『Talk Walk Drive』
 Julia Fordham

 
1991年(平成3年)
 (アルバム“Swept”に収録)

 彼は、カトリックの
 司祭の道に進むため、
 恋愛はしないと
 決めていたのでした。
   (海)

why don't you say what you mean?
mean what you say
I won't let you talk walk drive away

ジュリア・フォーダムさんの“Talk Walk Drive”を
某CMのBGMとして聴いた瞬間、彼女の歌に惹かれ、
そのままCDを購入してしまった私。
15の時に日本を離れて海外で学生生活を始めてからも、
彼女のCDを宝物としてずっと聴いていました。
でもその頃は、彼女の歌声と
スタイリッシュな雰囲気が好きで、
歌詞の意味なんて気にしてませんでした。

アメリカの大学に進学して、2年目。
参加していたボランティアのサークルの
勧誘をしていた時に出会った彼を見た瞬間、私は、
“ああああああああ、これが友達が言っていた
 恋に落ちるって気持ちなんだ”と
思わず客観的になってしまうくらい、
ものすごい勢いで激しく深く
片思いを始めてしまいました。

遅くきた初恋は、めちゃくちゃ苦しくて
甘くて感情的なものでした。
恋愛にたいして淡白で理性的すぎるのかも、
とひっそり心配していたのが信じられないくらい、
私は恋をしてしまっていたんです。

でも、私の好きになった彼は、大学を卒業した後は
カトリックの司祭になる事を考えていたのです。
カトリックの司祭は妻帯不可。
彼は、その道に進むため、
恋愛はしないと決めていたのでした。

それから1年半の苦しい片思い、
叶わないのだろう、
でも叶わなくてもとても良い友人を得て、
とても大切な初恋をしたんだから、
とほぼ諦めていた私にキスをした彼。
キスされた私も、キスした彼も、
果たしてこの気持ちは恋なのか、
それともこれは親愛の延長なのか、
分からなくて苦しくてでも愛しくて。
このキスをきっかけに、私の初恋は、
片思いの時の苦しさが懐かしくなる程の
辛くて甘くて狂いそうなくらい
切ない愛になってしまいました。

彼の進もうと思う道を応援したい気持ちと、
彼と一緒にいたい気持ちがぐちゃぐちゃになって。

彼も同じ気持ちだったんだと思います。
キスをしてから卒業までの半年間、
私達は傷つけあっているのに
離れられない状況に陥ってしまいました。

この気持ちから離れたくて、
でも彼からは離れたくなくて。
卒業後の行き先が同じ州(でも違う街)に
なってしまった私達は、引っ越しをする為に、
一緒に車でアメリカを横断することになりました。

二人きりの3日間の車の旅の間、
ずっとずっとジュリア・フォーダムさんの
“Talk Walk Drive”が
私の頭の中を巡っていました。
この旅が多分、二人きりで一緒に時間を過ごせる
最後のチャンスだとお互い分かっていました。
でも、本当に話さなくてはならない事を、
お互い話す勇気がなかったんです。
この旅を幸せな、優しい思い出にしたい、
そういう逃げの気持ちが私にも彼にもありました。
3日間、親友として、そして時々恋人として、
車の運転を交代しながらアメリカを渡りました。
偽りだと分かっていても、幸せで甘くて、
楽しい3日間の旅でした。

この旅の後、彼を完全に諦める為に、
さらに5年かかってしまいました。

あのアメリカを横断した3日の間に、
私達の関係にきちんとした終止符をうつための
会話をしておけば良かったのかもしれません。
そうしたら、あのあと5年も彼への恋や愛を
引きずる事がなかったのかもしれません。
でも、その会話をしなかったからこそ、
あの3日間は私の中で、
偽りで切ないとは分かっていても、
甘く幸せな、優しい思い出となったのだと思うんです。

今でも、私はジュリア・フォーダムさんのファンです。
でも、“Talk Walk Drive”を聴く理由は
最初のときとはがらりと変わってしまいました。

(海)

自分はあまりにも世俗的な人間なので
彼の気持ちを想像することができないのですが、
「カトリックの司祭になる」という決意は
ほんとうにほんとうにすごいことだと思うのですよ。
言葉の意味そのまま「人生を捧げる」わけだから。
でもそんな彼が、(海)さんと恋におちてしまった。
そう、おそらく、片思いアタックが成功!
というおはなしじゃなくて、
そのとき、その恋は、同時に、
彼にも訪れていたんじゃないかなあ‥‥。

でね、(海)さんは、「その3日間」に
ちゃんと終止符を打たなかったことを
すこしだけ後悔しつつも、
でも、やっぱり、その3日間が、
いま、とてもだいじな思い出になってる。
それって、彼もそうなのかもしれないなあと思うのです。
(というか、そう思いたい!)
ほんとは、今の彼は、
そんなふうに、思い出したりしてもいけないような
立場にある人なんだと思うけれど、
恋のいたみがわかる司祭さんになっていたら、
なんだか素敵だなあって。

ところで、ジュリア・フォーダムさん。
あまり存じ上げなかったのですが
中島みゆきさんの
「地上の星」を英語でカバーなさっているようですね。

武井さんの言うとおりだと思いました。
「その3日間」は、相手の彼にとっても、
きっと、だいじな思い出になっていると思います。

「苦しい苦しい片思いどうしの、両思い」
そんな印象を受けました。
一般的な成就はなかったかもしれませんが、
(海)さんが経験したそれはもしかしたら、
一種の「両思い」なのではないか、と。
‥‥勝手な解釈を失礼しました。
でもそんなふうに思ってしまうくらい、
「両者の熱情」を感じたのです。

それにしても、と思います。
事情を大きくシフトチェンジさせる事件として、
ここでもまた「キス」が登場しています。
「恋歌くちずさみ委員会」には過去にも何度か、
「とうとつなキス」によって
物語がごろーんと転がる投稿が届いているのです。

「ほぼ諦めていた私にキスをした彼。」

‥‥なんで彼はキスをしたのか?
この文面からそれはわかりません。
うかつにそんなことをするから辛い思いを‥‥と思う反面、
それは抑えられなかった溢れる行為で、
それによって、かけがえのない記憶ができたわけで‥‥。
この投稿でもやっぱり、
キスをきっかけに、ごろーんとお話が展開しています。
‥‥すごいです、キッスというものは。

はーー、とため息をつきながら
ロードムービーみたいな
恋の思い出を読み終えました。

初恋の相手が
神の道へ進む人だったというのも
なかなかないことだと思うのですが、
卒業後、ふたりが同じ州の違う街に
住むことになるというのも、
なんていう運命だろうと思います。

そのまま映画になりそうだなと思って、
あ、違うかも、と思ったのは、
こういうことが、もしくは、
ここまで運命的でなくとも、
運命的に感じるかけらのような思い出が、
人のなかに積もり積もって
映画や小説や歌をつくらせるのではないか、
ということです。

大切な思い出を、
どうもありがとうございました。

わたくし、ロードムービーが大好きです。
なぜ好きなのか。
「もとに戻らない」「前に進むだけ」
という一方向の矢印を、誰かと誰かが
狭く共有しているところが
せつないからでしょう。
旅の終わりに
「別れが待っている」というところも。
ま、考えてみれば
実生活で起こるさまざまなことの
たとえになっているから
かもしれないですね‥‥。

その、3日間のドライブ。
これ以上のシチュエーションが
ありますでしょうか。
「話さなくてはならない事」を話さなかった、
甘くてもどかしくて楽しいアメリカ横断。
のちにやってきた5年。
ほんとうに、どの映画よりも映画のようで、
映像があざやかに浮かびます。
ふたりとも優しくて、
大切にしているものも同じ。
胸がしめつけれられるけれども、
なんて幸せな時間なんだろう。

悲しみに思いを寄せつつも、とても無責任に、
いいなぁ、と思ってしまいました。
これこそが恋だろう、と。
優しい思い出こそが、
人生最高のギフトだろう、と。

ずっとあとをひく思い出は、
読んだ我々の心の余韻も長く残ります。
ほんとうに、ありがとうございました!

この週末はドライブにでも出ようかな。
また土曜にお会いしましょう。

 

2012-06-27-WED

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