『ずっと海をみてた』
 大江千里

 
1991年(平成3年)
 アルバム『HOMME』収録曲

こうやって忘れていくのだな
と思ったら泣けてきます。
忘れたくないのになあ。
(さざなみ)

きみもうまくいく ぼくもうまくいく
ただそれがちょっと悔しいだけさ


同じプロジェクトで
一緒にやってる人が好きでした。

あからさまに完全な片思いです。
何回呑みに誘ってもあっさり断られていて、
まるで気がないことはよくわかっています。
話も全然合わなくて、あまり会話も続かないのです。
それでも、同じ問題を一緒に考えられること、
これでどうだあれはどうだと
解決策をあれこれ話せることが、すごく楽しかった。
ほかに話の合う人はたくさんいるのに、
全然話の合わないその人しか、目に入らなかった。
おかしなことです。
仕事の話しか続かないので、とにかく仕事しました。
なんでそんなに? とまわりに驚かれるくらい、
トライ&エラーを繰り返しました。
仕事の話をしている間は、
わたしだけを見てくれるから。

今のプロジェクトが終わりに近づいて、
お互い別のプロジェクトに放り込まれることになって、
もう会えるのはあと3回くらいです。
次の仕事がすぐ決まるのは、
今の業界の状況からは珍しいようで、
とても良いことなのだそうです。
でもたぶん、これが終わったらもう会えないのです。

今日も、私は別のプロジェクトの仕事をしていて、
一生懸命で、気が付いたら23時を回っていて、
その人の顔が思い出せなくなっていました。
ずっと見てた横顔も、
「めんどくさい」が身体中から出てるときの顔も、
話しているうちに本気スイッチが入った時の
「負けてたまるか」みたいな顔も、
真顔で冗談言うとこも、
ごくまれにとても優しい顔で笑うことも、
今自分の中で宝物みたいに持っている姿を全部、
こうやって忘れていくのだなと思ったら泣けてきます。
忘れたくないのになあ。

お互い足掻きながらでも前に進んでるし、
今のプロジェクトは円満に終わりそうだし、
とてもうまくいっているのです。
わかっているのだけど。

この曲は高校生のときに初めて聴いたのですが、
「うまくいくのに悔しいのは意味がわからん」
などと言っていたのを思い出します。
20年たってこんなに身に迫って響くとは思わなかった。

もっと楽に終われればいいのに。
でも、楽に終わって、あとに残らないのは、
余計につらいのだろうことは想像できます。
痛みでも傷痕でも、少しだけでも残っててほしい。
せめて、自分の中にだけは。

(さざなみ)

「大人の恋」というのは、
夜景の見えるバーで乾杯することでもなく、
人知れず逢い引きすることでもなく、
年齢差や倫理の壁を跳び越えることでもなく、
こういうことをいうんじゃないかなぁと
いただいた投稿を読んでいて思いました。

仕事以外だとまったく話が合わない人を
好きになるとか、
だからこそめちゃめちゃ仕事するとか、
社会人になってからしか
わからないんじゃないかなぁ。

好きになる断片の羅列や、
恋歌との重ね方など、
ひとつの投稿としても素晴らしいです。
よい文学作品は、ほとんど事件が起こらないのに
ものすごく読み手を引き込むものですが、
まさにそんな投稿だと思いました。

ああ、泣きそうになっちゃった。
ずっと見てた横顔も、
「めんどくさい」の顔も、
「負けてたまるか」の顔も、
ごくまれに見せるとんでもないやさしい顔も、
きっと、(さざなみ)さんは
一生大事に(こっそり)持っていくことを
決めていたはずなんだと思うんです。
なんだったら最期の瞬間に思い出そうと
楽しみにしているくらいの
(すみません、勝手な想像です)大事なシーンが、
こんなにも早く、思い出せなくなった。
忘れちゃうんです。どういうわけか。
映像の記憶ってほんとうに淡いです。
だから写真ってだいじなんだよねえ。

ただ。
ぼくは思うのですけれど、
その時間、それだけ密にすごした仕事の時間は、
やっぱり(たとえ、顔を思い出せなくなったとしても)
(さざなみ)さんと、そのひとだけのものですよ。
プロジェクトっていうからチームだろうけど、
恋の思い出としては、ふたりでいい。
それは誰にもわかられる必要のない、だいじなことです。
なにか、ないかなあ。声とか。
(さざなみ)さんを呼ぶとき、なんて言ったかとか、
エラーしたときの怒号とか、励ますときのニュアンスとか?
(勝手にこわい人だと決めててすみません。)
そういうの、次の(今の)仕事で思い出すといいですよ。
またきっとうまくいきます。

大江千里さんの「ずっと海をみてた」には
「彼のくせがうつる きみを見」たくなくて
海を見る主人公が出てきます。
でもほんとはずっとずっときみだけを見てた。
(さざなみ)さんにとっては海が仕事だったのかな。

これが「失恋」というものならば、
(ふられるとかじゃなくて恋を失うという意味です)
忘れていくことに対して泣けてしまう、
という失恋は、
いままで自分が聞いたなかでは
いちばんいい失恋なんじゃないかなぁと思います。

彼の、気がないことを示す態度は
きっとすごく立派で素直で、
だからこそ好きになっちゃうんですけども、
それこそ最高級の
「失恋のさせ方」だったんじゃないかなぁ。
そんなことってあんまりできないです。

彼も彼女も両方がうまくいく、
しっかりした人たち。
エンディングがぱぁーっとせつなくて
いやぁ、涙あふれました。
こんな人たちがいっぱいいる社会って
ちょっといいね。

忘れちゃう。
なんででしょう?
びっくりするほど忘れることがあります。
あれだけこころかたむけたのに
大好きだったはずのその顔は、
大好きだった気持ちだけが残って映像はおぼろげ‥‥。
誰しも経験があるのではないでしょうか。
だから、そうですね、
写真はだいじなんだと思います。
むかしの写真をなかなか捨てられないのは、
「忘れない自信」がないからなのかもしれません。
いまこの瞬間、目の前にある恋愛は、
映像がいちばん強く意識にはたらきかけてくるのに、
時間が経つと、
記憶をよみがえらせるトリガーは
「匂い」や「音楽(恋歌)」だったりします。
ふしぎなことですね。

(さざなみ)さんの中にはきっと、
映像以外の様々な「彼」が
しっかり残っているんだと思います。
つまり、そう簡単に忘れないのではないかと。
すてきな失恋(あえてそう呼びます)の記憶を
宝の箱にしまったら、さあ、次の出会いへ!

今回もすばらしい投稿をありがとうございました。
終わちゃった「あまちゃん」の中で
なつかしい恋歌がよく流れていましたねー。
甘ずっぱかったなぁ。
恋歌くちずさみ委員会のCDにも
そういう曲がたっぷり入っています。
よろしければ、ぜひ。

ではでは、次は水曜日にお会いしましょう!

 

2013-10-05-SAT

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