『Oh! Yeah!』
 小田和正

 
1991年(平成3年)

彼に、似ていたんです。
キケンだなと思いました。。
 (える)

Oh! Yeah!


このコーナーが大好きで、
水曜日と土曜日をいつも楽しみにしていましたが
自分には投稿するような話はないなぁと、
ずっと思っていました。

が、ある日のある方の投稿をきっかけに、
突然頭の中をぐるぐる回り始めた曲が・・・
そして、20年以上も前のことを
鮮明に思い出すことになりました。

エンドレスに回っているのは、
小田和正さんの「Oh! Yeah!」。
当時私は、1学年という期限付きで、
某国に留学していました。
向こうで知り合った日本人の友達が
アルバムごとダビングしてくれて、
日本語のほとんどない環境で、
気晴らしにウォークマンでしょっちゅう聞いていました。

私には日本に残してきた「彼」がいて、
帰りを待っていてくれました。
留学はそれなりに楽しく、それなりに辛く、
それなりに色々なことがありました。
1年も後半になり、日本の或る知り合いから
「そっちに行く」と連絡が来ました。
彼女は重度の身体障がい者でした。
日常生活の全体に介助が必要でしたが
頭脳は明晰、ユーモアたっぷり、人を惹きつけてやまない、
それは素敵な人でした。
私は日本にいる間、
彼女の介助にローテーションの一人として入っていました。
彼女がこちらの国の別の街で開かれる、
障がい者の国際会議に出席するというのです。
日本からも介助者を連れて行くけど、
えるちゃん(私)も介助に入って、と。
私は二つ返事で承諾し、国際会議のその街に駆けつけました。
気候も穏やかで、それは美しい街でした。
同じ国でも割合殺風景な都市に暮らしていて、
ちょっとうつうつしていた私には、
それは楽しい時間でした。
彼女は複数の介助者を連れていました。
その一人が、初対面の男性でした。
(介助は体力や腕力が要る場面もありますので、
 特に旅行などでは男性介助者がいるとありがたい!
 という時がちょくちょくあります。)
旅行2日目、その男性と私の二人体制で、
一日車椅子の彼女に付き添いました。
会議に出たり、午後はサボってロープウェーで山に上ったり、
彼女のおごりで夕食はちょっとリッチなディナーになったり。

もう一人のその男性介助者のことです。
会った瞬間に、「この人、いい人!」と思いました。
誠実で優しい感じの人でした。
正直、日本で待っていてくれる「彼」に、似ていたんです。
キケンだなと思いました。
それまでも、日本の「彼」をめぐって、
また「彼」と関係ないところでも
ありがちな色んなゴタゴタをいくつか乗り越えてきた、
そしてそのたびに苦い反省をしてきていた私は、
「この人とはそういうゴタゴタになりたくない」
と思いました。
だから、何かの具合で2人きりになって話していた時に、
ごくさりげなく
「日本に彼がいること、待っていてくれること」を、
話に混ぜました。
話の流れで、とても自然に話せたし、
その人も自然に「ふうん」という感じで聞いてくれました。
楽しかったね、とその日を終わり、
次の次の日、彼女たちは帰国していき
私も自分の住む都市に戻りました。
往きも帰りも「Oh! Yeah!」が、お伴でした。
数ヶ月後に私は帰国し、休学していた日本の大学に復学し、
車椅子の彼女のローテーションにも
再び入るようになったある時、彼女から聞きました。
「あの国際会議で介助に入ってくれた○○さん、
 えるちゃんに一目惚れで大変だったんだよ」と。
「でも、彼がいる、っていうから、あきらめたって」とも。
私は何も言えませんでしたが、
心では「あ! むこうもやっぱり!」という気持ちと
「彼がいるって言って良かった!」
という気持ちが同時に起こりました。
胸がきゅんとしましたが、あれで良かったんだ、と。

それだけのことなんです。
その人とは本当にそれっきり、
日本でも介助で重なって再会、
などということはありませんでした。
9ヶ月の間に105通の手紙
(自分で通し番号をふって送ってきていました、
 ユニークな人です)を書いて私を支えてくれた「彼」と、
私はそのまま3年後に結婚し、
今は子どもたちと4人、毎日賑やかに暮らしてます。
車椅子の彼女は、
私達の結婚式にも来てお祝いしてくれましたが、
その数年後、風邪をこじらせ、
あっという間に天に召されました‥‥。

苦い思い出ばかりの恋愛沙汰の中で、
唯一といっていいくらい、
後味悪くなく思い出せる出来事です。

「Oh! Yeah!」というアルバムには、
当時ミリオンヒットとなった
某ドラマ主題歌も入っていたのですが、
思い出に繋がっているのは
私にとっては圧倒的に、「Oh! Yeah!」です。

(える)

この曲は『ラブ・ストーリーは突然に』と両A面の
シングル8センチCDでした。
なつかしいー。

このコンテンツがきっかけになって
こんなに鮮明に記憶がよみがえるなんて、
その事実だけでもぼくらはうれしいです。
きっかけがあって、
ひとたび記憶がよみがえりはじめると、
ぐいぐいつながって思い出すんですよね。
〈える〉さんのあふれるような文面にそれを感じます。

「後味悪くなく思い出せる出来事」
まさに。
読後感も、すっきりでした。
悪いところまで行くことなく、
すっぱりきれいにあきらめた思い出は
記憶の中でも別な部屋にしまっている気がします。

わあ、素敵でせつない思い出を
ありがとうございました。
きらきらとかがやいたまま
瞬間冷凍保存みたいになっているから、
色褪せることは、なさそう。
おすそわけに感謝します。

車椅子の彼女の最期。
そうでしたか‥‥。
そういう存在のひとって、
天使なんじゃないのかなって思います。
人を惹きつける特別なちからを持っていて、
でも、とつぜん、いなくなってしまう。
<える>さんにとって、彼女に会えたこと、
そして彼女を通じて「彼」に会えたこと、
たからものだと思いました。

恋愛に限らず、かもしれませんが、
思うがまま、多少の無理を承知で、
あるラインを越えてしまうことは、
本能的で、ある意味純粋で、
それが物語になったりもしますけど、
ラインを越えると崩れてしまうものを守るために
必死で、グッと我慢することも、
同じように純粋で、本能的な
行為なんじゃないかなあと思います。

ま、たしかに、後者は、
物語にはなりづらいですけどね。

しかし、山下も書いてますが、
このコンテンツでは「我慢した」という思い出も
立派なラブストーリー。
素敵な話をありがとうございました。
小田和正さんの曲をテーマソングにして
このコンテンツ内でドラマ化決定、です。

いいっ! いいいいっ!
登場する方々、みなさんすばらしい。
いやぁ、思い出してくださったその一連を
こうやって読めることが幸せです。

ゴタゴタになりたくないと思って
先手を打ったえるさん。
なんとなく察してあきらめた彼。
105通のラブレターで
(いまではメールがありますけどもね!)
気持ちを伝えることを絶やさなかった彼。
そして、すべてを見ていた彼女。

はぁぁぁ。
国際会議が開かれた街の美しい風景を
私は見ていないのですが(あたりまえや)、
頭のなかでありありと描きました。

恋歌のCD、ひさびさに聞きつつ、
涼しくなった朝晩に鼻ふくらませております。
また土曜におめにかかりましょう。

2013-09-11-WED

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