ああ、泣きそうになっちゃった。
ずっと見てた横顔も、
「めんどくさい」の顔も、
「負けてたまるか」の顔も、
ごくまれに見せるとんでもないやさしい顔も、
きっと、(さざなみ)さんは
一生大事に(こっそり)持っていくことを
決めていたはずなんだと思うんです。
なんだったら最期の瞬間に思い出そうと
楽しみにしているくらいの
(すみません、勝手な想像です)大事なシーンが、
こんなにも早く、思い出せなくなった。
忘れちゃうんです。どういうわけか。
映像の記憶ってほんとうに淡いです。
だから写真ってだいじなんだよねえ。
ただ。
ぼくは思うのですけれど、
その時間、それだけ密にすごした仕事の時間は、
やっぱり(たとえ、顔を思い出せなくなったとしても)
(さざなみ)さんと、そのひとだけのものですよ。
プロジェクトっていうからチームだろうけど、
恋の思い出としては、ふたりでいい。
それは誰にもわかられる必要のない、だいじなことです。
なにか、ないかなあ。声とか。
(さざなみ)さんを呼ぶとき、なんて言ったかとか、
エラーしたときの怒号とか、励ますときのニュアンスとか?
(勝手にこわい人だと決めててすみません。)
そういうの、次の(今の)仕事で思い出すといいですよ。
またきっとうまくいきます。
大江千里さんの「ずっと海をみてた」には
「彼のくせがうつる きみを見」たくなくて
海を見る主人公が出てきます。
でもほんとはずっとずっときみだけを見てた。
(さざなみ)さんにとっては海が仕事だったのかな。 |