『ためいき春秋』
 来生たかお

 
1981年(昭和56年)

ここにはいらっしゃらない。
それを確認する1週間だった。
(ティーティウー)

男はまるで気づかない
ビルの谷間の春風にも
心はまるでそよがずに
薄い肩をすぼめる


やっと1人になれたら涙があふれて止まらない。
こんなに哀しいなんて全然わかっていなかった。
若い頃は周到に顔を冷やしながら泣いたのに、
いい年をして泣きじゃくって、
まぶたが見るも無残に腫れてしまった。
もう、ここには、いらっしゃらない、
そう確認する1週間だった。
突然の不在に、
うろうろと落ち着かない気持ちで過ごした。
断つような居なくなり方は、
なさらないと勝手に思っていた。
あちらに笑顔がある、と温かさを感じながら
暮らしてきたのだと
眩しさが不意に消えて身に沁みた。

遠くからいつも満面の笑顔でいらしたから、
私もきっと遠くから満面の笑顔で。
はたから見た私は、嬉しそう過ぎたかもしれない。
不遜な言い草だけれど、広い野原に蜂が2匹、
互いを素早く見つけるような、
照れくさい羽音が絶えず聞こえていたと思う。

思いがけず自宅にお電話いただいた、その声が
耳に流れ込むようで近すぎて、
思わず息を殺したら黙り込んでしまわれた。

私と向かい合って笑っていたのに、
途中で窓から陽に溶けて
横顔で俯いて話されたのは、
何を思っていらしたのだろう。
 
小さく意地悪をぶつけると、笑いながら
大きくずっこけてくださったりもして。
嬉しかったけれど同僚たちがからかうから、
ご迷惑にはなりたくなくて、
場を遠ざけたりしている間に
突然いなくなってしまわれた。
 
3月の終わりに、すれ違いざま立ち止まり、
笑顔でなく真顔で、
ゆるりと中途半端に手を挙げられた。
人前でハイタッチか? 敬礼か?
また何をふざけてらっしゃるんだろう? と
人を連れて急いでいた私は、
笑ってあっさりすれ違った。
あれが、きっとお別れの挨拶だった。

お寂しくはありませんか。
そんなに環境を変えてしまわれて。
何歳になろうと新しいことに飛び込めると
示してくださったのだと思っておきます。
私は思ってもみなかった大きな穴が空いて
驚いています。
そこに、いただいた笑顔や季節の彩りが、
どれほどたくさん仕舞われていたか、
ばらまくように茫然と眺めています。
お顔を見るたび嬉しくて、
無意識に甘えて頼っていました。
ずっと居てくださるなら
空気のように気づかずにいたもの。
温かさに気づかずにいたもの。浅く、淡く、眩しく。
送別会にはおいでになるでしょう。
きっと、とびきりの意地悪を言うから、
笑ってください。
必ず、もらい泣きしてしまうから、どうか、笑顔で。



ママと、お茶をしない?
今、パパにミルクティーを淹れてほしいな。
パパが読んでる本が何なのか知りたくて、
うんと若いママが南の島で、
ベランダからパパの部屋に忍び込んだ「お話」をする?
心のままに蛮勇を振るえた、
遠い遠い勇敢な女の子の昔話でもしながら、
お茶をしましょう。
ママの居場所は、ここだから。
 
もう勇敢な女の子ではない私の気持ちは、
穴を掘って埋めましょう。
 
(ティーティウー)

存在の大きかった人に姿を消されて
呆然としているときの
お気持ちをしるされているのだ、と
わたくしは拝読いたしました。
突然姿を消されるのはほんとうに困りますよね。
のこされた者は
フランツ・カフカの『城』のように
どこにもたどりつくことができず、
うろうろしてしまいます。

でも、いつまでもいつまでも、
そうじゃないと思います。
おなかはすくし、
その人がいなくても、
なぐさめてくれる愛おしいものが
たくさん存在します。

いまはどこかの道を、迷うことなく
しっかりと歩いていらっしゃいますように。

こういう言い方をしていいのかどうか
わかりませんけれど、
すごく、変わった投稿ですよね。
もう、投稿と呼んでいいのかどうか。

ひとつ、たしかなことは、
この個性的な文体をもった文章を、
書かせるものがあって、
それに動かされて、
これは書かれたのだろうなということ。

そして、それはやはり、
簡単にいってしまえば、
「その人を思う気持ち」ですよね。
有り体に「恋心」といってもいい。

大事な人がいて、その人が、去っていった。
それがこういう文章になる。
おもしろいものだなぁ、と思います。
だって、恋の歌がこんなにあるんだものね。

ぽっかりとあいてしまった大きな穴。
喪失感がただよう、個性的な投稿です。

もしかしたら、
この文章は「読まれる」ことを
それほど前提にしていないのではないでしょうか。
(ティーティウー)さんにはなによりも、
これを「書くこと」が必要だった。
「書くこと」によって
思い出をいれた引き出しの中を
しずかに整理しているような‥‥。
拝読していて、そんな印象を受けました。

一行一行が、とても大事なものにみえます。
読み手はすべてを理解できなくても。

上司かな、先輩かな、
「私」の他愛ない小さな意地悪に
ちゃんとノってくれるひと。
ユーモラスなひとなんだろうな、
それから所作が、きれいなんだろうな。
だれにも言わず、相談せず、
とても大きな決断をなさったのだろうな。
その決断はいろんな「別れ」をうんで、
(ティーティウー)さんが
こんなふうにかなしむことにも
なってしまったのだろうな。

そんなことを(確信はなく)思いながら
読みました。
うまく言えませんがぼくら、
それぞれがそれぞれのやりかたで
受け止められた‥‥と思います。

ところで(ティーティウー)という名前は
たしかムーミンに出てきたような気がします。

かみしめつつ、また次回!

2013-11-27-WED

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