『生きてる生きてく』
 福山雅治

 
2012年(平成24年)

この2人のこれからを
見守っていきたいと思います。 
     (サンジの母)

こんな僕の青春の傷跡や甘酸っぱさが
100年先で恋をしてる遺伝子に
勇気になれますように

今日は小学校の運動会。
受験勉強の息抜きにと
中3の長女にお願いした写真係。
長女は弟2人の騎馬戦やダンス等を
楽しそうに撮っていました。

運動会の帰り道、長女が
「お母さん、きいて!
 今日ね、T君とY君に会ったんだけど、
 T君がY君に“おまえら、同じクラスじゃね?”
 って言ったらね、
 Y君、なんて言ったと思う?
 “さぁ‥‥? そうかも‥‥” よ!
 ひどくない?
 私、隣の席なのに。
 どんだけ女子に興味ないん?
 ムカつくー」
と、マシンガンのようにしゃべってきました。
Y君、いつも男子に囲まれていて
女子とほとんど話さないそうです。

でも‥‥たぶん
興味ないなんてこと、ないと思うよ。

だって、
Y君は見ていたもの。
ずっと。あなたを。
 
運動会終了後、
弟2人の下校を待つ間、体育館の横で
撮った写真をチェックしている姿を
ずっと彼は見ていました。
声をかけるには遠いけれど、
目があったらバイバイできるくらいの距離で。
 
帰り道、二男のダンスの曲
「生きてる生きてく」をうたう長女。
この2人がどうなっていくのか
そっと見守っていきたいと思います。
 
Y君、がんばって。

(サンジの母)
なんと、おかあさんからの投稿です!
母は、当の娘は気づいていない(たぶん)、
たっぷりとそそがれている気持ちを
手に取るようにわかっている。
そして、視線の主を応援しつつ
ふたりのこれからを見守っている‥‥!
無邪気な娘の口から出てくる恋歌は、
『生きてる生きてく』。

あたたかい視線のいきかう、現在進行形。
イェーーイッ、おかあさん、イェーーイッ。
わあ、現在進行形のラブコメ(古い?)みたい!

「声をかけるには遠いけれど、
 目があったらバイバイできるくらいの距離」

ああ、いいなあ、しみじみ、いいなあ。

そしてそんなY君は
「同じクラスかどうか知らない」と、
これまた、照れるにもいいかげんにしろ!
というくらいの方便を使う。
男子ってそういうものなんですよ。

それにしても「おかあさん」って、
たのしそうだなー。
わおわお、すばらしい。
そうかぁ、こういう視点からの「恋歌」ですか。
この曲は果たして、お嬢さんの「恋歌」にも、
なっていくのでしょうかどうなのでしょうか。
たのしみがいっぱいですね。

(サンジの母)さんのお母さんも、
(サンジの母)さんのことをそうやって
見つめていたのかも。
そしてさらに、
(サンジの母)さんのお母さんのお母さんも‥‥。
いいものですね。
「自分の子どもがちゃんと恋をしている」
これを知ることは親にとっておおきなよろこびだと思います。

運動会の日の、懐かしい風の匂いがするような
さわやかな投稿をありがとうございました。
あの、自分が親になると
たいへんよくわかるんですけれども、
子どものちょっとした照れ隠しとか
ごまかしとか見栄とか、親からすると
あっさり丸見えだったりしますよね。

で、思うのは、昔、
自分がうまくやったつもりでいた、
さまざまなそういうことも、
大人たちには
まるわかりだったんだろうなあと。

「声をかけるには遠いけれど、
 目があったらバイバイできるくらいの距離」
で手持ち無沙汰にうろうろ
してたようなこととかね。

親目線の素敵な投稿、
どうもありがとうございました。
それでは、また。

 

2013-05-18-SAT

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