ああ、もう、そこを気にしつつも、
全体の大河ロマン的な文脈について
語ろうとしてたのに!
スガノよ、おお、スガノよ!
同感だ。同感であるぞ。
なんでチューやねん。
ごめん、やっぱりつき合えない、
は、ええわい。
泣いてしまった私を
優しく抱きとめるのも、ええわい。
なんでチューやねん。
21歳のとき、携帯電話もない時代に
偶然が重なり再会するのも、ええわい。
家まで送ってくれるとちゅうに
やっぱり、なんでチューやねん。
ほら! こんなこと言ってるから
ちっとも全体のデスティニーに触れられない。
森を見ず木を凝視、とはこのことです。
木をとりなおして。
否、気をとりなおして。
「クロスすることはあっても
決して結ばれない私と彼の人生」
という一文が秀逸です。
恋歌の染みこんだ世代ならではの、
「詩的」というよりも
「詞的」なフレーズだなあと思いました。
また、文中に登場する「震災」は
「阪神・淡路大震災」のことでしょうか?
それが、終わったふたりの再会のきっかけに
なることもあるのだなと思う一方で、
あの日からずいぶん長い月日が経っている
(再会したふたりが5年後に別れ、
そこからさらに10年が経つほど!)
ことに、少しおどろいてしまいました。
読み応えのある恋の思い出、
どうもありがとうございました。
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