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 『親知らず』
 チャットモンチー

 
2007年(平成19年)
 アルバム『生命力』収録曲

私は両親に聞きました。
「結婚して良かったと
 思っている?」
(「これって恋歌じゃないかも」)

私もいつかこんなふうに人を愛せるだろうか
幸せの意味を誰かとわかりあえるだろうか


いつも素敵な物語が書かれているこちらに
自分の話なんて取るに足らないものかもしれませんが、
書かせて頂きます。

実は私、先月結婚しました。
相手は一つ年下の男性です。

そして私の初めての恋人です。

いわゆる私はアラサーで今の主人に会うまでは
恋人や結婚というものを嫌悪していたように思います。

私の両親は思った事をなんでも口に出してしまう性格で
「ワカレタイ」
「ウマナケレバ」
など衝動的に言ってはその後に謝っていました。
私はその姿をみて
結婚をしてもそんなことを思うぐらいなら、
子どもに対してそんな言葉を言うような親になるぐらいなら、
自分は一生一人で生きて行こうと思っていました。
今思うと、
テレビや教科書に出てくるような姿とは遠い両親をみて、
私は勝手に失望していたのかもしれません。

そんなことを言ってもアラサーともなると
「結婚」の話は多くなります。
両親からも言われる度に私は反抗心を高めます。
「あなた達のような夫婦になれというのか!」
と心の中で思いますが
のらりくらりとかわしても親は納得しないだろう
と思い切って婚活を始めます。
服装もお化粧も髪型も勉強をして
女性らしい姿になるように努力しました。

ここまでやって、ここまでお金をかけても駄目なら
なにも言ってこないだろう。

そう思って活動していた私が最初に会ったのが主人です。
結婚する気のない私は、
気負わず飾らずで相手と話をしていました。
それを主人は「素直さ」と好意的に解釈してくれました。
素の自分を受け入れてくれる人がいるという、
幸せを私は感じました。
いろいろあった末、
プロポーズを受け結婚をすることになります。

私は両親に
結婚をしたいこと、故郷から離れること
そして今まであなた達の姿をみて
結婚をしたくなかったと思っていたことを伝えました。

最後のことは言わなくても良かったことかもしれません。
親の心をかき乱してしまったことの罪悪感は今もあります。
でもこれを言わないと私の中にある
今まで作り上げた壁を壊せないと思ったのです。

両親は動揺していました。私はそこでさらに聞きます。
「結婚して良かったと思っている?」
実は別々に聞いていたのですが、二人の答えは同じでした。
「良かったと思っている」

あれほど喧嘩をしていたのに。
お互いを嫌い合う言葉を
私の目の前で繰り広げていた親がそう思っている!

私はそこでようやく両親の間にある
絆を感じることができたのです。
同時に親もまた未完成な人間なのだと気づいたのです。

勝手に失望して心の中に作っていた壁が
すぅっと消えました。

結婚の挨拶をしに主人が私の実家に来る日に
母親がそわそわとしていたこと、
父親が車をなぜかピカピカに磨いていたことを
私は微笑ましくみていました。

事情があり来月ようやく
主人と一緒に暮らすことになります。
心配性の親はいろいろと私に言ってきます。

私たち夫婦がどういう関係を
築いていけるのかわかりませんが
どうか親と同じ「結婚して良かった」と
そう思えたら良いなと思います。

(「これって恋歌じゃないかも」)

ハンドルネームで
「これって恋歌じゃないかも」と
書いていらっしゃいますが
いやいや、これは恋歌ですよ。
結婚はゴールじゃないってよく言うではありませんか。
それがわかって、いっしょに歩もうとする気持ち。
すばらしいと思います。
いろいろいろいろありますからね、
それはほんとうに、おっしゃるとおり、
親を見ていてそう思います。

うちの両親も、私が若い頃は
そんなになかよくなかったと思います。
これがふつうなのかな? と思っていたけど、
よく考えりゃ、家族に「ふつう」なんて、
ありませんものね。
人間どうしが深くかかわることですから、
みんな、家族というものはある部分で
異常になっていると思います。
だから、ドラマや隣のおうちを
軽々しくうらやんだりしてはいけないのかもしれない。
私の両親はいっしょの仕事をして、年をとって、
いまじゃもう、すごくなかよしです。
思いやりに満ちあふれているようにみえる。
私にも思いきりやさしいです。
最初っからそうしてくれればいいのに、と思うけど
そんなことでもないんだなぁ。

近くで見ちゃってるから、どうしても
親の影響というものを受けてしまいますが、
私も同じく、
両親のような「同志のような関係」ができて、
さいごに
「お互いがんばったね! 
 おまえやで、いや、おまえがやで」
と言い合える家族になりたいなぁなんて思います。
チャットモンチー、いいなー。

あれはぼくが高校生のときでした。
ざあざあ降りの雨の日。
なんの用事だったかは忘れたけれど、
ぼくは父の運転する車の助手席にいました。
車内はふたりだけ。
目の前には踏切のバーが下り、赤い点滅。
ワイパーがせわしなく左右に動いています。
父がぽつりと言いました。
「おれは母さんと結婚したことを
 こころのそこから後悔している。
 ‥‥お前はちゃんとした女性を選びなさい」
なぜ子どもにそれを言うのだろうと思いました。
「じゃあぼくは後悔の結果?」と。

それから30数年後、2012年、病院の一室、
ベッドに横たわり冷たくなってゆく母の手を握り
「玲子、玲子、玲子‥‥」
と背中を丸めて名前を呼び続けていたのも、
同じ父です。

あ。書いていて気づきました。
あの雨の日の車内の父と、いまのぼくは同じ年齢だ。
だからなんだということもないのですが‥‥
「そういうことを子どもに言っちゃうことも
 あるよなぁ」
という気持ちはわかる気がします。

チャットモンチーは全アルバムiTunesに入ってます。
ファンです。
「親知らず」はたしかに家族の歌だけど、
この歌を選んだ投稿者さんの心には
あたたかな恋の幸せが含まれていますよね。
だからやっぱり、そう、この方の恋歌なのだと思います。

こらこらこらこら、
投稿を読んでぐっときてたところに
さらにこころを揺さぶるような話を
重ねないでください。まったくもー。

そう、
「あのときの両親」の年齢を
じぶんがあっさり追い越していることに
驚きますよね。
子どもを叱ってたり、夫婦ゲンカしたり、
意外に若かったんだなあ、
あのころの父や母は。

今回の投稿や、
同僚のコメントを読んで思い出した
糸井重里のことばを貼りつけておきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ぼくは、ほとんどすべてのこどもの「願い」を、
とっくの昔から、よく知っています。
時代が変ろうが、どこの家のこどもだろうか、
それはみんな同じです。

おもちゃがほしいでも、
おいしいものが食べたいでも、
強くなりたいでも、
うんとモテたいでもないです。
「おとうさんとおかあさんが、
 仲よくいられますように」
なのです、断言します。
それ以外のどんな願いも、
その願いの上に積み上げるものです。

『ボールのようなことば。』より
ーーーーーーーーーーーーーーーー

ちいさい頃、飲むと荒れる父と
ただ我慢する母を見つづけました。
腕力のDVでこそなかったけれど、
言葉がすごかった。
酔うと暴言を吐くタイプで、
しかもべろべろになるまで飲まずにはいられず、
ほんとうにやっかいでした。
早く酔いつぶれて寝てくれと毎日願ってました。

思考停止に近かったのかもしれないですが、
ぼくはそれを
「こういうものなのだろうなあ」という、
あきらめというか、前提条件のような感じで
受け止めていました。
でも、そうだなあ、
「なんでなんだろう」とは思ってました。
なんでそこまでがまんしないといけないのかな、と。
逃げちゃだめなのかな、と。
けれどもじっさいは、逃げることなんてできなかった。
逃げ場はありませんでした。
ぼくも母とおなじように
ただ我慢する年月を重ねました。

あ、これは「酔うと」そうなるというだけのことで、
昼間はべつにどうということはないのです。
教育にひじょうに厳しい父であり母であり、
またユーモアのあふれる夫婦でもありました。
和菓子職人としての父は地あたまのよさと
だれからも尊敬されるほどの才能を持ち、
母は美人で明るく明晰で気持ちのいい人です。
ともかく、酒がね、いかんね。酔っ払いはね。
だからぼくは飲んでもぐでんぐでんにはなりません。

18のとき大学進学で東京に行くことになり、
というか東京に出るために大学を受けたようなものですが、
ぼくはただただそれがうれしくて、
振り返りもせずに家を出ました。
もちろん母は残りました。
そしてもう30年が経ちました。

いつのまにやら、父と母は
ぼくの目から見たらあきらかに
仲が良くなっていきました。
父の酒癖は(日本酒をやめてみたら)
格段によくなりました。
祖母を看取るのもたいへんなことでした。
父の大病もありました。
そういうことがきっかけなのかどうなのか、
なにしろ離れていたのでわからないのですが、
帰るたびに少しずつ仲良くなっていくのが
わかりました。
本人たちはそういう意識はなさそうだけど、
ぼくからしてみると
「十代までのあの心配はなんだったのだ」と、
ちょっとあきれる感じもあるほどです。
嬉しく思わないでもありません。
それぞれ訊いたことはないのですが
ぼくの感じでは、父は母にずっと惚れていて、
でもその感情表現がまったく上手ではない。
たぶんいまもそう。
母のほうはわかりません。
母というより女性の本心はほんとうにわかりません。

あ、ぼくは、仲良くするコツは
仲良くしようと思うことだけだと思っております。
母もそうなのかなあ。

なんでこんなこと書いているんだろう?!
みなさまよい週末を。

2014-10-04-SAT

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