『SNOW DANCE』
 DREAMS COME TRUE

 
1999年(平成11年)

彼の街で
就職しようとしたのに、
喜んでくれないのは、なぜ?
  (投稿者・かあさん)

ハラハラ舞う雪になって
あなたのホホをそっと撫でて
サヨナラサヨナラ 歌って 街を渡って
どこへ行こう 吹かれて行こう

学生時代から3年間つきあっていた彼がいました。
私が就職で地元に帰り、
遠距離恋愛になって2年目の夏、
ずっと彼と過ごしたいと思い、
彼の実家のある街で就職試験を
受けなおすことにしました。

でも、彼はそれほど喜ぶわけでもなく、
かえって負担を感じているような素振り。
結果、彼と喧嘩し、面接まで受けていた
就職試験も途中でキャンセルすることとしました。
私自身、それまでの仕事が
おもしろくなってきたころで、
「辞めていってあげるのに」
なんて思っていたところもあるんだと思います。

「結婚したら‥‥」「結婚しようね」
なんて言葉も出ていたのに、
その夏の一件以来、二人の間の時間軸は
そのときの「現在」でとどまるようになりました。 

いまさえ楽しければいい。先のことはわからない。
お互いにそう感じていても、
あえて言葉に出していませんでした。

ときは1900年代最後、
来年は2000年、「ミレニアム婚」なんて
華やかな言葉が流行ってきたころ。
その華やかさは
私には他人事のように感じられました。

穏やかな関係は保ちつつも、
ギクシャクしているのを感じたのか、
クリスマスに、
かねて私が行きたいと言っていた山の温泉に
彼が連れていってくれることになりました。

そのときに、彼の車に私が持ち込んだのが
この曲でした。

粉雪が舞う中で聞くこの曲は本当に素敵でした。
でも、この曲を持ち込んだのは、
「大好き」「ずっと一緒にいたい」
そう言っていたけれど、無意識に
「もう潮どきだな」って、
あきらめていたからなのかもしれません。
 
その半年後、彼とはお別れすることになりました。

昨年の秋、別れてから11年を経て、
その彼と再会し、飲みました。
お互いに別の人と結婚し、
子供も生まれ、それぞれの仕事は
そのまま続けていました。

彼の街に転職しようとした話になって、
「あのときは嬉しかった。
 でも、そのときの仕事場に就職するまで
 一生懸命勉強していたのを知ってるし、
 仕事をがんばっているのを見てて、
 複雑な想いだったんだ‥‥」
と彼から言われました。

どうしてあのころ、
お互いにもっと素直になれなかったのかな。
お互いにいまだからこそ言えたんだろうなぁ、
と、彼の住む街から遠く離れた街で、
ハラハラ舞う雪を見て思います。

(かあさん)

知らなかったこの歌、
なんじゃ、すごいいい歌だ!
ハラハラ舞う雪みたいに、サヨナラって
さーっと去っていけたらいいですね。
恋だけじゃなく、いつどんなときでもね!

でも、そんな気持ちとは裏腹に、
こうも思うんです。
どうして、あのとき‥‥
すみません。
わたくし、実はしつこい性格でした。
すみません。

遠く離れた彼とつながった空、
見上げる気持ちほど尊いものはない、
と思うのであります。

雪の降らない静岡そだちなので、
恋に「粉雪の舞う」思い出がなくって、
それだけに、こんな雪国のエピソードを、
その悲しみもふくめて、
いいなあって思います。
その後暮らしている東京は
雪もちょっとは降りますけど、
この歌みたいに頬をそっと撫でて
ハラハラ舞うというより、
べちょっとしているような‥‥
やっぱり粉雪、いいなあ。

いやいや、雪に限らないんだった。
空を仰いだり、新緑を見たり、
夏の陽射しをあびたり、
くるくる舞う落ち葉を見つけたりすると、
以前よりずっと、
「何かを思い出す」ことが増えました。
恋にかぎらず、
いくつかの別れを経験して、
思ったよりもたくさんの
別れの記憶が重なっているのかも。

ところで「複雑な思い」って
たしかに言葉で説明できなかった!
複雑としかいいようがないというか。
いまのほうがわりとしつこく
「こういう気持ちなんだけど?」と
説明するようになった気がします。

このコーナーによせられる
たくさんの恋歌投稿を読むうちに、
ああ、そうなのかと、
ぼんやり思いはじめたことがあります。

遠距離恋愛がむつかしい、
というのは、以前から知ってました。
それに加えて、もうひとつ思ったことは、
一方が学生にとどまり、
一方が社会人になるとき、
それまでになかった隔たりができるということ。
そして、そのふたつがかさなったときに、
より大きな距離ができるのだなということです。

これまでに、そういう投稿をいくつも読みました。
ふたりの距離が開き、暮らしが変わるとき、
学生時代の関係はある種の変質を迫られる。
絶対に避けられない障害ではないけれど、
それは学生時代のふたりにとって大きな試練となる。

そして、届くメールを読みながら、
意外にもぼくが感じていることは、
ひょっとしたらそれは
悪いことばかりじゃないのかもしれない、
ということです。
もちろん、まことに勝手ながら、
という注釈つきではあるのですが。

季節が終わると散る花があるように、
そういう季節の節目に終わる恋があって、
だからこそはじまる生活や開ける風景がある。

今回届いたような、
「あのころ」を懐かしく悔やみながらも、
過去に取りすがってるわけではない、という
さわやかなメールを読むにつけ、
そんなふうなことをぼんやり感じました。

「もしもほかの動物だったら」と、
くだらない考えをめぐらせることがあります。
とうとつでした。
なにが言いたいかといいますと、
「遠距離恋愛」は人間だけだなぁ、と。
イヌもネコもゴリラもウサギもメダカもセミも、
好きな者同士が近くにいられなくなったら、
もう、恋はそれで終わりです。
「会わないけど付き合ってます」はあり得ない。
‥‥ああ、ものすごく当たり前の、
しかも奇妙なことを書きだしてしまった。
でも、思うんです。
離れたままで恋愛関係を維持するのは、
本質的に動物的に、
そもそもたいへん困難なことなのだなぁ、と。

ぼくにも、遠距離でのその経験がありました。
そしてそれはご多分にもれず、はかなく終わりました。
で、そのときに、
「これはそもそも動物として無理がある!」
若い自分がそう思ったことを、
(かあさん)さんの投稿と、
上の3人のコメントを読んで思い出したのでした。

永田さんの言う通りだなー。
そんなに悪いことばかりじゃあないと、
今になって思えています。
あのころしんどい思いをしたことは、
自分の中で何か説明のできないいいものになり、
さまざまな場面で支えてくれているような気がします。

通らなくてよかった道は、なかった。

などと語るには、
まだまだ生意気なのかもしれないけれど。

それでは、また。
たいせつな思い出と、その傍らにあった恋の歌、
これからもお待ちしています。

 

2012-06-02-SAT

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