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 『明日に架ける橋』
 サイモン&ガーファンクル

 
1970年(昭和45年)

思い出の総量ではなく、
思いの総量が
人の結びつきだと
思ってきたのに
(さぶ)

Your time has come to shine
All your dreams are on their way
See how they shine


15年、思いを寄せる彼がいます。

つきあっているようで、
そうではないような関係を、15年。

離れているので、
年に1、2回、二人で過ごす時間があって
月に数回メールをする時間があって、
それを15年。

「いい年」といわれる時間の15年を、
この形で過ごしてきました。
私には、とても幸せな形です。

最近、別のある男性が、
いろいろな場所へ誘ってくれるようになりました。
古くからの友人で、
私の心のありかもよく知っています。
何より誘われた行き先への純粋な興味があって、
構えることなく参加しました。

何度か参加するうち、ふと、
この友人と出かけた思い出の総量が、
彼との15年分を、
簡単に越えてしまうかもしれないことに
気づきました。

思い出の総量ではなく、
思いの総量が人の結びつきだと思ってきたのに
今の私にとっては思い出が大切で、
それにずっとずっと飢えていたのだと
気づいて、戸惑いました。

友人のカーラジオから聞こえてきたこの曲が、
耳に残っています。

友人が今、私の道となってくれているようで、
でも、それを気軽に選んで進んではいけない気がして
少なくとも、選ぶよと伝わってはいけないと思って、
ひどく慌てて口ずさむのを
途中でやめた覚えがあります。

でも、思えば、この戸惑いも
誘いに参加を決めたときから、
わかっていたんですよね。

(さぶ)

長い年月をかけた恋が、
別の恋に、ゆっくりと、
置き換わろうとしている。

投稿してくださった方は
それを「恋」とは
まだ認めていないのかもしれませんけど、
やっぱり、恋なんじゃないかなあ。

恋に限らないのかもしれませんけど、
長く、長く、ひとつのことを思っていると、
なんだかいろいろぼんやりとしてきて、
自分がなにをどう思っているのか、
よくわからなくなってきますよね。

同じ漢字をずっと書いていると
「あれ? これでいいんだっけ?」
って思っちゃうみたいに。
友だちのあだ名の由来が
まったく思い出せなくなるみたいに。

そこに重なる新しい出合い。
もう、頭で考えるんじゃなくて、
向かいたい方向へ踏み出す
自分の一歩を信じていいんじゃないかなぁ。

うん。そうですね。ぼくも同じように思いました。
新しい道を選びそうな自分に気づき始めている、
そんな気配を投稿文の締めくくりに感じました。

さておき。
「つきあっているようで、
 そうではないような関係を、15年。」
この事実は、すごいですね。
仮りに35才ではじまったことだとすれば、
50才までその関係が‥‥。
そしてそれを、
「私には、とても幸せな形です。」
とおっしゃっている。
さらりと書かれていますが、
この、嘘のない一行に不思議な感動を覚えました。
一般的ではないかもしれないけれど、
ふたりだけが確信をもって幸せと言える恋愛の形は、
幾千幾万とあるんですよね‥‥。
そんな当たり前のことをあらためて思います。
(さぶ)さんの新しい道が、
ためらいのない明るい道筋になりますように。

時間なんでしょうか、
それとも心なんでしょうか。
そもそも人への思いって、
そのふたつを分けることが
できるものなのでしょうか、
あ、あと「からだ」もあるしなあ。
というところからして
わからなくなっちゃう
(恋の研究者っているのかな?
 複雑な方程式があるなら
 未来の科学者に託したい)。

いま(さぶ)さんは揺れているのですね。
15年、「思いを寄せる彼」。
片恋よりも、強い関係らしい。
でもその先をはっきりさせずに来た。
そして今の友人が浮かび上がってきた。
今の友人と歩く道もあり、
15年の彼とおだやかな幸福を続ける道もあり。

自分だったらどうするんだろう。
「それなりにうまくやる」のかも。
あ、ひどいこと言ってる!

「明日に架ける橋」は原題が
「Bridge over Troubled Water」です。
明日と訳したことばは、Troubled Water。
荒波とか荒れた海の意味らしいです。

自分では、これがいいと思っていたことでも
ほかのここちよい価値観を知ると
(価値観か? もっと別の言葉のような
 気がするけど、まぁ、価値観だとして)
これがわたしが欲していたものかも、
という、目からウロコ的な現象となり
あと戻りができなくなることがありますね。
15年、しあわせだったけど、
そういうことってあるんだなぁ。

でも、その歌は、やすやすとくちずさめないんですね。
わたしの本当の気持ちはどこにあるのかしら?
かといって、思い出を作れない彼に
戻ることはできません。
パチンコ台の前で、こんなにつぎこんだのに、
元を取るまでは離れないぞー、
この時間はなんだったんだ、
という気分になることがわたしはありますが
そんな自分だけの納得感は
近所のドブ川に投げ捨ててしまうことにします。
人生は螺旋階段です。
彼でも友人でもない、次のステップに
しあわせがあるのかも!

秋です、新しい出会いが待っています。
次の土曜も恋歌くちずさみ委員会で
お会いしましょう。

2014-09-24-WED

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