『南風の頃』
 ふきのとう

 
1975年(昭和50年)

みなさんに語れるほどの
ドラマチックな物語は
ありません。(なおくん)

僕の背中で想い出が ゆらゆら揺れてます
昨日の涙で面影も ゆらゆら揺れてます


私には、みなさんに語れるほどの
ドラマチックな物語はありません。
普通に公立の小・中・高校を卒業し、私立の女子大を出ました。
少しだけOL生活をして、友人の紹介で結婚しました。
子どもには恵まれず、夫婦二人、穏やかに暮らしています。

文章にすると、
本当に3行で終わってしまう人生ですが。
それでも、さだまさしの『主人公』のように、
自分の人生の中で、一生懸命生きてきました。
恋をして、泣いて、苦しんで‥‥。

だから、この歌が心に沁みます。
決してドラマチックではなかったけれど、
それでもこうして、
みんな一生懸命生きてきたんだと思います。

この歌は、私の応援歌。
切ないような懐かしいような、
春になると必ず聴きたくなる歌です。
(なおくん)

読んで、静かな感動がありました。

ドラマチックではないけれど、
こうして生きてきた。

そういうことこそが
「たいしたこと」なのだと、
先輩たちがよく言っていたように思います。

今年最後の投稿は、これにしました。
長くことばを足すと、
野暮になるような気がしますのでこのあたりで。

たくさんの投稿、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。

「ふきのとう」というデュオは
名前だけは知っていたけれど、
『南風の頃』は知りませんでした。
iTunesで聴いてみたところ、
わあ、おだやかであたたかな曲!
文中に出てくる『主人公』とこの曲が、
(なおくん)さんの思い出のなかで
リンクしているんですね。
『主人公』もいい曲ですよね。
なんだかフォーク・ソングを
聴きなおしたくなってきちゃった。

ことしの最後の投稿、
こんなふうにしめくくることができて
なんだかおだやかにうれしい気持ちです。
来年もどうぞどうぞよろしくおねがいします。
みなさまよいお年をー!

「僕の背中で想い出が ゆらゆら揺れてます」かぁ‥‥。
私はわりと、激動の人生を
送りがちなタイプなのですが、
私の父は完全に
「背中で想い出が揺れる」タイプです。

毎日同じように仕事し、食事し、
毎日同じように子ども(私)に小言を言って、
だまって、寝ていました。
いまも、同じようにしています。
たんたんと流れていく彼の暮らしにも
いろんなことがありました。
いろんな人(私)(親戚たち)が問題行動します。
でも、父のような人が中心にいるから
私たちはまともに生きているんだな、と感謝します。
たくましい、父のような
背中にいっぱい想い出を揺らしていく人たちに‥‥
今年も、ありがとうございました!

来年も、みなさま、よろしくお願いします!

ほぼ日によく登場することばに、
「なんでもない日おめでとう」というものがあります。
(なおくん)さんの投稿を読んで、
あらためてそのことばの奥ゆきを思いました。
ドラマチックではない「なんでもない日」のなかには
泣きたくなることや苦しいことも
ふつうに、含まれているんですよね。
それが「暮らし」というものなのかもしれません。
うん‥‥。
いろいろひっくるめていいもんだなぁと思います。
(なおくん)さん、あたたかな投稿をありがとうございます。
春に「ふきのとう」を聴きたくなるって、いいですね。

暮れてゆきます。
みなさん良いお年を。
また来年お会いしましょう。
‥‥って、それは来週の水曜日だ!

2013-12-28-SAT

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