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ホテルの近くに『一膳めし』の看板があったので
入ってみました。
ほっとするなー、こんな朝ご飯。
あ、このお醤油は帽子をかぶったマークだ!
古墳の前の腹ごしらえですね。
素朴なごはん、おいしそー。
(店員さんに)あ、私は水でいいです。 |
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おや?
和菓子屋さんがもう開店しています。
美味しそうなので、買っていきましょう。
準備万端!
「ひとり古墳部」の準備万端〜!
古墳を眺めながらのおまんじゅう、
とってもおいしいと思うの〜。 |
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姪浜埠頭からフェリーに乗って
能古島へ渡る予定です。
10時15分のがちょうどいいかな~。
では、早めに出発!
まず地下鉄で姪浜(めいのはま)駅へ。 |
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フェリーに乗る前に
ちょっと立寄りたいところがあります。
姪浜駅から北へ5~6分歩いていきますと
旧唐津街道に出ました。
看板があります。
「旧姪浜で、イザナギがミソギ祓えの儀式を行い、
アマテラス、ツクヨミ、スサノウが誕生した。
また、神功皇后が三韓遠征した際の出発地でもあり、
竹内宿禰が観察使として派遣されていた。』
などと書かれています。
あれ? 『古事記」では、
禊(みそぎ)をしたのは
筑紫日向の橘の小戸の阿波岐原ではなかった?
それがこの姪浜?
スソさんが考え込んでいる‥‥。
ちょっと専門的にむつかしいことを
考え続けている‥‥。
それはともかく、
旧唐津街道と姪の浜の案内は
こちらからどうぞー。 |
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住吉神社にきました。
昨日の香椎宮の流れで、
神功皇后と武内宿禰にまつわる神社を
選んでみました。
住吉「すみよし」は元は「すみのえ」と読み
「すみのえ」は、澄んだ入り江のことだそうです。
神社が元あったのは、もっと北のほうとか。
そうかーそこが小戸の阿波岐原なのかも。
祭神は
住吉三神
(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
志賀三神=綿津見三神
(底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神)
神功皇后、武内宿禰。
神功皇后が戦いから戻って上陸した浜で
濡れた衵(あこめ)を乾かした。
衵ケ浜が転じて姪浜になったそうな。
香椎宮では綾杉、今度は浜の名前。
神功皇后の着物からのエピソード、
パート2です。
衵と書いて「あこめ」と読むのよ。
それは、表着と単(ひとえ)のあいだに着た
中着のことなの。 |
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住吉神社の解説板を読んだら‥‥。
イザナギがミソギ祓(はら)えの儀式を
行ったときに
カッパが道案内のお手伝いを?!
カッパのことは古事記には
書かれていなかったと
思うけどなー。。。
『古事記』『日本書紀』では
イザナギはイザナミとともに
国産みと神産みを行うのだけれど、
イザナミはカグツチを産んだときに
死んでしまうの。
それでイザナギは、死んだイザナミに会いたくて
黄泉の国へ行くのよ。
ところがその変わり果てた姿に驚き逃げて、
黄泉の国から脱出するの。
このとき黄泉の国の穢れを落とすために、
禊(みそぎ)を行なうのよ。
禊によって住吉三神、綿津見三神などが産まれて、
最後にアマテラス・ツクヨミ・
スサノウが産まれるわけ。 |
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見事な、いちょうの木です。
700歳の大きさ。
私から見たら、ずいぶん若者。
それでも700年。
立派だわ〜。
‥‥ところでスソさん、古墳は? |
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道案内のカッパがいますよ!
腰にはしめ縄がつけられていて、なんだか
相撲取り風?
上のカッパはタヌキみたいだし、下のカッパは
まつげが長くておっぱいがなまめかしいです。
あれ? これ夫婦? そして子供達? 家族?
ま、考えるのはやめておきましょう。
妖怪の話ではなく、
ス、スソさん‥‥古墳の話を‥‥。 |
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神社を出て、北へ。
名柄川です。
これが博多湾へと流れています。
漁師さんも出発! |
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まだ誰もいませんね~。
おや、なんとシュールなタイル絵!
これは島? それとも船?
『能古小呂島のりば』と書いてありますが、
小呂島‥‥ころじまって呼ぶのかな?
どこにあるんでしょうね?
「おろのしま」って読むのよ。
玄界灘に浮かぶ、壱岐島の東に位置する離島。
周囲は3.3kmで、人口は約200人。
フェリーで姪浜から、65分くらいで到着するのよ。 |
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能古島(のこのしま)の案内があります。
博多湾にある島。
周囲12km、人口約800人。
能古(のこ)は古くは、
「残」「能許」「能挙」「乃古」
「能護」「野子」などと記録にあり
現在の「能古」は
戦後になってからの表記だそうです。
あ! 島には早田古墳(そうたこふん)があるって!
バスとかで行けるのかな~。
正確には、
早田古墳群(そうたこふんぐん)っていうのよ。
島中央南側の丘陵部にある、
7世紀ごろに造られた
横穴式石室をもつ2基の円墳で、
墳丘はほとんど残っていないけど、
2号墳の石室が残っているのー。
くわしくは、こちらで!
ひゃっほーー!
久しぶりに、古墳だわ!! |
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シャープな船に乗り込んでいる人がいます。
速そう~。
実際にフェリーよりも速くて、
ちょっと料金が高いそうです。
私が乗るのは
市営のフェリー、220円で10分。 |
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やってきました能古島です。
フェリーを降りてから
イベント用にチャーターされたバスに乗って
大泊海水浴場に着きました。
おーーっ、なんかリゾートっぽい!
博多から10分で南国だ~~!
お天気は雨予報だったけど
これぐらいならちょうどいいかも~。
うっすらと海の向こうに
博多のビル群が見えています。
リゾートとか、博多のビル群じゃなくて、
ほら、スソさん、
さっき案内板で見たじゃないですか‥‥。 |
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ヤシの木を見上げながら
砂浜でカレーをいただきまーす! |
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イベントは終盤に入りました。
トリのバンド、スカンク兄弟が登場です。
実はボーカルとギターの2人がかぶっている帽子は
私の作った麦わら帽子。
きゃー! かぶってくれてるー!
とうれしい瞬間です。
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すっかり楽園でくつろいで、イベントを満喫。
バスでフェリー乗り場へ戻ってきたものの
ついに古墳を見に行く時間がなくなってしまいました!
みこちゃんごめん!
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しまった〜と思いながら
フェリー乗り場近くの公園を歩いていると
やぐらのようなものがあります。
近づいてみるとパネルがあって
能古島の歴史が紹介されていました。
防人達がこの島で歌を詠み
万葉集に残されていることや、
女真族というの兵船の一団に襲撃された
「刀伊(とい)の来寇」について書かれています。
9世紀から11世紀かけて
日本では新羅や高麗とかの海賊から
襲撃や略奪をたびたび受けていたのよ。
怖いわ。
なかでも1019年の刀伊の来寇では
対馬・壱岐島・筑前国怡土郡・
志麻群・早良郡での
放火や殺害、拉致、
牛馬の略奪など被害が甚大だったの。
怖い‥‥。
でも博多は悪天に助けられて、
大襲撃をまぬがれたのよ。
ちょっと、怖くなくなった‥‥。 |
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フェリーの最終時間まで、打ち上げに参加。
みこちゃん! ごめん!
明日はしっかり古墳部やるからね!
ほんとに、あしたは古墳?
だったら、みこちゃん平気なの。
あしたまで待てるの。
みなさんは、次回までお待ちください!
次は金印の島、志賀島です。
おたのしみに!! |
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