『夏のクラクション』
 稲垣潤一

 
1983年(昭和58年)

そんな自分が
誰かから告白されるなんて
思ってもみませんでした
  (夕凪)

胸がいたい 胸がいたい

高校2年生の夏、同じクラスのその人に告白されました。
当時の自分は自分で自分のことが好きになれず、
「どうして、好きなんだろ?」と。

中学時代の友人に誘われた部活をなんとなく続け
部活の顧問の先生が成績に厳しかったので、
なんとなく勉強をして学年でも成績優秀で
学校の先生からするといわゆる優等生でした。
本当は、自分では何もやることが見つけられず
毎日ただ高校に通っていただけ。
そんな自分が誰かから告白されるなんて
思ってもみませんでした。

海に近い高校で、海岸線を二人きりで歩きました。
ちょうど、試験が終わり夏休みが始まる前の暑い日でした。
「自分のことが好きになれない、
 だから、あなたの気持ちにも答えられない」
というようなことを、
公園の木陰でぼんやりと答えた気がします。

次の日その人は長かった髪を短く切って教室に現れました。
クラスでも目立つ存在で同級生に髪のことをからかわれ、
照れていた横顔を思い出します。 
夏休みの間、告白されたことを考えて過ごしました。

新学期、その人を見た時に胸がドキドキしました。
結局、卒業まで今度は自分が片思い‥‥。
卒業までも数人から告白されましたが、断りました。

彼は、大学進学しすぐに結婚。 
私は、予備校に通いながらその話を同級生から聞きました。
高校時代の彼の告白がきっかけで、
自信のない自分から少しずつ成長できた気がします。
今は「こんな自分が結構気に入っています。」
と言えるようになりました。

42歳になったこの夏に第2子を出産。今眠ってます。

(夕凪)

若い頃の自分が植物だとすると、
音楽とか本とか友だちとか、
そりゃもう、あらゆるものを
養分として吸収して、
いろんな形に成長していくわけですけど、
恋というのは、叶うにしても破れるにしても、
そうとう強烈な肥料で、
とりわけ、誰かに「好きだ」と
肯定されるというのは、
もう、格別に「効く」栄養として、
その後の成長に直結してるように思います。

海岸線を言葉少なく歩く二人を
白いクーペが追い抜いていく。
BGMは『夏のクラクション』。

見たことないのに、
見たような気がする風景です。

「なんとなく」じゃいられなくなるのが、恋。

それは少しずつオトナになるための階段なんだけれど、
(夕凪)さんのように、突然告白されちゃう側は、
とまどって、うまく受け止められないんでしょうね。
だから「好きじゃない自分」を好きって言われても、困る。
答えを待ってもらうこともなく、そう言っちゃった。
しかも「ぼんやり」。
なるほどなあ。
とっても思春期な感じがします。

そんな恋をテーマにした
大島弓子さんのマンガがあったような気がするけど
まったく思い出せないです。なんだっけ?!

ここのところ「恋歌くちずさみ委員会」を
連日更新しているわけですが、
こうして続けてナイスな投稿を読んでいると、
つくづく世界が恋に満ちていることを実感します。
あたりまえのことですが、あらためてそれを感じます。

(夕凪)さんの投稿は、
登場人物の彼と彼女の若い誠実さがすてきで、
そのみずみずしい正直さに胸をうたれました。

みんないいぞ! と思うんです。
いま、ぐるりと周囲を見渡して目に入る
あの人もこの人も
かけがえない思い出をもって成長・変化してきたわけで。
(自覚しているにせよ無自覚にせよ)
だれもかれもがすばらしいぞ、と。
なんだかねー、
ちょっと楽天的すぎるほど、いい気分になってるんです。
みなさんのおかげで、いいコンテンツだなぁ、これ。

そうそう、毎日読めてうれしいです!
本日の投稿も、余韻があって‥‥心がゆさぶられました。

好きになってくれた人が
自分の人格の一部分を請け負ったり
形成してくれることは、私もあると思います。

誰よりも近くに、と願ってくれる人が
この世に存在することのすごさに救われる日々。
恋ってすばらしい。
みんなもっと好きになられたりなったりしろよぉぅ〜。
明日も恋歌くちずさみ委員会はあります。
おたのしみに!

 

2013-05-24-FRI

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