『Prisoner Of Love』
 宇多田ヒカル

 
2008年(平成20年)

 大学に受かったら
 先生に連絡しよう。
 どこに行っても、
 先生に誇れるように過ごそう 。
  (とある大学生)

退屈な毎日が急に輝きだした
あなたが現れたあの日から
孤独でもつらくても平気だと思えた

今でも好きというか、
未だに心の大部分を占めているひとの話です。
ずいぶん長くなりますが、ご容赦ください。

その人は、中学校の吹奏楽部の顧問をしていた先生です。
ステージで着るタキシードがとてもよく似合っていて、
二枚目という言葉が似つかわしい、
とても素敵な先生でした。
思い出すと、とても温かい気持ちになります。

この曲は高校生になってから聞いた曲ですが、
唄の歌詞を中学生の自分に重ねてずっと聞いていました。
先生との出会いが、歌詞その通りだったのです。
始業式の集会で生徒と先生が集められた体育館に、
先生はいました。
私は、新しく部活の顧問になる先生はどんなだろう
と背伸びをして壇上を見ていました。
それが、私の日常が輝き始めた瞬間でした。
その後、部活で接するようになり、演奏会や練習を通して、
気がついたら、誰よりも好きになっていました。
でも、先生はもう結婚されていて子どももいる、
と聞いて、とてもがっかりしました。
それでも、一緒にいれればいいやと思って、
2年間ずっと片想いしていました。
たぶん…片想いしていたのは
バレバレだったと思います。(本人にも周りにも)
当時の私の様子を良く知る同級生には
今でもネタにされて笑われるくらいなので‥‥。

今思うと非常に恥ずかしいことばかり
していたように思いますが、その当時は必死でした。
中学生故に部活の人間関係が面倒臭くて、
劣等感や孤独を感じる毎日のさなか、
なかなか楽器が上達しなかったり、
周りとうまくいかなかったりして、
悩んでばっかりだったな、と思います。
今思うとどうしてそんなに悩んでいたのかと思うほどに。
先生にたまに悩みを聞いてもらうこともありました。
つらかったけど、先生との時間は貴重でした。
部活は悩みの種であると同時に、
先生に会える自分にとってこの上ない幸福の時間でした。

そうして部活を続けるうちに、
私は先生の経歴を知るようになります。
先生は地方から都会に出て、
大学で本格的に吹奏楽をやっていたそうです。
大学でのお話を聞くのが、私はとても好きでした。
そのうち、私も東京の大学に行きたい、
と思うようになりました。
吹奏楽を続けられたら続けよう。
続けて先生とまた演奏しよう。
もし続けられなくても、
大学に受かったら先生に連絡しよう。
どこに行っても、先生に誇れるように過ごしていこう。
誰にも言っていないけれど、そう心のなかで決めました。

そして、私は中学を卒業し、隣の市の高校へ進学しました。
同じ年に、先生も母校から転勤しました。
そのとき、転勤先では現場ではなく偉い立場になるので、
部活の顧問になることはない、ということも知りました。
また先生と演奏するのを密かな目標にしていた私は、
先生が続けていない吹奏楽にやる意味を見出せず、
高校では吹奏楽部には入りませんでした。
しかし、先生のことを忘れた日はありませんでした。

時は少し経って3年後。
先生と同じ大学ではありませんが私は東京の大学に合格し、
先生に連絡しようと思っていた頃。
あの震災が起こりました。

安否を確認したかったけれど、
何回かけても電話は通じませんでした。
上京してからも電話をかけましたが、
やはり繋がりませんでした。

やっと繋がったのが去年の今ごろのこと。
大学に受かって東京にいること、
吹奏楽は続けていないことなどを話しました。
中学生のあの頃より少し声は枯れたように思いましたが、
独特のユーモアのある話しぶりはまさしく先生でした。

『明るい声が聞けてよかった。』

最後に先生はそう言っていました。
私もあなたの声がきけてよかった。

ただ、そのときにわかってしまったのは、
もう私が好きだった先生は変わっちゃったんだな、
ということです。
本質は同じだけど、
自分が恋焦がれた先生はもういないのだと。
5年の月日の流れを感じて、少しせつなくなりました。
自分も中学生のときとは確実に変わっているし。
それまで先生の面影を追うようなことばかりしていましたが、
それからはもうやめました。

そのあと彼氏ができたり別れたりしましたが、
今でも好きだと胸を張って言えるのは先生だけです。
そして、吹奏楽は続けていないけれど、
これからも先生に誇れるような人生を
生きていきたいと思っています。

実家に帰って片付けしていたら、
この曲のアルバムが出てきたので、
懐かしくなって投稿した次第です。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

(とある大学生)

こちらこそ、ありがとうございました、
(とある大学生)さん。
最後までずーっとここちよく読むことができました。
ちっとも長く感じませんでしたよ。

実家で荷物を片付けていたら
なつかしい曲のアルバムが出てきて、
そこから思い出があふれるように‥‥。
ありますよね、そういうこと。
それをていねいに書いてくださった文面には、
しずかな表現の中にも
抑えられない気持ちが現れていると思いました。

「私もあなたの声がきけてよかった。」

この一行に含まれている、
たっぷりとしたあれこれを思うと、
読んでいて胸がいっぱいになります。
でも、せつない内容ではあるけれど、
(とある大学生)さんの文章は、いいですねー。
しっかりと前を向いているムードがあります。
きっとそれは、肯定感に満ちているからでしょう。
「思い出すと、とても温かい気持ちになります。」
素直にそう言える思い出。うらやましいです。

うらやましいことが、もうひとつ。
「あの人に誇れるような生き方をしていこう」
そう思える人がいる、ということ。
これはほんとうに、すてきなことだと思います。

ぼくらが勝手に呼んでいる「恋歌世代」、
ざっと40代を中心にした方からの投稿においては、
「その後、時は流れ‥‥」という場合
だいたい10年くらいがびゅんと過ぎてしまいます。
極端な場合、20年とか30年とかが
ふとした行間にドーンと経過してしまいます。

今回いただいた投稿も、
いつも寄せられる投稿と同様の
濃さと切なさにあふれる恋の思い出なのですが、
驚いたのは、これほど長い経過を感じさせながらも、
実際の年月としては、
5年「しか」過ぎてなかったこと。

いえ、それが短いとか、長いとか、
そういうことではなくて、
あらためて痛感したのは、
「年をとるにしたがって
 時間の経過は加速的にはやくなる」
ということです。

小学校の6年間って、永遠に感じませんでした?
中学校の3年間もたいへんな達成感がありました。
けれども、大学の4年間は?
社会に出てからの10年は?

なんだかしらないけど、びゅんびゅん時は過ぎます。
けれども、いただいた投稿を読んで、
ほんとうにしみじみと感じました。
数年間を果てしなく感じる、濃密な時代のことを。
青春時代はあっという間に過ぎるというけれど、
青春時代は、あっという間だけど、
あっという間じゃないんだよなぁ。

ちょっと、くらくらしますね。

うん、その頃の「5年」は大きいですね。
先生も変わるし自分も変わる。
中学生が大学生になっちゃうんですもん。

私の心にせまったのは、やはり、
「Prisoner Of Love」の歌詞にもある、
先生を見た瞬間から日々が輝き出すシーン。
それまでとまったく違った価値観がやってくる。
自分がとらわれていたつまんない欲からも
開放されたりしますよね。
あれはフシギ。
先生、カッコよかったんだろうなぁ。

気の合う人たちとの出会いって、貴重です。
そうザラにいるもんじゃねぇぜ、
と、忌野清志郎さんも唄っていました。

そんな人のことを胸に、
生きていけるなんて、とてもステキだと思います。

ツライ恋ほど、がんばれますよね。
恋にがんばるっていうよりも、
毎日の暮らしというか、
「がんばるんだ!」と自分をはげまして
生きていくような感じになる。
部活を続けるなかで、先生の経歴を知り、
じぶんも東京に行きたいと思うようになる、
というそのあたり、なんだかNHKの
朝の連ドラを見ているみたいで。

しかし「オトナになっても先生と吹奏楽」
っていう夢はちょっと面白いな。
どうやったら実現したんだろ?
教員になって、ライバル校の顧問として
対決するとか‥‥ふふふ。

(とある大学生)さん、
「今でも好きだと胸を張って言えるのは先生だけ」
っておっしゃるけれど、
きっと出てきますって!
また別の意味でちゃんと「好き」だと
胸を張って言えるひとが!

みなさま、恋歌とともに、よい週末を。
次回は水曜日にお目にかかりましょう!

2013-03-30-SAT

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