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朝、ホテルに来てくれた博多の友人が
うどん屋さんへ案内してくれました。
ごぼ天をのせてもらって
ネギをたっぷりのせて
もう最高に美味しい~。
いよいよ古墳に出会えそうな予感。
おうどん食べて元気にいきましょー。
スソさん、まずはどこに行きます? |
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行き先は志賀島です。
市営のフェリーは、西戸崎、大岳に寄り
志賀島へと向かいます。
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すぐに乗船時間になりました。
わー今日の船はかっこいい!
「きんいん」だって!
白い船なのに、金(きん)?
なぜかしら‥‥
ちょっと胸がざわざわしてきたわ‥‥。 |
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帰りのフェリーの時間を考えると、
島の滞在は約2時間。
さくっとタクシーに乗り10分ぐらいで
金印公園に着きました。
巨大な石碑が立っています。
出てきた金印(きんいん)に対して
すっごく大げさな感じ。
いや、国宝ですからね、ま、いいのかな。
ここは金印が偶然に掘り出された場所です。
(と推定されています。
あんまり確実じゃないみたい。)
江戸時代に、
お百姓さんが耕作中に発見したそうです。
「きんいん」って、「金印」のことね!
なるほど、なるほど、
福岡といえば「金印」ですよね。
国宝!! |
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中国の『後漢書』の東夷伝のなかに
「倭」について書かれているところがあり、
57年に後漢の光武帝が
倭(わ)の奴国(なこく)の王に
金印を与えたと記されています。
金印は純金製!
「漢委奴國王」と彫られています。
ドット柄の蛇がついていておしゃれ!
こんな風にお弁当箱みたいな
編み箱に手紙を入れて
封印するためのものだったのですね~。
「オレに出す手紙はこれを押せよ」
ってことで、贈ったのでしょうか?
途中で部下たちが
読まないようにってことのため?
なんだかラブレターを求めてる感じ?
奴国王がきれいな女性だったりして‥‥。
日本はそのころ弥生時代。
奴国は福岡平野の中央の那珂川(なかがわ)と
御笠川に挟まれた台地上にあった、
と考える説があるのよ。
ここには、那珂遺跡群や比恵遺跡、
板付遺跡、須玖岡本遺跡などが分布しているの。
あと、博多湾は古くは、
「那の津(なのつ)」と呼ばれていたんですって。
『三国志』の魏志倭人伝にも、
奴国について記されているのよ。 |
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海の向こうに見えるあの島!
そっかあれって、昨日いた能古島だー!
何かわからないけど、わーい!
(思わず手を振りたくなる衝動)
ライブ、たのしかったなー。
みこちゃんはカバンの中だから
音しか聞こえなかったけど!
たのしかったなー。 |
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おー、さらに遠くまで見えますよー。
おや? 足元に‥‥
これは、ここからの距離ですね?
東京まで900キロメートル、
奈良まで520キロメートル、
北京まで1400キロメートル、
対馬まで110キロメートル、
釜山まで200キロメートル‥‥。
へー、対馬から釜山って、
たった90キロなんだー! |
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はー、なんだか、なごみます。
フェリーで島に渡ると
リゾート気分のスイッチが入るんですよね。
たった30分でも。
え‥‥? 30分?
あと30分で、古墳を見られるの‥‥? |
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この島でもう一つ重要な場所へやってきました。
志賀海神社(しかうみじんじゃ)です。
ここは、海人の安曇(あずみ)族によって
綿津見(わたつみ)三神=海の神様を祀った
とても古くからある神社です。
昨日行った住吉神社の祭神に志賀三神とあったのは
ここの神様のことです。 |
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長い参道を奥へ奥へと進むごとに
標高が高くなっていきます。
門の前に石の太鼓橋がありました。 |
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なになに‥‥?
「海の守護神として水と塩を支配し。。。」
「創建は2世紀、遅くとも4世紀に。。。」
なんと古い!
「神功皇后の伝説を多く残し。。。」
やっぱり! |
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これは、神功皇后が三韓征伐のときに
安曇磯良が亀にのって現れたという
亀にちなんで奉納された霊石だそうです。
神功皇后がその亀に触れたとたん、
石になった!
マジカル!
(妄想です)
ここにいたら、亀に乗って現れる人がいても
びっくりしないかもしれません。
なんかなんでも信じてしまいそう~~。
それにしても、
この鳥居越しに見える海の景色と言ったら。。。 |
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この神社では、
手水が水ではなく、砂なんです。
砂を持ち帰っても良いと書かれているので
ありがたくいただくことにいました。
珍しかったので、
みこちゃんこっそりころがりました。
スソさんのカバンから這い出して。
ごろごろと。
なんか、清められた気がする! |
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ぎょえー!!
鹿の角がつまっています!!
これは、鹿角堂(ろっかくどう)という
1万本以上とも言われる角が納まっているそうで、
何か願い事をするときや、それが叶ったときに
お礼として角を奉納する習慣があったそうです。
これも、神功皇后が対馬で鹿狩りをした際に
奉納したことが起源となっているとか。
鹿の角は縄文時代より、
針にしたり、銛をつくったりと
漁業にかかせない大切なものなので
もっと古くから
奉納されていたんじゃないでしょうか。
しかの島は鹿の島? |
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あと10分たらずで出港の時間です!
急げ~~! 走れ~~!
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最後はばたばたになりましたが、
今回は『古事記』に登場する古い神様たちに
神功皇后がちょいちょいからんでくるという感じで、
あらためて『古事記』を読みたくなりました。
さて次回は、浅間山のふもとへ行きます。
お楽しみに!
「博多ーノコノコ編」が終わりました。
でも、しばし考えて‥‥
なるほどそうか! と思いました。
みこちゃんは、
「ひとり古墳部」という言葉に
とらわれすぎていたのです。
古墳に行くことだけが、
古墳部ではないのですね、スソさん!
様々な、いにしえの出来事に
思いを馳せることが、古墳部の本質なんだわ!
そのために、いろんな場所に出かけるのね。
はぁー。
みこちゃん、すっきりしました。
これからは「古墳」にこだわらず、
「古墳部」をたのしみますねー。
では、また!
次のシリーズでお会いしましょ〜〜。 |
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