知り合ったのは高校3年生の秋。
それからケンカして距離を置いたりしつつも
9年間一緒にいた彼。
頭脳明晰、スポーツもできる、
そんな彼の弱点といえばものすごく音痴なことでした。
当時は何につけてもカラオケで〆るのがお決まりだった時代。
せめて1曲くらい人前で歌えるようになりたいという彼のため、
『いとしのエリー』をテープに繰り返し入れて
カーステレオで流しながら、
何度も何度も一緒に歌ってレッスンしてあげました。
彼は大学のゼミコンパでもサークルの打ち上げでも、
バカの一つ覚えといわれながらも、
十八番になったこの曲で乗り切っていました。
親も、友達も、自分達さえも、きっとこのまま
一緒にいるのだろうと信じて疑わなかったその頃、
「どこか遠くへ行きうせる」なんて
「もしも」の確率ですら起こらないことだろう
と思い込んでいました。
でも「本当にこのまま順風満帆でいいのかしら」
という贅沢な疑問から、
27歳でOLを辞めてアメリカに渡った私に届いたのは
「他に好きな人ができた。来年結婚する。」という主旨の、
便箋8枚にもわたる手紙でした。
(まだ電子メールなんて今ほど手軽じゃなかったし、
国際電話も1分何百円もするような時代でした)
泣いて、泣いて、泣いたことを隠しようもないくらいに
腫れた目のまま仕事に向かう日が数週間。
たまに彼と同じフォルクスワーゲンゴルフと
すれ違うだけでも、ポロポロ条件反射に涙があふれる。
「忘れずにいたい」なんて絶対に思えない。
とにかく忘れよう、忘れようとする日々でした。
数年が経ち、自分もまた新しい進路を定め、
日本に帰国しました。
新しくできたという丸ビルを見物に行ったその日。
なんと、真正面から3歳くらいの子供を真ん中に
手をつなぐ仲の良い親子連れが歩いてきました。
そう、彼だったのです。
考えるよりも先に足が走って逃げ出していました。
女友達が心配して追いかけてくるのを遠くに聞きつつ、
ビルの陰からこそっと見送る私。
あの時、渡米ではない選択肢を選んでいたら
自分のものだったかもしれない映像を
見せ付けられたような気がして
失恋というよりも、人生の選択への挑戦状を
突きつけられたような気持ちでした。
これだけでもドラマのような偶然なのに、
なんとその数年後、再びその彼と出くわしたのです。
私は少しずつ仕事にも恋愛にも
自信を持てるようになった頃。
彼のほうは、ちょっと危険な関係のような
うら若き女性と駅の改札で、
痴話ゲンカの真っ最中でした。
あの時違う選択肢を選んでいたら、
私はこうやって裏切られていたのかしら、
と今度はまったく違う疑問を突きつけられた私。
さらに月日は流れ、私はいまだに独身。
仕事の関係で再び海外に暮らしています。
今住む町でも、今でも時折
古いゴルフを見かけることがあります。
もう涙ではなく、
クスッと笑顔を浮かべることができる古き良き思い出。
ようやく自分の人生を全体像として
肯定的にとらえられるようになった今ならわかります。
打算や損得ではなく、純粋に誰かを好きでいること。
そして、彼とゴルフが与えてくれた沢山の思い出を
忘れずにいたいと、そう思えるようになりました。
時間が経過して初めて至ることができたこの境地。
さりげないけどとっても深い歌詞だなあ
と改めて敬服してしまいます。 |