KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(2月19日)

・コワイ話で「紫の鏡」ってありましたが、
 その話、小学生のころ私も聞いて怖かったです。
 しかも、「紫の鏡」とセットで、
 これも20歳まで覚えていたらヤバイ、
 という単語があるのです。
 それは「緑のうんこ」・・・。
 由来はぜんっぜん分からないのですが、
 インパクト的に非常に恐怖を覚えました。
 (とく)

・小さい頃、お箸の上の方を握って食事をしてると
 祖母や母から
 「(お箸の先っちょからの距離に応じて)
  とおぉーーくにお嫁に行くことんなるよ!
  遠くにお嫁に行っちゃってママやパパに
  一生、会えなくなるよ!」と叱られてました。
 「じゃあ、先を使えばいつまでも
  ママとパパの近くにいられるんだな!」
 と思い、極端に先の方を使ってまた叱られて
 理不尽さをかみしめていました・・・。
 (なつ・24歳)

・「紙を五十二回折ると厚さで月に達する」
 というウワサで、もりあがったことがありました。
 実際に折るとどんぶり勘定で
 高さ3億5千万キロになるんだよ、と。
 (コリンズ)

・小学生の頃、何気なく図書室で借りた
 「偉人さんの伝記」の中に、ノストラダムスがいました。
 「あぁ、私は22歳で死ぬんだぁぁぁ」と
 数日間は悲しい思いでいっぱいでしたが、
 「22歳で死ぬのならきっと私は大学生。
  大学生で勉強しかしらないうちに死ぬのはつまらない」
 と商業高校に行く道を、既に10歳で選んでおりました。
 (T)

・鏡と鏡を向かい合わせにしたら・・・
 私の地域では
 「100番目に自分の死に顔がうつる」
 というリアリティのある噂が流れました。
 (もか)

・ぼくは、小学生のころ、学校に行くとき、
 いつも、遅刻しそうになりながら、
 学校に行ってたんですが、
 いつも一緒に学校に行く人がいないときには、
 学校の校門に入ると、
 「もしかしたら、学校に行ってる途中で、
  自分の知らない間に、タイムスリップしていて、
  みんなは、中学校に行っていて、
  ぼくだけ小学校に行ってたらどうしよう」
 とおもい、びくびくしながら
 学校にいってました。
 (ガリ)

・私は小さい頃、さくらんぼの種を飲むと、
 おなかから芽が出てくると父から教えられました。
 それを恐れつつさくらんぼを食べていたのを
 記憶しています。ちなみに、スイカも同様でした。
 (匿名希望)

・小学生頃、初めての自転車を買ってもらってから
 2年後位のことです。
 多くの子どもにとって、そして時代が流れても
 変わらずそうなのだろうと思いますが、
 その当時の僕にとっても自転車と言うのは
 もっとも身近な道具であり、
 愛着の対象であり、大切な相棒でした。
 当時良く行った遊び場から家への帰り道、
 家から500メートルくらいの場所
 (ちょうど市街を抜けて景色が少し変化します)
 まで近づくと、僕はそこでペダルを漕ぐのをやめます。
 それ以前に十分な加速をしておくのです。
 そして家までの平坦でわずかに下っている道を
 一度も漕ぐ事無くたどり着けるよう目指します。
 下っているとはいえ微々たる物で、
 途中にはちょっとしたのぼりや、
 障害となる道の出っ張り、舗装が悪いところでは
 それもスピードを落とス原因となります。
 そんな道のりをかなりゆっくりとした速度で
 進みながら相棒の自転車に、
 「がんばれっ」とか
 「あののぼりを越えればまた加速がつくから」
 なんて声を(心の中で)かけつつ家を目指しました。
 今思い出すと我ながらほほえましい反面、
 ハタから見たら変な奴。
 途中でコケたりもしてたし……。
 家までたどり着ける成功率はかなり低くて、
 毎日ちょっとした挫折感と
 明日の挑戦への熱意を燃やしていました。
 (k-moon)

(ミニコメント)


「自転車はもっとも身近な相棒」っていいなぁ。
なんか、そのときの気持ちって、今も持っていたいね!

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2004-02-19-THU

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