『Lies and Truth』
 L'Arc~en~Ciel

 
1996年(平成8年)

彼はベーシストでした。
ベッド上で飛び跳ねて
ベースを弾いていました。
  (ぽて)

イントロのベースソロ
(だっだっだーっだだっただだー
 だっだっだーっだだっただだー…)

彼はベーシストでした。
家に行くと
寝転んで、壁に寄りかかって、
ベッド上で飛び跳ねて
ベースを弾いていました。

ラルクは彼のフェバリットアーティストで
歌もよく歌っていたのですが
ベースラインをまねして
弾いていることの方が多かったです。

ある日
電話で小さな諍いをし、気まずくなりました。
私は仲直りをする為に精一杯明るく振る舞い、
「明日飲みにいこう」とメールで誘いました。
彼もOKしてくれました。
だけど、次の日、
一緒に飲むことはできませんでした。

棺桶の中に
本当はベースを入れたかったのですが
出来ないと言われたので
ベースのストラップをひきちぎって入れました。
数時間で
一緒に白い骨になって出てきたのを
目の当たりにしたのに
そのときの私は
何にも感じることができませんでした。

しばらくして
音楽を聴くと
自然とベースラインを追いかける癖が
ついてることに気がつきました。
私はベーシストでも、バンドマンでもないのに、です。
改めて、彼と一緒に居た時間の長さを、
大きさを感じました。

そのことに気がついた時は
胸が張り裂けそうで、頭は真っ白になって
ただただ号泣したのを覚えています。

ラルクの曲、特にこの曲は
冒頭からのベースソロを、うきうきとした顔で弾く
彼の姿が浮かびます。

その笑顔を思い出す時
ベースラインを追いかける癖以外にも
彼から私は
計り知れないぐらいの大きな何かを
(今はまだ整理がつかなくても、
 大きくてあったかい何かを)
受け取っているんだと
そう思って
ちょっと強い気持ちになる自分がいます。
(ぽて)

「明日」はぜったい来る。
たとえば子どものころはそう信じてました。
ともだちとサヨナラするときのことば
「また明日ねーーっ!」は、
まず、くつがえることのない約束で、
というよりも、なんの意味もないくらいの
慣用句のようなもので。
まさか、明日が来ないなんてことがある、
なんてこと、思いつきさえ、しなかった。

果たされなかった約束、ぼくにもあります。
そのときは悲しくてくやしくて、
そう、(ぽて)さんとおなじように、
「ただただ号泣」したこともあるけれど、
ずいぶん時間が経ったいま、
あの約束は、ぼくが大事にとっておける、
そしてぜったいに消えることがない、
だいじな思い出になってます。

L'Arc~en~Ciel、を、
まったく知らないぼくは
(名前は知ってます!)
Lies and Truthという曲のことも
もちろん知らなかったのだけれど、
探して聞いて見ました。
ボーカルで始まったのでびっくりしたけど、
彼が弾いていたというイントロ、
わかりましたよ。
たしかに「だっだっだーっだだっただだー
だっだっだーっだだっただだー…」でした!

実はきのう、鰹節削り器を購入しましてね。
もうずいぶん前から欲しかったんです。
やっと手に入れて、
きのうの夕飯に、削って食べました。
おいしかったぁぁぁぁ。

大学生のとき、親戚のおじさんが亡くなりました。
「さっきまでまったく元気だったのに、きゅうに」
という亡くなり方でした。
夫婦ふたりだけの家でした。
そこの家の削り器のなかに、
さっきまでおじさんがカッカッと削っていた削り節が
残っていたんです。

「みんなで、この鰹節でダシとって
 うどんでも食べよっか」

残された嫁(おばさん)はこう言いました。

親戚一同、
「おっちゃんのダシのうどんおいしい。おいしいな!」
と、半泣きですすりました。
ほんとうに、おいしかった。
その日から、いつか、鰹節削り器を‥‥と
思っていたのです。

脱いだ靴や歯ブラシ、ひげそりなど、
おじさんが生きていたことを物語るあらゆるものが
そのままいきいきと活動しているようで
胸が苦しかったです。

糸井重里がよく、
「その人がいなくなっても、鋳型は残る。
 その鋳型こそが、その人です」
と、言います。

くちずさみ歌となったそのベースラインも、
「彼そのもの」の鋳型ですね。

糸井重里の鋳型論を続けると
こんなふうになります。

「その人の鋳型が残った世界は、
 だんだんと元の形に戻ろうとする。
 鋳型のなかにある『世界の凹み』は
 時間とともになくなっていく。
 しかし、世界がその人の凹みを憶えていれば、
 その人の鋳型はなくならない」

あなたがベースラインのことを憶えていて、
それをここに送ってくださったことで
凹みは、鋳型は、よりくっきりと
この世界に留まったのではないでしょうか。

いなくなってしまった人のこと、
ふつうに自然に、思い出していたいです。

武井さんと知り合ったばかりの頃に、
「また明日ねーーっ!」
の話をしたことを思い出しました。
「また明日ねーーっ!っていうのは
 最高の挨拶ですよね」って。
その言葉が持つ意味のありがたさに
無自覚であればあるほど素晴らしい。
あたりまえに繰り返されているときが、
なによりしあわせな日々なのでしょう。

スガノさんの話、はじめて聞きました。
残された鰹節、おいしかったんだろうなぁ。
「出汁」というものが
(ぽて)さんの彼の「ベース」の話に
なんだか重なって届いてきましたよ。

ぼくも、今の年齢になると、
そんなに少なくない数の鋳型や凹みを
身の回りにおくようになりました。
ひとつひとつが、愛おしいです。
ときどき手にしてながめてみたり。
思い出すっていうのは、あれですね、
豊かな時間ですね。

今回もすてきな投稿をありがとうございました。
また水曜日にお会いしましょう。
好評発売中の
本とCDとシナモンティのセットもどうぞよろしく。

 

2013-06-22-SAT

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