『あなたを・もっと・知りたくて』
 薬師丸ひろ子

 
1985年(昭和60年)

 合奏していても、
  遙か後ろに座る彼の音だけは
明確に聞き分けることが
できました。
  (クラリネットは壊れちゃった)
いま何してるの いま何処にいるの
そして愛してる人は 誰ですか

いまからもう20年も前のこと。
ひとり悶々としていたときに、
偶然つけていたラジオからこの曲が流れてきました。
正直、ムッときたんです。
「そんなノーテンキに歌うんじゃねえ!」って。
いまなら、薬師丸ひろ子さんが
この曲を歌うときの微妙な切なさが理解できるんですが。

大学時代、同じ部活でした、彼は。
吹奏楽部。
彼はトランペット。そして僕はクラリネット。
いつの頃からか彼が気になり出してしょうがない。
合奏していても、遙か後ろに座る彼の音だけは
明確に聞き分けることができました。
彼がウォームアップに奏でていたのは
ラピュタのパズーが吹いていた「ハトと少年」。
彼のそばで聴きたくて、
何度もリクエストして吹いてもらってました。
「おまえ、この曲、ほんとに好きだな」
苦笑する彼に、
「違うよ、好きなのはおまえだ」
口にできたらどんなに幸せか。
でも、絶対に、口にしちゃいけない、
気付かれてもいけない。
精一杯、理解があって、
どんなときでもいつでも力になれる、
「部活の友達」でいることに
全力を注ぐしかなかったんですね。

苦しかったのはそれだけじゃないんです。
20歳ですからね。
恋愛感情と肉体とのバランスが取れないんです。
本当に、苦しくて、自分が汚らしくて。

そんなときに限って、
彼が終電を逃して泊まりに来たりするんです。
んで、よりにもよって
僕のベッドを占領して大の字で寝てたりする。

もうどうしようもなくって、ある晩。
寝てる彼に、キスしてしまいました。
ほんの数秒、もっと短かったかも。

でも、しなきゃ良かった。もっとつらくなった。

そのとき以降、それこそ、
いま彼が何をしているのか、何処にいるのか。
もっと言えば、恋人のいた彼が、
いまどんな顔で彼女を抱いているのか。
もう、頭のなかがぐるぐると。
だから、薬師丸ひろ子さんに、
八つ当たりしたんですね、僕は。

僕らはやがて、そのまま、
「いい友達同士」のまま、何事もなく、卒業。
彼は大学のある町で就職し、
ぼくは故郷に帰ってきました。

そのまま20年。
もう会うことはきっとないかもしれないなあ。
あれから、僕はそれなりに
いろんな人とキスをしてきたけれど、
この曲を聴くたびに、
彼の唇のひやりとした心地よさを思い出すんです。

(クラリネットは壊れちゃった)

どこにも落ち着きどころがないままに
燃えて燃えて燃え尽きちゃって
最後は空気に溶けるみたいに消えていく恋心って、
いっぱいあるんだろうなあ。
この「気づかれてはいけない」というのは
とっても苦しいと思うんですよ。
だって「気づかれたくて仕方がない」のが
恋心というものだもの。
ユーミンの「ESPER」みたいに
わかられちゃうよろこびがあるのが
みんなが求める幸せな恋の
ひとつのかたちなんだろうし‥‥。

それにしても、キス。
いろいろなシチュエーションのキスが
このコンテンツには出てきたけれど、
とりわけ、せつないキスでした。
彼はそのキスに気づいたのかなあ。
それとも、気づいたけれど、
彼にそのときできたであろう最上の方法、
つまり「気づかないふり」で、
やりすごしたのかなあ。
いや、やっぱり鈍い男のままで、
だからこそ、好きになっちゃったのかなあ。
そんなことをぐるぐる考えました。

ところで以前中島みゆきさんの「見返り美人」に寄せて
近いシチュエーションのおたよりがありました。
よかったら読んでみてくださいね。

唇、つめたかったんだね。

ああ‥‥せつないですね。
これはせつない。
武井さんも書いているけど
「気づかれちゃいけない」
というのがどうにも、せつないです。
苦しかったことでしょう。

20年前のことを書いているのに、
そのときの苦しさや後悔が、
つい最近の出来事のように伝わってきました。
ほんとうに、好きだったんですね‥‥。

投稿を、ありがとうございました。
ここにメールを書いてくださったことが、
(クラリネットは壊れちゃった)さんにとって
すこしでも安らぎになるとうれしいです。

「違うよ、好きなのはおまえだ」
という一行にこころを持っていかれます。
言えたらいいのに、という思いが
ずっとつづくのはつらいです。
「あー、忘れられるかな」ってときに
大の字になられるともう、つらー。

たしかに、薬師丸ひろ子さんのこの歌は
メロディーも前奏もなんだか
無責任のように明るい気がするんですが、
歌の内容はせつないですね。
電話をかけているようで
ベルが8つ鳴ったら切ってるし、
会いに来てって言ってるようで
じつは星空に頼んでいるだけだし。
直接言えない思いは
どんどん募ってしまいますね‥‥。

着地点とか正解とか
そんなことに関係のない思いが
きっとたくさんある。
というより、ほんとうはそういうもの
ばかりかもしれません。
「あなたを・もっと・知りたくて」
ということだけで
どんな関係も在りつづけていくのかな、
という気もします。

恋の歌というのは、
歌い継がれるものであればあるほど、
おおまかなものですよね。
具体的なエピソードが詳細に盛り込まれた歌は
ある一部の人に強烈に作用するかもしれないけど
世代を超えて伝わる歌は普遍的で
言い方を変えれば、ざっくりしてる。

だからこそ、脳天気に愛とか恋を
きれいな旋律に乗せて歌われると、
「そんなうまいことばっかじゃないよ」
と反発したくなる。

でも、本気でかかれた、「おおまかな恋」は
ずいぶんいろんな経験を経ると、
ああ、要するにそういうことだ、と
リアルに感じられるようになる。
この歌、作詞は恋歌の名手、松本隆さんです。

恋にいろんなかたちがあること、
このコーナーを通じて痛感します。
そして、それをある一定の距離を置いて
均等に眺められることが、
この「恋歌くちずさみ委員会」の
いちばんいいところなのかもしれません。
それでは、土曜日に、また。

 

2012-08-08-WED

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