「男の子の家とは逆方向の
ナンにもない土手道を
まっすぐひとりで帰りました。」
というところが切なくて好きです。
怒っていたんですね。
「怒ること」って、
表現に個人差があるんですよね。
大声を出したり、ものに当たったり
ということが苦手な人はいて、
しかし、彼らは怒らないのかというと
それは大きな誤解なんです。
怒れば怒るほど悲しくなる人だっているし、
怒っている自分をきちんと説明できることが
怒ってないということではない。
けれど、わなわな震えたり
目を血ばらせたりという人のほうを
「怒ってる人」として人は信用するんですよね。
それって、怒ることが苦手な人からすると
ちょっとした不条理なんです。
あ、話が違う方向へ行きましたが、
同級生の女の子にいじわるをされて
ものすごく腹を立てたのは、
彼女が踏み込んできたのが
とても大事な場所だったからでしょう。
怒りながら、
ナーンにもない土手をひとり歩いて帰る
その姿が目に浮かびます。
きっと、怒れば怒るほど
考えが深くなるタイプではないでしょうか。
というか、自分がそうだから、
勝手に重ねてしまうんですけれど。
ぼくも、そういうことがありました。
腹が立ったり、不条理を感じたり、
悲しくなったりすると、
なんだかひとりで歩く、みたいな。
ぼくらはどこへ行くのだろうかと
何度も口に出してみたり
熱心に考え、誰かのために祈るような
そんな気にもなるのかなんて
考えたりもするけど。
後半、引用。
それでは、次回は土曜日です。 |