『愛は勝つ』
 KAN

 
1990年(平成2年)

「私が好きだったのは
 あなたよ」
と言い放ってしまいました。
  (投稿者・ぽちか)

どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ 必ず最後に愛は勝つ

高校の同級生だった彼女のことが好きでした。
好きでしたが、告げる気はありませんでした。
きっと彼女への気持ちは、
自分の胸の中の“彼女の名前のついた部屋”に
一生しまっておくんだろうな、
と思いながら友達をやっていました。

お互い上京して別々の大学に進み、
数ヶ月に一度くらい顔を合わせつつ、
電話はもう少し頻繁にするという付き合いだった頃、
ある深夜の電話で
妙に元気のない彼女を心配したところ
「好きな人がいるんだ」と。
もしや私のことか? 実は両思いだったりしたのか?
と俄然温度が(ひそかに)上がる私をよそに
彼女が告げたのは、私の知らない人の名前でした。
私も彼女も、そして彼女が好きだというその人も女性。
「私が彼女と結ばれ得ない唯一の理由」
として拠り所にしていたものが、
一気に崩されました。
動揺する私に気付かず彼女は
その人とのいろいろなエピソードや悩みをこまごまと語り、
「『愛は勝つ』がむなしく聞こえる」
と言いました。
当時、ものすごく流行っていた歌でした。
うん、勝たないね、と思いました。
だってあなたを好きな私が電話の向こうで
こんな切ない思いをしているくらいだもの、
勝つわけがない。
でも、やっぱり言えなかった。

それから彼女はなんとその人に気持ちを告げ、
なんと付き合いはじめ、
なんと同居するようになりました。
最初のうちはよかったのですが、
だんだんうまくゆかなくなっていったそうです。
そのへんも、それなりに本人から直接聞いていました。
すごく苦しかったです。

そうこうするうち
私が家の事情で地元に戻らねばならなくなり、
戻る前最後に会ったとき
とうとうヤケになって
「私が好きだったのはあなたよ」
と言い放ってしまいました。
自分から起こした初めてのアクションでした。

それが事態を変えたようです。
その後もいろいろなことがありましたが、
彼女と一緒に暮らしはじめてもう十五年以上が過ぎました。
困難でしたが、愛は勝ちました。

(ぽちか)

男性が男性に、女性が女性に恋をする。
そのタイプの投稿を、ときどきいただきます。
ここに載せさせていただいたこともありました。

誰かがそうしようと言ったわけでもないのですが、
われわれくちずさみ委員会の面々は、
同性同士の恋について大きく言及することを
ほとんどしてこなかったと思います。

それをとくべつなこととして受けとめるのが、
なんだか違うなぁと、ぼくは感じていたので。
なんというか、投稿者への礼儀のような気持ちで。
(他のメンバーもたぶん近い気持ち?)

だから、同性間のエピソードでも、
あくまで「ひとつの恋の話」として受けとめ、
自分に語れる身の丈の感想などを書いてきたつもりです。
(ぽちか)さんの投稿にも、同じ姿勢でいます。

「私も彼女も、そして彼女が好きだというその人も女性。」

この1行では、たしかに「お」と思いました。
でも、自分がいいなぁと思った主軸はそこじゃない。

長く長く、想い続けて、くるしい思いをしたあげく、
ようやく言えた、絞り出すような告白。
そしてそこからの幸せな顛末。
最後のすばらしい一行。
この流れに、しびれたんです。
「困難でしたが、愛は勝ちました」
しんびれる〜〜〜。

勝つわけがない。
ずっと言わなかった、ずっと言えなかった、
けれども物理的に
離れ離れになることになったとき、
“とうとうヤケになって”告白。
‥‥と、(ぽちか)さんは書くけれど、
ぼくは、思うのです。
高校生のときから、ずっと、
気持ちをためて、ためて、
ためつづけてきたから、
“そのとき”に言えたんだと。
そして、そのときじゃなければ、
いけなかったんじゃないかと。

そして、(ぽちか)さんの心が
途中でポキリと折れなかったつよさ、
そして、いまも続いている、たしかさ。
すごいなあと思います。

山下さんが言うように、
みなさんが寄せてくださる大事な大事な
「たったひとつのエピソード」は、
相手が異性でも同性でも、
くらべようのない価値として輝いていて、
だからそのことをことさら強調して驚いたりは
しなかったんですけれど、
今回、ひとつだけ、ここはすごいよなと
思ったところがありました。
「私が彼女と結ばれ得ない唯一の理由」
というところ。
好きだとかそうじゃないとか、
そういう理由じゃなくて、
「彼女のほうには、その選択肢が、
 そもそも、ない」と思いたかった。
それが崩れちゃったんだもの、
どんなにくやしかったろう。

でも、こうなると妄想に近いんだけれど、
もしかしたら、ずっと(ぽちか)さんが
思いつづけてきたということが、
彼女を少しずつ変化させる力に
なっていたのかもしれないですよ。

これね、薄目で、遠くから読まないと、
泣いちゃうんですよ。いや、ほんと。

何度かここに書いてきましたが、
「実話ゆえの演出なき短い経過説明」が
ものすごく効果的に働いて、
弾丸が真ん中を射貫く、
みたいになっちゃうんです。

だって、
クライマックスもエンディングも、
最後のたった4行です。
そのなかに、テーマまで入ってる。

「愛は勝つ」ということを
こんなにも本質的に力強く表現できたものを
ぼくはちょっと知りません。

そして、物語のようなお話が
ただの事実だということが、
どんなにか現実のぼくらを勇気づけることか。
それが悲劇であれ、祝福すべきお話であれ。

同性同士の恋愛は、わたしたちのまわりで
とくべつなことではないと思っているのですが、
好きな人の好きな相手も同性で、
つきあいはじめて、別れて、
そのあと(ぽちか)さんが思いを告げて、
15年、いっしょに住んでいる、
その事実に、引き込まれるように読みました。
「愛は勝ちました」
この一文に、永田のいうとおり、
ぶわっとあふれる涙を
おさえることはできませんでした。

「どんなに困難でも」ということを
40代の自分に、
事実と年月を通して教えてくれる、
みなさんの投稿に感謝するばかりです。
人を好きになるって、簡単なことじゃない。
そのことをすっかり忘れそうになって
毎日を送っているのですが、
こうして思い出すことができます。

なぜ目の前の人を好きになって
どんな運命でここまできたのか。
そういえばそうだったそうだった、と
思いながら、今日も夕暮れのスーパーへ。
忘れちゃってるけど、みんなのなかにも、
きっと恋歌がある!

みなさん、投稿をぜひお送りください。
お待ちしています。
それではまた、水曜に。

 

2012-05-26-SAT

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