小学校一年二年と同じクラスだったSちゃんは、
活発な女の子でした。
なぜか三、四年生も違うクラスなのによく遊びました。
男子が四年生にもなって女の子と遊ぶのはかっこ悪い、
という男子特有の文化に逆らって、
二人でテレビの話をするのが好きでした。
でも、僕は五年生の春、大阪に転校することになったのです。
回りは全員大阪弁の次の正月。
標準語の懐かしい字で、Sちゃんからの年賀状が来たのです。
汚い字の男子友達に混じった、唯一の女の子からの年賀状。
それから二人の文通がはじまります。
中身はたわいもない、テレビの話や友達のこと。
たった便箋一枚に、どれだけ下書きしたことでしょう。
女の子の使う封筒や便箋は、それはそれはかわいくて、
俺が文房具屋さんで一日悩んだ便箋は、
無骨でかっこわるくて。
中学高校と男子校に進んだので、
俺にとって唯一「外界」との接触がその手紙でした。
でも変な自意識なのか、女の子を楽しませる自信がないのか、
手紙を書く事が出来なくなりました。
写真を一度も交換しなかったのも、
自分に自信がなかったからです。
浪人した頃、この歌が流れました。
受験で東京まで行けば、
彼女に会えるのではないかと気付きました。
勇気を出して、冬に葉書を書きました。
二人の分かる場所といえば小学校くらいしか思いつかず、
校門前で待ってると。
受験前日。
『大きな玉ねぎの下で』ではペンフレンドは来なかったけど、
果たして、彼女は来たのです。
9年ぶりに会った彼女は、面影はあったけど、
でも、なんというか、好みの感じになってなかったのです。
今思うと、可愛い子役が成長したら普通、
みたいな感情でしょうか。
19で童貞の俺は、過剰な期待を恋愛に抱いてた
(テレビの中のおニャン子が女子高生の基準だった)から。
彼女と喫茶店で、全く上手くしゃべれませんでした。
男がリードしなきゃというプレッシャーと、
大阪なんだから笑わせなきゃというプレッシャーと、
あまりにも昔好きすぎて緊張してたのと。
翌日の大学は滑り、僕は関西の大学に進学。
なんだか分からなくなってしまった僕は、
好きでもない男に手紙なんか出さなきゃよかったのに、
とひどい葉書を書いてそれっきり。
今は東京で働いてます。
しばらく帰ってない実家の机の引き出しには
あの頃の手紙があるから、住所は分かるはずだけど、
さすがに訪ねようとは思ってません
(お互いもういい歳だし)。
でも彼女にちゃんと会って、
上手くしゃべれなかったくせに、
ひどい言葉を書いた事をあやまりたいという気持ちを、
ずっとうっすら持っています。
あれからいくつかの恋をして、
やっと女子の事も考えることが出来る余裕もできました。
あの時、校門に向かう俺の中では
『大きな玉ねぎの下で』が流れてたけど、
Sちゃんはどんな気持ちで校門まで来たのかなって。
この曲をたまにカラオケで歌うたびに、
その頃の、上滑りだけして、全く足りない、でも真剣な、
そんな気持ちを思い出します。
僕の初恋です。 |