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今日は弥生時代を重点的に見ることにします!
とても全部は憶えきれないから。
今の博多部から春日市にかけて
『魏志倭人伝』にも記されている
「奴国(なこく)」があったとされています。
奴国にあったこれらの遺跡も
水田稲作を始めていたようです。
志賀島で発見された
「漢委奴國王」の金印は
後漢から奴国王に授けられたものなのよ。
『後漢書』に、
紀元57年のことと記されているの。 |
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柱の跡から全長が7mから12mの
大型建物があったらしいです。
スソさんのように、
テーマを決めて展示物をみるのは、
とてもいいと思うの。
というわけで、
弥生時代の展示物がつづきまーす。 |
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福岡空港内にあった
雀居遺跡(ささいいせき)から出てきた木片。
巨大建物に使われていたのでしょうか。 |
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あ、V字型の溝に人が立ってる!
落ちたら這い上がれないぐらい
深いってわかりますね。
さっき、入ってみればよかったかなあ? |
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美しい土器。
縄文土器と違って規格品っていうか
工業製品みたいですね。
土器の交易と
石斧・石包丁の解説があります。
立岩ブランドの石包丁は行橋でも
紹介されていました。 |
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人同士の戦いの始まりですね。
投弾はどういう時に使ったのでしょうね?
奴国としてクニがまとまる前に
戦いがあったことを裏付けるものだそうです。
首なしはこわいなー。
スソさんが言ってる「首なし」の解説を。
下の画像、
「争う」のパネルの左上の写真、
これが「首なし人骨」なの。
奴国周辺では、こういう首のない遺体が
いくつか見つかっているとか‥‥。
激しい争いの時代だったの‥‥。 |
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なるほど! と思いますが、
実際作るのは大変でしょうね。
焼くときに、わらをたくさん使ったというのは
縄文時代にできなかったことですね。
あ、これ、
中国雲南省の人に教わっているらしいですよ。
甕棺(かめかん)については、
前回の更新も読んでくださいね。
棺(ひつぎ)なのよー。 |
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美しいです!
つい最近まで使っていた道具と
変わらない気がしますね。
うつくしいですー。
なんだか、弥生時代って、
そんなに昔じゃない気がしてきました。 |
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あ、高台にあることが一番わかる写真です。
日があたって、すごく気持ち良さそうー
今は建物で覆われてしまって
かえって暗い場所になってしまった気がします。 |
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こんなにいっぱい!
果てしない道の入り口に入ってしまったと
感じました。
古墳の多い地域(青い色)は
ちょっと西側の内陸にあるようです。
北部九州の旅は始まったばかりなんだなー。
わあ‥‥ほんとうに果てしない‥‥。
スソさんは、まだしばらく
九州でのひとり古墳部を続けるようですが、
「福岡県博多編」はひとまず終了です。
次は、「伊都国〜壱岐島の遺跡巡り編」で
お会いしましょう!
スソさんの好奇心は
まだまだとまりませんーーー。 |
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