十代の恋愛において「ふられる」というのは、
面と向かって、「ごめんなさい」と
告げられることよりも、
決定的な場面をまったく予期せず目撃して
「そうだったんだ!」と
思い知らされることが
ほとんどなのではないでしょうか。
その意味で、このエスカレーターの描写は、
誰のこころにも響くような気がします。
あるでしょ、きっと、思い出の隅っこのところに
このエスカレーターみたいな場面が。
ぼくはこの投稿の、
「H!」と呼びかける場面が
とっても切なくて好きです。
呼んでどうなるものでもないのに。
いえ、呼ばないほうがむしろいいのに。
でも、呼ばずにいられないんですよね。
すりむいた傷口を確かめるみたいに。
あたまのなかで「ガーン」っていう音が
物理的にするような気がして、
さかのぼればさかのぼるほど、
「そういうことか」って腑に落ちたりして。
そういうのって、もう、
100年前も100年後も
変わらないんじゃないのかな。 |