『あなたに会えてよかった』
 小泉今日子

 
1991年(平成3年)

不意に「これ」と
手帳をもらいました。
 (第二ボタンもありがとう。)

あなたに会えてよかったね きっと 私


恋に恋するお年頃だった15歳。
好きな人ができまして。

英語の辞書で「love」とか引くわけです。
そして、そこに記された例文が、
「My love for you will never change」
とか書いてあるのを読んで、
もうそれを読んだだけで、
こんなこと言われてみたいな〜なんて、
ドキドキしておりました。

彼は、特に目立つわけでもなく、
かっこいいわけでもなかったのですが、
反抗期真っ盛りの私には、彼の一言一言が、
ものすごく大人に聞こえて、
いつも励まされていました。

卒業間近になって、
自宅に電話がかかってきて、
お互いに同じ思いだったと分かった日は、
ほんとにうれしかったことを覚えています。
そして、その日は休みの日で、
親と一緒に食べた昼ご飯の時に、
なぜだかとても手が震えていたことも覚えています。

卒業したら、私は地元の高校に。
彼は、県外の高校に進学予定でした。
15歳の自分にとって、
隣の県はとてつもなく遠い場所に思えました。
出発する彼を見送るために、一緒にバスを待っていた時、
不意に「これ」と手帳をもらいました。
使わないから、あげるよ、という感じで。
私は深く考えずに、ありがとうともらって、
彼を見送った後に手帳を開きました。

そこに、メモがはさんであって、
書いてあったんですよね。彼の字で。
「My love for you will never change」って。

本当なら、なんて運命的なんだろう! と、
ますます恋に落ちる瞬間だったのかもしれません。
でも、私は逆でした。
ストンと幕が下りるように、醒めてしまったんです。

怖かったんですよね。
自分だけに向けられた、「love」という言葉が。
その言葉が現実となって自分に向けられた時の、
生々しさと重さが。
そして、
私が彼を思っている気持ちは、「恋」であって、
決して「love」ではないのだと、気がついたんです。

親の留守を狙ってしていた長電話も、
それからは、だんだんできなくなってしまいました。
彼は、たぶんわけが分からなかったと思います。
それでも何回か電話はしたのだけれど、
ある時、
「嫌いになったか?」と聞かれ、
「うん」と答えてしまいました。

今ならわかるんですけどね。
嫌いになったわけじゃなくて、
私が子供だっただけだ、って。
でも、当時の私にはそれを自分が理解することも、
相手に伝える術もありませんでした。
本当に、恋に恋するお年頃でした。

未だに思っているごめんねの気持ちと
同じくらいにあるのは、
彼に会えてよかった、という感謝の気持ちです。
どうか、幸せでありますように。

(第二ボタンもありがとう。)

そんなあそんなあ。
んなこと言われてもさあ。
「そういうこともある」と
言えば言えるんだけど、
やっぱりどうしても「あんまりだよなあ」と
ぼくは思っちゃいます。
15歳。なんて残酷な年齢なんだろう。
ごめんね(第二ボタンもありがとう。)さん、
そんなふうにしか考えられなくて。
でも、どうしてどうして?!
そこ、ダメだった?
そんなに、ダメだった?
しかしそこで縋ったら男がすたりますね。
彼は15歳にしてそれがわかっていたのでしょう、
たしかに大人だったのでしょう。
「嫌いになったか?」のことば。
すべてを終わらせるための
いちばん効率的な質問。
泣きそうでしたよ、読んでて。
全力で彼を励ましたいですよ今からでも。

そういえば面と向かって言われたことありますよ、
「だめなものはだめだから」。
そりゃそうだよなあ。
わかっちゃいるんだけどなあ。

ある。
そういうことは、ある。
あると思います。

同じような立場と気持ちで、
同じ重さとかニュアンスで
つりあうように好き、というのが
うまくいく恋だと私は思います。
そして、恋愛が上手な人は
つりあってないものを、
ひっぱったりかわしたりして
ふたりの形を作っていける人だと思う。
その都度生まれるしんどさは、好きな気持ちでカバー。
それが、若いときや、
自分の都合があるときは、うまくいかないのです。
余裕がないとできないんですよねー。

手帳にはさんであった
手書きのメモを見たとたんに、というのが
劇的で、印象深いです。

前半の甘ずっぱいストーリーから、
まさに急転直下の後半の展開。
彼はびっくりしたことでしょう‥‥。

このコンテンツをはじめてから、
ひとつ勉強になったこと。

・恋愛表現における男子の妙なひと工夫は、
 多くの場合よい結果につながらない

「遠回しな告白」がNGというのは、
過去のいくつかの投稿でその例を見ました。
今回のケースは、こんなに正直なのに、NG。
うーーーん‥‥。
正直なだけでなく、
かっこつけずに伝えたら大丈夫だったのかも‥‥
と思いかけましたが、違いますね。
どんな伝えられ方をしても、
15歳のその女の子は、
生々しさに身を引いていた気がします。
「ごめんね」と「感謝」を同時に想う人って、
きっと誰にでもいるのではないでしょうか。

ごはんを食べる手が震えるほど嬉しかった、
という描写がすごくリアルで印象的でした。
嬉しさと怖さが混ざっています。

大人たちは、しばしば、
「若者よ、恋をして、ふられたまえよ」
などと言います。
ぼくも言いますし、
ぼく以外の3人も言うでしょう。

「若者よ、とくに男子よ、
 恋をして、ふられたまえよ。」

理屈じゃない大きなものがあると
痛切に知るには、恋がいちばんです。
考えてるだけでは、正しいだけでは、
うまくたどりつけないことが
世の中にはしょっちゅうあるのです。

たぶん、長い時間が経って、
彼も大人になっているだろうから、
きっと同じように言ってると思いますよ。

「若者よ、恋をして、ふられたまえよ。
 オレもそこからたくさん学んだから」と。

みなさまからの投稿、
毎日、お待ちしております。

2013-09-14-SAT

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