『あなたに会えてよかった』
 小泉今日子

 
1991年(平成3年)

 この唄をココロにたずさえて
 会いたいなあ、と思うのです。
 (エトランジェ)

サヨナラさえ
上手に言えなかった

本当に恋して恋したあの人が、イタリアに帰ってしまった。

アメリカに来て15年。
オトナになってからの渡米だったので、
結婚して、離婚して、仕事して、恋愛をして、
いろんなことがありました。
そして、数年前にどでかい出会いがあって。
毎日、神サマに感謝するほどのシアワセがそこにはあった。
もう、こんなにシアワセでいいのかしら?! と思った。
ココロに羽がはえた。

彼は、1型糖尿病という、もう治らない病気を持っていて
(糖尿病には1型と2型とあるんですが)。
私も出来る限りのことはしたんだけど、
もうどうにもこうにも具合が悪くなって、
最近本国のイタリアに帰ってしまった。
帰る直前に、諍いがあって、けんか別れになってしまった。

1型は、すごく気を使っても、
暴れ馬を御するような困難さがあり、
それを私も一緒になって
乗り越えようとしていたんだと思います。
とはいえ、なにか素晴らしいことが
わたしにできるわけでもなく、
そして彼は帰国して静養することになりました。

あのとき、最後にどうしてケンカしたんだろう。
わたしは南へ行く出張の迎えのクルマに乗り、
彼は通りを歩いて帰った。
それが最後だった。

それから、どういうわけか、
突然、この曲が口を突いて出て来たんです。
小泉今日子さんのファンだったということも、
この曲を特に重要に覚えていたわけでもないのに、
「さよならさえ、上手に言えなかった〜」
というメロディーと歌詞が
脳のあるところから出て来てしまったという感じでした。

わたしがまだ日本にいた頃の。その前の。
あのように、キラキラしていた、みんなが、
「次のカードがいつでも来る」
と思っていたような、あの時代。
その頃の、テレビで聞いた、コマーシャルで聞いた、
そんな唄が、こうやって
ものすごく悲しいココロに突然蘇ってくる。
昔から洋楽派で、歌謡曲はよく聞いていなかったのに。
それでも、本当にココロがしんどい時には、
日本の歌謡曲がアタマに出てくることが多く、
帰る国があってよかった、と心底思ったりするのです。

この唄の「感じ」は、
あの頃の日本にいた者でないとわらないことで、
歌詞をどう翻訳しても伝わらないと思うんですが、
彼が静養からもし、具合がよくなって
またニューヨークに戻って来ることができたら、
この唄をココロにたずさえて会いたいなあ、と思うのです。

ああ、あなたに会えてよかった、きっと、わたし、と。
さよならさえ、上手に言えなかったけれども、
あなたには変わらずにそのままでいてほしいと、
わたしはずっと思っていたと。

(エトランジェ)

うれしいことに、
ほぼ日刊イトイ新聞の読者の方というのは
世界中にいらっしゃって、
あるときアンケートをとったところ、
だいたいの目安として、
「国連加盟国には『ほぼ日』の読者がいる」
という感じだったんです。

それで、海外にお住まいの方から、
メールをいただくことも多いんですが、
みなさんがよく書いてくださるのが、
「海外にいると、ふつうに交わされる
 日常的な日本語が恋しくなります。
 『ほぼ日』にはそれがあるので
 日本にいたときよりも
 よく読むようになりました」ということ。

いただいた投稿にある
「本当にココロがしんどい時には、
 日本の歌謡曲がアタマに出てくることが多く、
 帰る国があってよかった、
 と心底思ったりする」
という箇所を読んで、それを思い出しました。
食べ物や、ことばが恋しくなるように、
歌そのものにも郷愁があるんですね。

自分の中で、ふとよみがえったヒット曲。
ほんのり、バブルのころの
たのしかった思い出とともに。
この曲、作詞は小泉さんご本人なんですね。

ひとびとが話す言葉はもちろん、
食べ物だったり、気候だったり、
咲く花、色を変える木々、その匂い。
いろいろなものでふと故郷を思い出す、その感じは、
日本にいるぼくらよりも、
海外在住のかたのほうが、
ずっとずっと敏感に感じることなのでしょうね。
それが、(エトランジェ)さんの場合、
このKYON2の曲だったんだ‥‥。
(エトランジェ)さんとは
なんとなく世代が近いんじゃないかなあと思いつつ、
このドラマチックな(なにせ舞台がNY!)、
まだエンディングを迎えていないドラマを読みました。

それにしても、別離の瞬間の
なんとあっけないこと。

 わたしは南へ行く出張の迎えのクルマに乗り、
 彼は通りを歩いて帰った。
 それが最後だった。

ケンカを始めたときは、
それが修復不可能なことになるなんて
思いもよらないですよね。
というかぜったい修復できることを前提に
恋人たちはケンカをしたりもする。

ふたりにしあわせな続編がおとずれますように。

「海外旅行で日本食が恋しくなる」という話は、
よく耳にしていました。
ほんとにそうなのかな? と思っていました。
よその国に行っているあいだは、
その場所の食事をたのしめばいいのでは? と。
それほどのことじゃないだろうと思い込んでいたんです。
ところがです。
わたくしごとで恐縮ですが、先日うまれてはじめて
10日という期間、日本をはなれました。
そしたらなんと、3日目に禁断症状! 日本食の。
こんなにもからだが求めているものは、なんだろう?
ぐいっと考え、自分の答えが見つかりましたよ。
それは、「ダシ」でした。
出汁を、からだがものすごく求めているんです。
かつお、こんぶ、しじみ、しいたけ‥‥ああ‥‥。

奇妙なたとえですけれど、
歌謡曲とか演歌とか民謡とか、
そういう音楽は日本の人にとって
ダシのようなものなのかもしれないと思います。
「洋楽が好きです」が表面にあったとしても、
日本の人のココロの底には
そういうダシを欲する基盤が
どっしりあるのではないかと。
‥‥このごろほんとに、
いい演歌にしびれちゃう自分がいるんですよねぇ。

自分の話を失礼しました。
(エトランジェ)さんが、その彼とまた会えますように。
いろいろなことが、良い結末へと向かいますように。

キョンキョンの書く歌詞はどれもいいけど
この歌は、一行一行、ぜんぶ同意できる!
当時、頷きながら聴いたものです。
世界で一番素敵な恋をしたね、と
自分に言いたいときってありますよねー。

そうかぁ、記憶の最後が
ケンカなんですね。
そのときはどうしてもとめられなかった
出来事だったんでしょう。
でも、あとになって「どうして」と思ってしまう。

昔だったらあっさりと自分は、
「そういう運命だったんだから」と
考えていたところがありました。
でも、40歳をすぎて、どうも
あきらめちゃいけないな、
くいさがるところはくいさがらないとな、
言いたいことは伝えないと、と
思うことが多くなりました。

いつか、具合がよくなった彼に会うとき
くちずさめたらいいですね。
そう、エンディングはまだまだ、これからです。

過ぎた恋も、まだまだつづく恋も。
みなさまのくちずさみのご投稿、
お待ちしています。
次は土曜日にお会いいたしましょう!

 

2012-07-18-WED

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