『何もしてあげられない』
 ELLIS(エリ)
 
1992年(平成4年)

偶然廊下で
見かけた時にもらえる
「笑顔」が
青春そのものでした。
 (りん)

おやすみと窓のほうにささやく
まだ眠らない都会を越えて
きっとあなたに届くようにと
そして明かりを消す


13歳の頃からずっとずっと片想いしている
ひとつ上の彼がいました。

彼には彼と同級生の妖精のような、
お人形のようなかわいい彼女がいました。

彼とどうにかなりたいという願望など
もてないような遠い存在でしたが、
体育祭だったり文化祭だったり、学園祭だったり。
学校の行事を通して少しずつ話せるようになりました。

彼と彼女が高校へ上がった頃、私は中学三年。
学校が違うというだけで、
校舎の中で偶然見かける事さえなくなりました。
絶望的な距離に感じました。
その年の夏休みには、
週に2、3回電話で話すようになりました。
彼は私の気持ちを知っていましたが、
それでも「友達」でいてくれました。

月日が流れて私も同じ高校へ進みました。
また廊下ですれ違ったり、
学校の行事のたびに運動場や体育館で
姿を探す日々が続きました。

周りの友達は彼氏ができたり離れたり。
制服で一緒に歩いて帰ったり、
残っておしゃべりしたり、
青春そのものの恋愛が
あちこちで繰り広げられていました。
私はその彼への気持ちを持ち続けて、
偶然廊下で見かけた時にもらえる「笑顔」が
青春そのものでした。

毎日付けていた当時の日記には、
どこの渡り廊下ですれ違ったとか、
何時限目の休み時間に
階段の踊り場で言葉を交わしただとか。
帰りの玄関でばったり会ったとか、
そういうことを細かく記入していました。
それはもう、日記というよりも
私の勝手な観察日記になっていました。

片想いも4年目に突入した頃、
私は高校2年、彼は3年でした。
3学期の始まった頃には、
卒業式までのカウントダウンを勝手に始めてしまい、
あと何度顔を見れるのか、
あと何度目を合わせて話してくれるんだろうかと、
そればかり考えていました。
卒業式の翌日、1年も2年も普通の授業でした。
もちろん3年生はもういません。
偶然で見かけることさえなくなった学校は
とても色褪せて、廊下を歩いても、移動授業でも、
全体集会も。すべてがただ悲しかった。
もう本当に会えないんだと思うと、
お腹の奥のほうを誰かに強く握られているように
苦しくなりました。

毎日会うほど友達ではなくて、
時々勇気を出して電話をしては月に一度声を聞いては、
その月も頑張るというのを繰り返していた5年目。
彼は仕事の転勤で東京へ行きました。
彼女とは、遠距離恋愛がうまくいかなくなり
別れてしまいました。

それでも彼女になりたいと思った事はありません。
私は彼を好きなだけでよかった。
お世辞やほめ言葉なんかじゃなくてもいい、
どんな意地悪な言葉でも素っ気無い言葉でも。
彼の声が私に届くのならばそれだけで幸せでした。

東京へ行ってしばらくは彼も地元が恋しかったのか、
電話をしてくれたりするようなり、
2週に1度くらい電話で話していました。
でも、彼が仕事にも慣れ東京にも慣れて
「楽しい」と思えるようになった頃、
ちょうど同じスピードで私との会話は彼にとって
「つまらないもの」になっていくのが、
交わす言葉の中に染み出てくるようになりました。

彼が意地悪なことを言ったわけでもないのに、
つまらないと言われたわけでもないのに。
好きだからこそ分かること。
好きすぎるからわかりすぎてしまう事。
私はまだ高校生で地元から一歩も出たこともなくて、
でも彼は大都会の東京で仕事しながら生活していて。
その距離は、彼の卒業式に感じた距離の
何百倍にも思えました。
それでも、どうしてもあきらめきれなかった。
片想いでもいいから、彼を好きなままで、
彼が私の存在を忘れない程度の頻度で
連絡をしていました。

その後も彼は転勤を繰り返しながらも、
地元の本社に戻ってきました。
私は22歳、彼は23歳になっていました。

久しぶりに一緒に飲みに行った日に、
彼が新しい女の子と出会いました。
その後、彼女と付き合い始めたことを
共通の友達に聞かされた時に私の中で
「好きだけど、離れなくてはならない」気持ちが
どうしても消せなくなりました。

少しずつ距離を置いて、
少しずつ電話する回数を減らして、
少しずつ消えていこう・・・。

もうそれも18年前くらいの話です。
出会ったのは28年くらい前の話です。
彼はその彼女と結婚しました。
私も別の人と結婚しました。
お互い結婚して別々の人生ですが、
今も時々連絡を取っています。

今も私にはとても大切な人だと思います。
でもそれはあの片想いしていた頃の気持ちとは
違うものになっています。
私の片想いは10年か、もしかして
それ以上だったのかもしれませんが、
その間もその後も、何かでくじけそうになった時、
彼ならどうするだろうと考えて踏ん張る私がいました。
他のことで負けてしまいそうになったり、
怠けてしまいそうになった時、
もしも彼に再会する機会があった時に、
自信を持って私はこれまでの人生
頑張ってきたと言える私だろうか?
と考える私がいます。

今では、本当に大事な大事な友達です。
友達というよりも、理解者に思えます。
多分、私の性質を
誰よりも知っているのではないかと思います。
切ない思いもたくさんしました。
でもたくさんのうれしかった事、
片想いなのに幸せをたくさんもらいました。

なによりも、「友達」になれた事、
この位置にいる事に感謝できるし、
この位置に来るために
あの10年はあったのだろうと思います。

東京に慣れ始めた頃、
彼への距離が永遠にも感じられた頃。
ELLISさんの『何もしてあげられない』は
私の気持ちそのものでした。
付き合っていたわけでもないのに。
毎朝起きると彼の一日がよい日であるように祈り、
日が暮れて夜が降りてくると
彼の一日がよいものであったように、
そして楽しく過ごしている都会の中で、
どうか彼が怪我や病気もせず元気であるように・・・。
あの頃の私の心の中にはたくさんの笑顔の彼がいて、
彼が笑顔でいる瞬間ができるだけ多い毎日であるように。
そればかりを思っていました。

とても幸せな片想いを体験したからこそ、
今は私の傍にいる人を大切に思うのと同時に、
私の居場所を確保してくれている夫には
ありがとうしかありません。
子供たちが、私のような幸せな片想いも
経験してくれたらいいなと思います。
(りん)

「あたしゃ 片恋のプロだよ!」
っていうせりふが、むかし読んだ
大島弓子のマンガにあったなあ。

どんなふうに好きだったか、
どんな会話がかわされたか、
どんなタイミングで会えたのか、
きっと(りん)さんの記憶には、
それが鮮明に、季節の風や匂いとともに
のこっているのでしょうね。
そんなふうに宝ものみたいになる恋。
片思いの理想的な昇華のかたちとして、
「いちばんのともだちになること」
っていうのは、あるとは思いながら、
じっさいにここまで到達できるっていうのは
なかなかないことだろうなあとも思います。
でも、子供たちに同じ苦労をさせるのは
どうなんだろうと思わないでもないんですが、
素敵な片思いというのがあるんだよ、
ということを知ってほしいなとは思います。

ぼくはELLIS(エリ)のおふたりも知らず、
この曲もおぼえがなかったためか、
(りん)さんの文章を読みながら、
ユーミンの「最後の春休み」や、
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、
中島みゆきの「この世に二人だけ」が
脳内再生されてました。

私は片思いの話をしたり聞いたりするのが
好きなんですけれども、
それは、人びとが、初々しい時期に
自分の気持ちと事実のあいだでどうしようもなく
右往左往するのがかわいらしく思え、
きゅーんとなるからです。

だから、こういう
ロングストーリーの、
現実ともちゃんと折り合いをつけた片思いの話
(そこからさらに友情へ)には、
ただただ、拍手をおくらずにはおれません。
きっと縁があって、
お互いに関係を大切になさっているのでしょう。

私は、自分でふりかえって味わえるような
恋はしてこなかったので、
子どもにもおんなじ感じで、とは思えないのですが、
それでも、恋はしてほしいなぁ。
初期は、あんまり成就しなくていい。
片思いして、わがまま女にふりまわされ、
どうしようもなく右往左往してほしい、
と思います。

長い片思いの物語のなかで、
とくに強く印象に残ったのはこの3行でした。

「もう本当に会えないんだと思うと、
 お腹の奥のほうを誰かに強く握られているように
 苦しくなりました。」

こんなに長いあいだ片思いを続けていた(りん)さんは
片思いをしていることがもう当たり前で
片思いは生活の一部になっている感じなのかな、
と途中で思ったのですが、
そういうふうに軽いことにはならないんですよね。
やっぱりずーっと、
「お腹の奥を強く握られているように苦しい」
のでしょう。
それなのに、
こんなに長い時間想い続けた(りん)さん、
すごいです。
さらにそれを「友達への感謝」という気持ちに
後悔なく変換できているところが
(大きな切なさはもちろんあるにしても)、
すばらしいことだと思いました。

子どもたちに片思い、してほしいですよね。
ぼくも賛成です。

どういう気持ちにたどりつくのだろうと、
ちょっとどきどきしながら
読み進めました。

「子供たちが、私のような幸せな片想いも
 経験してくれたらいいなと思います。」

たどりついた気持ちに
なぜだかうれしく思いました。

この、「恋歌くちずさみ委員会」で、
ぼくら4人は、いえ、たぶん、
ほとんどの大人は
同じようにくり返しています。
片思いも、ふられることも、
絶対に経験したほうがいいんだよ、と。

「恋」って、本質的には
「片思い」で「かなわない」。
だからこそ得られるものがある。

投稿、どうもありがとうございました。
みなさまの投稿、お待ちしております。

2014-02-26-WED

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