いつもくちびるに、季節の風とラブソングを。
こんにちは、恋歌くちずさみ委員会です。

あまずっぱい企画は、とっても好評!
たーくさんの、おたよりがとどいています。
みなさんの、
たいせつなたいせつな思い出の「恋歌」、
どんどん紹介していきますね。
なのでどしどし、おたより(メール)くださーい!

寒くて、面倒で、
手袋をしたままの握手が最後だった。
(投稿者・くじゃく)
 かもめはかもめ
 研ナオコ

 1978年(昭和53年)
 
My恋歌ポイント

 かもめはかもめ
 独りで海を行くのがお似合い
愛情と友情の境目はどこにあるんだろうと、
未だに考えます。

性欲なんてものはなく。
ただずっと一緒に居たかった。
一緒にお酒を飲みながら、
話をして、笑っていたかった。
食べるもの、飲むお酒。
好きな映画、本、音楽。
これまでに訪れた場所、感銘を受けた人・・・。
全ての趣味が驚くほど合って、
話しても話しても足りなかった。

それはまるで、学生の頃の親友のような感覚で、
ただ話すだけで更けていく幾つもの夜。
違うのは、30前後の男女で、
仕事仲間で、
お互いがそれぞれの家族を持っていたということ。
だから、一緒にいたいというだけの気持ちに
後ろめたさがついてまわった。
ただのその気持ちが
誰かを傷つけてしまうのかもしれない、という不安も。

今思えば、
あるプロジェクトを成功させるまで
という期限があったから、
盛り上がっただけなのかもしれません。
ずっと一緒にいたら、
いつか嫌いになっていたかもしれません。
だけど、気軽に連絡を取ることなんかできなかった。
その切なさが、友情なのか愛情なのかを
わからなくさせてしまったのだと思います。

トレンディドラマのような裏切ったり裏切られたり、
奪ったり奪われたりというような恋も
いくつかしてきたはずなのに、
そんな恋の相手の顔は
今ではもう思い出すこともできません。
なのに、友情でも愛情でもない感情を抱き続けた
彼の笑顔は忘れることはありません。

今ではもう会うこともなく、
お互いが元気に、それぞれの現実の中を
生きていることだけをたまに確かめ合いながら、
私は、未だに、東京の夜の寒空の下、
じゃあ、またねといって握手したあの時を、
寒くて、面倒で、
手袋をしたままの握手が最後だったのね、
と、どうしようもない切なさで思い出すことがあります。

この歌を聞くと、大海を独り飛んでいくかもめが
行き場のない、消化されない私の想いと重なります。
そして、答えの出ない想いも
また大切なものなんだと思い知らされるのです。

愛情と友情の境目かあ。

どこまでが友情、
どこまでが恋、
どこからが愛。
それから、
どこまでが浮気、
どこからが不倫。
じゃあ純愛って何だよ?

‥‥わっかんないですよねえ。
このことって飲みの席とかで
話題にのぼることも多いけれど、
結論は出ない。ぼくもわかんない。

ただ、「こう思う」ということで言うと
「愛情と友情って
 本質的に同じものなんじゃないの?」です。
具体的に強くそう思ったことがあります。
世間の線引きとしては
それは「愛情」側に転ぶものではなかったですけれど、
もういまは会うことができないそのともだちと、
最後の挨拶は、(くじゃく)さんと同じように
「握手」でした。
ふざけてでも、ハグすればよかったなと
いまでも思ってます。
でも、できなかったんだよな。

ところで「かもめはかもめ」、
恋歌に、二度目の登場ですね。

今回もまたすばらしい投稿‥‥
というか、これ単体で作品のようです。

思うんですが、昔も今も、
こういった「歌みたいな恋」を
人びとはくり返しているというのに、
いまの「歌」のほうは、
なんだかそれに応えられていないような。

昔の歌はよかった、なんて、
完全に年寄りじみた言い方で
自分でも苦笑しますけど、
今には今の「恋歌」が
もっとあっていいような気もします。

いただいたこの投稿の、
「手袋をしたまま、最後の握手」なんて、
そのまま歌の情景だもの。

今には今の恋歌が
きっとあるのでしょうけど、
私たちには響かないのかなぁ。
散文的な詞やメロディーではダメで、
わけのわからない魔法がもっと潜んでないと
持っていかれない世代なのかもしれないですね。

友情と愛情、シェフが言うように
おんなじことだったらいいなぁ。
分けたら寂しいですからね。

悪くないんじゃないかなぁ、
ぜんぜん、いいと思います。
個人的には、すべて差し引いて、
友情がいいです。
恋という縁のもらい方もアリだと思うけど、
私は友情がいちばん尊いと思います。

相手のすべてを受けとめるとか、
特に男女ではあんまりないと
いろいろありまして、なかば思っております。
そうだとすると、あの人は好ましいな、
こういう感じで唯一無二だな、
元気で機嫌よくいてほしい、
ということで
人生は終わっていくのかなぁ、
という気分もあります。
それはすごくいい、と思う。

文句なくなかよくしていい
恋や結婚もすばらしいんですけど、
なんか、限りないところで
相手を認めて尊敬するというのが
友情のいいとこなんだよなぁ。

うん、そうだね。
恋はもう友情に含まれたものだと、
ここ数年のぼくも思っています。
そして、そう、尊敬し合える関係のよろこびのために
生活のなかのあれこれを
それなりにがんばっている気もします。

尊敬することが、すごく好きになりました。
それは、ちっちゃな尊敬で十分です。
「しょっちゅう笑ってる人だね」とか
「ずいぶんとうもろこしをきれいに食べるねぇ」とか。
ちっちゃいことで十分うれしい。

ところで、
「手袋をしたまま、最後の握手」
という歌詞(もう、歌詞でいいでしょう!)、
これはほんとにみごとな描写。
「毛糸越しの触れあい」というもどかしさが、
この物語ぜんたいの切なさをあらわしています。

いやーー、今回も名投稿でした。
「ハイクオリティの投稿が続々と!」
ということをここで言うたんびに、
ハードルはきっと高くなっているはず。
なのに、そんなハードルをものともせず、
瑞々しい思い出がコンスタントに届いています。
どうやら、書き手は無限にいる?

それでは次回、土曜日にお会いしましょう!

♪ラララ 恋歌 くちずさーみー いいんかいーーーー♪
(作曲・アレンジは各自でお願いします)

2012-03-28-WED

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