『風の坂道』
 小田和正

 
1993年(平成5年)

そんな日々に
変化が訪れたのは、
お互いの
進路の選択のときでした。
 (よーへい)

誰れのものでも 誰れの為でもない
かけがえのないこの僕の人生

いまから約10年前、仙台にある大学に入ったとき、
一般教養のクラスの花見でたまたま隣になった彼女。
選んだ授業が重なることが多く、
合間に学食でランチしたり、図書館で勉強したり、と
一緒に過ごす時間が多くなりました。
そして気がつけば自然と、
週の半分は彼女のマンションで過ごす、
という関係になっていました。

進んだ研究室こそ違いましたが、
お互いに前のめりで真面目すぎる学生でした。
彼女の部屋で、それぞれのゼミの準備のために
文献を読み資料を作る毎日。
そして週に1度は、彼女の手料理とお酒を楽しみつつ、
夜遅くまでお互いの研究の課題や研究の悩みを語りあう、
そんな毎日を過ごしていました。

僕にとっての大学時代は
彼女との日々とも言える毎日でした。
学生時代特有のゆったりとした、
しかし将来への不安もある時間すべてを
志を共にできる人と過ごせたのは、
今思うと本当に幸せでした。

そんな日々に変化が訪れたのは、
お互いの進路の選択のときでした。

大学院に進むか、就職するか。

研究の世界に惹かれながらも、
僕は「もっと広い分野で勝負したい」と、
東京の企業に就職することを選びました。
対する彼女は、更に研究がしたい、と、
そのまま仙台で大学院に進む道を選びました。

進路が決まってからも僕らの付き合いは続きました。
お互い励ましあいながら卒業論文に取り組む毎日。
しかし、いよいよ追い込みという12月のある日、
いつものように学食で二人ランチをしていたときのこと。
不意に彼女が
「私たち、来年からどうなっちゃうんだろうな」
と呟いた瞬間。
「なぁに、このまま続いていくよ」と答えながらも、
場所も遠く離れて、目指す道も全く異なってしまったら、
目の前のことに真っ直ぐに打ち込む僕らは
どうなってしまうんだろうという不安が、
僕の中で明確なものになってしまいました。

年が明け、卒業論文を提出した直後、
二人で卒業旅行に出かけ、
帰りの飛行機の中で話しながら
「別れよう」と決めました。

3月の卒業式のあと
「じゃあ、元気で」と言って固く握手をして、
僕は一人上京し、就職しました。
暫くは仕事にも東京の暮らしにも慣れず
彼女のことを思って
寂しくて寂しくて仕方ない日もありました。
なんで別れてしまったのだろう、と。

そんなときに繰り返し聴いたのが
小田和正の「風の坂道」。
あの幸せだった大切な日々は大切に、しかし、
これからの「僕」の人生を
懸命に生きていかなくてはならない、と、
がむしゃらに仕事と東京の生活に
喰らいついて頑張ってきました。

僕が上京してから約7年。
必死でやってきた成果が出たのか、
中堅社員としては
異例と言われるような役職を社内で得て、
大きなプロジェクトを
任せていただけるようになりました。
他方、彼女も研究に邁進し、
都内の研究機関に招かれ、
東京で暮らすようになりました。

そんなわけで、いまはそれぞれ別の恋人もいるのですが、
たまに2人で仕事の話を肴に飲むようになりました。
昔の「前のめりだった時代の自分たち」
を懐かしみながら、お互いに高めあうための、
最高の親友かつ戦友として。

(よーへい)

小田和正さんの「風の坂道」を
これまで知らなかったのですが、
(よーへい)さんの投稿を読んだあとで
はじめて歌詞を追ってみました。

ほんとうにぴったりの歌ですね。
ふたりのために書かれたと言われたら
信じてしまいそうな歌詞でした。

ふと大貫妙子さんの「風の道」を思い出しました。
偶然にもタイトルが似ています。
大貫さんはこう歌います。

「いまでは他人と
 呼ばれるふたりに
 決して譲れぬ
 生き方があった」

メールにも、歌詞にも出てきますが
「人生」ということば。
出会うよろこびも別れる悲しみも
それをすべて引き受けていくことも
ぜんぶ「人生」で、
それが「僕の人生」だとしか言いようがない。
せつないし、けっこうたいへんだけど、
わるくない。そんな気がします。

ふたりが結ばれていない結末なのに、
ブラボーーー! と思いました。

誠実に恋をして、懸命に勉強を重ねて、
真面目に将来を考えた上で、
きちんと決めたことだから
きっと後悔がないのでしょう。
文面が、すがすがしさに満ちている気がしました。
(淋しさはもちろんあったでしょうけれど)
スポーツで「フェアプレイのすごくいい試合」を
観終わったときのような感覚です。

いまのおふたりの関係、すばらしいです。
「最高の親友かつ戦友」
そんなふうに言える異性の友人、
ぼくはそれ、ひとつの理想だと思います。

「くり返し、同じ曲を聴く」
という時期が、ありますよね、人生には。

たぶん、幸せなときには、それはなくて、
思いがかなわなかったり、
埋めたい心の穴があるようなときに、
人は、「くり返し、同じ曲を聴く」のかもしれません。

そういう悲しい経験が、
人生には必要だとまではいえないのですが、
そういう悲しいひとときに、
寄り添ってくれるぴったりの歌があるというのは、
悲しいなかにも、いいことだと思います。

助かるんですよね、
聴いてるあいだだけでも、その曲と向き合えると。
それは、ただ黙ってうなずいてくれる
友だちのようなものだったりする。

進路がわかれるときの
恋人たちが取る行動はいろいろありますが、
このおふたりは‥‥なんというか
とてもクレバーでイーブンで正々堂々。
互いを尊重し合うって、
こういうことを言うんだなぁと思いました。
尊重とは、友情にもっとも必要なものだと
私は思います。
だからいまもおふたりは
親しくすることができるんだろうなぁ。

自分の人生が大切と思うのと同じくらい
相手は相手の人生が大切なんですもの。
それを忘れちゃ、いけないね。
相手が子どもでもね、親でも、知らない人でもね。
誰のためでもなく自分のために生きるのだ。
「二人で生きる夢破れても」明日はくるのだ。
ホントに連日すてきな投稿です、
ありがとうございました!

2013-05-01-WED

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