『上級生』
 フィンガー5

 
1974年(昭和49年)

こんな形で
再会するなんて、
私たちは
大人になって
しまったんだ
 (ゆきむし)

あこがれの あのひとはもう

近所に彼の家族が引っ越してきたのは、
保育園の頃でした。
子どもどうしの年齢が同じだったり近かったりで、
親どうしが仲良くなり、
家族ぐるみの付き合いが始まりました。
彼は二つ上でした。

家族が一緒にキャンプに行ったり、
泊まりで長距離ドライブに行ったりしました。
出かけてひと月ほどすると、
旅行で撮った8ミリビデオの上映会がありました。  
出かけた度に、どちらかの家で
写真やビデオを見ながら夕飯を一緒に食べました。
大人たちがゆっくり飲み話し始めると
子どもたちは遊びに入って、
そのまま疲れて眠った子どもは、ベッドにおかれたまま
親は帰るということも珍しくありませんでした。
密着したつきあいというより、
大きな家族で一緒に育ったような感じでした。

小学生の3、4年生の頃になると、
次第に意識するようになりました。
彼はいつもにこにこしてもの静かで、
障害のある私の兄をいつもかばってくれました。    
たぶん初恋の人でした。
意識するようになると、なんだか今までのように遊べないし、
話もできなくなりましたが、
彼はそんな気持ちに気づいていたのかなと
思うようなことがありました。
小学校の修学旅行で長崎に行き、
真っ白なマリアさまをお土産に買ってきてくれたのです。
驚いて、お小遣いが足りたのだろうか、
と真っ先に思ったのを覚えています。
小学生にとってお小遣いの限度額は
大事なことだったんだなと思います。
私はうれしくて、きれいなマリアさまを
大切にいつもいつも眺めていました。

中学生ともなると、もう、全く話をしなくなりました。
恥ずかしさが先立つ上に、
家族ぐるみのつきあいの中ではすぐに筒抜けになるので、
好きという気持ちは誰にも悟られてはならないことでした。
学校ですれ違っても、目で挨拶するくらいでした。

そのうち彼の家族はまた転勤で別の町に引っ越しました。
子どもたちも大きくなり、
家族で遊びに行くこともなくなりました。
母親同士の話のなかで、
子どものそれぞれの進学や就職先を聞くくらいになりました。

30年経って、遠くに住んでいた私は、
思いがけずふるさとに移り住むことになりました。
母親同士は今も行き来が続いていて、
久しぶりに一緒にご飯を食べたとき、
彼がガンであることを聞きました。
家族の献身的なお世話や闘病の厳しさを聞いて、
お見舞いにも行けずにいましたが、
次の連絡があったときは、彼が亡くなったという知らせでした。

眠る彼の顔をしっかりと見ました。
恥ずかしくてずっとちゃんと顔を見ることができなかったのを、
ようやく見れました。
こんな形で再会するなんて、
私たちは大人になってしまったんだと思いました。

お悔やみの場で久しぶりに彼の家族に会いながら、
私は子ども時代のことを思い出しました。
そのとき頭の中で流れてきた音楽が、この歌でした。
小学生の頃、フィンガー5に夢中になりました。
この歌の少し大人びて、切ない感じが、
子どもの頃の景色を一気に思い出させます。

(ゆきむし)

昨日、今日といった、
短いスパンの物語ではなく、
書いてらっしゃる方と、
書かれている思い出のあいだに
しっかりと距離感が感じられるから、
読むほうとしては、安心して、
しみじみと涙することができます。

おかしな言い方ですが、
純粋に読者として、
書き手の保っている距離感に
感謝したくなりました。
こういうふうに伝えてくださって、
どうもありがとうございます。

子どものころの家族ぐるみのつき合い、
そう、こんな感じの関係が
たしかにいくつかありました。
同じ町内だったり、
年に何度か会う親戚家族だったり。
淡い恋心とは無縁の、
ただただたのしかっただけの思い出ですが、
ほんとうに帰るのが惜しいくらい
おもしろかったもの。

そういう関係って、
やっぱり長くは続かなくて、
だからこそ、あんなに
たのしかったのかもしれないですね。
なんだか、夏休みの話みたいだ。

成長していく過程で恋にかわるって、
とてもすてきなことですね。
恋に変化したとたん、
いろいろ知ってるはずの人が
なんにも知らない相手に変わっちゃったりして。
いくらでも知りたくてでも近づけなくて。
そんな人から「マリアさま」のおみやげ!
とっても素敵な男の子だったんだと思いました。

病って、あんまりですよね。
よりによって何故? という人に、おそいかかる。
いまは痛みやくるしみからときはなたれて、
きっと、ぐっすり、すやすや、休んでいることでしょう。
思い出すと「やあ」って
笑顔で起き上がったりしてくれたらいいのにね。

ところで、フィンガー5、ぼく大好きでした。
アキラくんのマネして長髪にしてたし
(当時は細かったんです)、
サングラスとかほしかったなー。
そのころの夢は
「フィンガー5に入ること」だったんだけれど、
親戚しか入れないと知りあきらめました。
持ってたシングルは、
「個人授業」「恋のダイヤル6700」
「学園天国」「恋のアメリカン・フットボール」
「恋の大予言」「華麗なうわさ」
「名犬ラッシー」「バンプ天国」の8枚。
「上級生」は、聞き覚えがあったけど
すらすら歌えないなあと思ったら、
「恋の大予言」のB面だったんですね。
そっちは歌えるよ、
♪バカラバカラペテンノフキヌケ
 アブドラバンチョノベソッカキ♪ って!

武井さんがぼくの席に来て、歌いながら言うんです。
「山下さん、恋歌のコメントよろしくね。
 ぼくはもう書いたからー。
 ♪バカラバカラペテンノフキヌケ
 アブドラバンチョノベソッカキ♪
 というわけで、今回はフィンガー5ですー」
おー、なっつかしー!
そっかー、フィンガー5かー、どんな投稿なんだろう?
と、わくわくしながら読みました。

ここで何度も書いていることばに、
「たいせつな思い出をありがとうございます」
というものがあります。
きっとこれからもこれは書くと思います。
もちろん今回もそうです。
そのことばのほかに言うべきことが見つかりません。

2012年、日ごと寒さがつのるこの季節に
お会いしたことのない誰かの
こんなにたいせつなあたたかい思い出を
からだにしみ込ませるように読むことができた‥‥。
「恋歌くちずさみ委員会」をやっててよかったと
こころから思います。

(ゆきむし)さん、ありがとうございます。
照れずに言えば、これを読んで、
いろんな人にやさしくしたくなりました。
ありがとうございました。

私が40歳の誕生日に
10歳の息子がくれた手紙があります。
息子は、ペットのハムスターが死んだあとで、
「死ぬこと」について
考えだしたときでした。

「もしも、おかあさんが
 ぼくより先に死んだら、
 天国の入口で待っていてください。
 そしたらまた会って、あそびましょう」

そっかー。
大事な人とはそういう約束をしておけば
また会えるんだ。
そう思いました。

小さなころに兄妹のように
なかよくしていた人ですもの、また会えます。
子どものときに戻って、小さいまま、
ずっとフィンガー5を唄って遊びたいですね。

肉親のような親しさがあって、
恋があって、友情のような距離があって。
すてきな投稿をほんとうにありがとうございました。

2012年、残り少なくなりました。
今週の土曜もまた、恋歌でお会いいたしましょう。

2012-12-19-WED

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