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 『JAM』
 THE YELLOW MONKEY

 
1996年(平成8年)

道に迷った時は先生の言葉を
思い出すようにしています。
(17歳だった私)

素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから
好きな歌を歌う


高校時代、大好きな国語の先生がいました。

その先生は少し変わっていて、
生徒が誰も手を挙げないでいると、
ぷっと頬をふくらませ
黒板消しを持って廊下に行き、
廊下の窓辺で粉をはたいて掃除してから
黙って教室に帰ってきたり、
またある時は教卓の上で砂時計をひっくり返し、
「さあ、もう時間がない!
 砂が全部落ちてしまうよ!」
と言ったりする人でした。

ある日の授業中、先生が「山月記」を朗読していて、
虎になった李徴が草むらから
旧友に話し掛ける場面に差し掛かった時、
ふと見ると先生がいません!
びっくりしていると教壇の教卓の中から、
虎になった李徴、いや先生の声が聞こえてきて‥‥と、
とても不思議な、チャーミングな授業をする先生でした。

フォークソング部の顧問をしていた先生は、
時々ふらっと教室にギターを持ってきて
隅の方に置いて授業をし、
時間が余るとギターを弾いて歌を歌ってくれました。
一年に数度あるかないかの、お楽しみです。

そんな時に歌ってくれたイエモンの『JAM』。
十七歳だった私の気持ちにぴったりくる曲でした。

美術部員だった私は
文化祭の準備で部室で絵を描きながら、
廊下を挟んで少し離れた音楽室からこぼれてくる
フォークソング部の練習の音や
先生の歌う声を聴いている時間がとても好きでした。

先生が昔短歌を作っていたと聞きつけては
友達と無理矢理に(自称)短歌部を結成し、
作った短歌を原稿用紙に書き付けて
先生に見てもらったりもしました。

決して見た目は格好良くない、カメみたいな、
いつもチョークの粉で裾が汚れっぱなしの
背広を着た小さなおじさんでしたが、
私は先生のことが大好きでした。

背広の胸ポケットに入れていた
原稿用紙を返してくれた時に
一緒についてきた煙草のにおい。
何かと理由をつけては
繰り返し通い詰めた国研(国語研究室)。
だけど、冬になるとストーブを焚いて
扉が閉まっているので、
ノックする時、いつも緊張したこと。

私の高校時代の思い出の真ん中に先生がいて、
そして今でも、ときどき自分がわからなくなった時、
道に迷った時は先生の言葉を思い出すようにしています。

卒業式の日に先生がかけてくれた言葉、
「アートは人と出会うための技術。
 自分の居場所を見つけて下さい。」

ジャイアン的な表現を使わせてもらうと、
結婚した今もなお、心の恋人ナンバーワンは先生です。

(17歳だった私)

イエローモンキーの『JAM』というのは、
わりと、長い、激しい曲だと思うんですが、
チョークの粉で背広の裾が汚れっぱなしの
小さいおじさん先生が歌うというのは、
なんというか、ナイスギャップ! ですね。
後半のリフレインを歌い上げるときには、
歌もギターもボリュームが上がったことでしょう。

「ちょっと変わった先生」は
十代の頃、とっても刺激的ですよね。
短歌をたしなみながら、ギターを奏で、
卒業のときにはアートを語るという
引き出しの多さも魅力的です。

ちなみに、今回の恋歌は『JAM』ですが、
読み終わったあと、ぼくの頭に流れていたのは、
RCサクセションの『僕の好きな先生』でした。

この恋の場合、
相手の先生はいったい
どういう気持ちを持っていたのか
わからないし、
「先生がこっちを向いてくれたらな」という
気持ちはきっとあったとは思うのですが、
わからないままをよしとする
完全なる片思いというのは
聞いていてなぜかとても気持ちいいものです。

あこがれをあこがれと割り切っていて
尊重して距離を置いたりするのですが、
心のなかではいつもまんなかに置いている。
先生がいるだけで
高校生活の毎日がたのしかったことでしょう。

「あれがあるだけでたのしいな」という
心の支えのようなものを
日々にどれだけ多く持っているかが
私はとても大切なような気がするのです。
それは軽くても重くてもいいのです。

そういうあったかい存在は、
心の恋人ナンバーワンになり得ますね。

最後の一行、
「結婚した今もなお、心の恋人ナンバーワンは先生です。」
というところを読んで、
あ、そうだった、
恋の話を聞かせてもらっていたんだった、
ということに気づきます。
切ない思い出というよりは、
なんだかあったかいスープみたいな投稿です。
「尊敬」や「憧れ」や「信頼」というのを
ひとつの鍋に入れてぐるぐるまぜてあたためると、
「大好きです」というスープになるんでしょうね。
人によって、ほかにもいろいろ材料はあるでしょうが、
(17歳だった私)さんのスープは
素朴で穏やかで、おいしそうで、うらやましいです。
イエモンという意外なかくし味まであったりして。

そしてそう、ぼくも読みながらずっと、
『僕の好きな先生』という曲を思い出してました。

「私の高校時代の思い出の真ん中に先生がいて、
 そして今でも、ときどき自分がわからなくなった時、
 道に迷った時は先生の言葉を思い出すようにしています。」

それは恋だったり、友情だったり、
いろいろだとは思うけれど、
思い出の真ん中にいるひとって
とてもたいせつですよね。
そう、真ん中にいるってすごいことだと思う。
それはたぶん不動の位置で、
永遠に入れ替わることはないように思います。

先生にとってはもしかしたら
「片恋の向いた先が自分」だとは
思っていないのかもしれないけれど、
そのときの思い出の真ん中にはきっと
まっすぐまっすぐ体当たりするみたいに
走ってきてくれた(17歳だった私)さんが
いるんじゃないかなあ。

ああ、しみじみ、いいおたよりでした。
ありがとうございました。
みなさまよい週末をおすごしください!
恋の歌をいっぱい聞く週末もいいかも。

2014-06-04-WED

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