベルティグッズとして配られる人形の彩色職人でした。
ある日、家に帰ると
30枚以上の般若の面があったのです。
それは母が彩色を依頼され家に持って運んでもらった、
彩色前の素焼きの面でした。
それを見てパニックを起こした私は、
泣き叫びながら家の向かい側にあった
おうどん屋さんに飛び込み、
お客様がいるにもかかわらず
店頭で延々泣き叫んだのでした。
そして、母がなだめすかしても
どうしてもどうしても家に入れず、
結局その後何日かは
そのおうどん屋さんで暮らしたのでした。
いくら懇意にしていた店とはいえ、
はた迷惑なガキでした・・・。
(でも未だに般若が嫌いなきえまま)
・私はオババッコ(祖母大好きっこ)だったせいか、
オババんちからうちに帰るのいやいやで
飛行場で泣いて泣いて、だだこねて、
帰りたくないと言い張ってました。そのときに姉が
「おばばはね、すぐに、もぐもぐってくるから
だいじょうぶだよ」って言ったので、
「そっかー、もぐもぐってくるんだね」
ってすぐに納得して、泣きやんで、帰ってからも
「いつ、もぐもぐってくるの?」と聞いてたものです。
もぐもぐってなんだよって、今は思うんですけど・・・。
その当時の私の頭の中にはもぐらみたいに、
穴掘ってるおばばの光景が
くっきりと浮かんでいたのです。
(もぐもぐなぽち)
・小学校低学年の頃だったかと思います。
何を思ったか、
「郵便屋さんにサービスしなくては」
そう思い立ち、家のポストに
「ゆうびんやさん、ありがとう」
と書いた紙を貼りました。
それだけではいけない、
もっと何か喜ぶことをしなければ・・・。
そして、洗濯物の中から
母のブラジャーやパンツを選んで
庭先のよく見えるところに、高々と干し変えたのです。
男=エロい物を喜ぶ=下着
馬鹿な小学生でした。
その後、郵便屋さんが喜んだかどうかは覚えていません。
(てらいかーさん)
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(ミニコメント)
「子どもが公務員になる」
までの恋のステップアップって……すごい!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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