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 『真冬の帰り道』
 ザ・ランチャーズ

 
1967年(昭和42年)

もう当時の気持ちを
伝えられないまま、
天国に行くんだろうと
思ってました。
(沢庵)

大好きだけど言い出せなくて、
心で燃えて唇かむだけ


中高6年間女子校だった私は、
大学1年の夏が初恋でした。
でも彼は私の友人が片思いしていた人。
最初は、彼女と彼の
恋のキューピットになるつもりだったのに、
いつの間にか
ミイラ取りがミイラになってしまったのです。
でも、これは絶対にあってはならない事。
なので、最初は誘われても断っていたけど、
私を見つめる時の彼の瞳や、
送られてきた手紙でついに恋に落ちてしまいました。

悩んだ末に・・・こんなのは口実だけど、
自分に、ひとつだけルールを作ったのです。
「自分から『好き』と言わない。
なるべく好きという感情を抑える」という変なルール。

当時、貧乏学生だった私達は、
デートと言えば、手を繋いでよく歩きました。
一緒に歩いてるだけで楽しかった。
暑い夏も、落ち葉の季節も、冬の寒い中も。

そんな落ち葉の季節に、彼が私に訊いたのです。
「○○ちゃん、僕の事どう思ってる?」
大好きに決まってます。
でも、ルールは守らなければ。。。
そして・・・、しばらくたって口から出た言葉は
「いい人だと思う」でした。
何てことを言ってしまったんでしょう。
失礼ともとれる言葉ではありませんか。

それから春が来て・・・
夏が再び巡ってくる前に私達は別れてしまいました。
何が原因だったのか分かりません。
当時は今のように、「告白」なんてものはなく、
付き合い始めも別れる時も、
何となく・・・という時代です。
でも一層の事、「嫌いになった」とか
「他に好きな人が出来た」って
言われた方がスッキリしたのに、
いつものように、
「また電話するね」と明るく言ったのが最後でした。
ずーーっと待ったけど電話はなくて、
ああ、振られたんだと気づいて
涙がこぼれたのは秋になってから。

それから数年後、彼の友人から、
どうやら私はふられたんじゃないらしい事を聞きました。
彼も私に振られたと言って凹んでたと。
どこかでボタンの掛け違いがあったでしょうか?
もっとお互いに素直に話し合ってれば、
別れは来なかったかも知れない。。。

あの時、「大好き!」って言えなかった事を
ずっと後悔して、いつか彼に会ったら、
「あの時本当は『だーい好き』って言いたかったの」
って、言いたいと思いながら40数年。
もう当時の気持ちを伝えられないまま、
天国に行くんだろうと思ってました。


ところが・・・・
フェイスブックという便利なものが出来て、
当時の彼の友人が比較的近所にいる事を知って
旧交を温めているうちに、
グループで彼と会う事が出来たのです!
知り合ってから45年ぶりの再会です。
還暦過ぎの私達は、みんな一気に大学1年生に戻りました。

彼は歳より若く見えるけど、
さすがに二十歳の頃とはちょっと違う!
って一瞬戸惑いました。
でも、みんなの前で
「僕たちのファーストキスって
 港の見える丘公園だったよね?」
なんて公言してしまう無邪気さも、
走り方や話し方も、
隣に並んで歩いた時のチッチとサリーのような身長差も、
悲しいくらい変わっていないのでした。
そして、優しいけどちょっと意地悪なところまでも、
当時のまま。

せっかくの再会だったけど、
「あの頃、だーい好きだった」
って言えないまま終わりました。
でも・・・多分・・・言葉で言わなかったけど、
当時の気持ちは通じただろうと思うので、ま、いいか!

今は、孫のM君という大好きな4歳男子もいるから。

(沢庵)

思いが伝えられなくて、もどかしくて、
やきもきして、それでも大好きで。
1960年代の、
のっぽの彼とちっちゃな女の子のものがたりは、
まさしく「チッチとサリー」が出てくる
『小さな恋のものがたり』のようです。
曲の年代といい、「当時」ということばが
ときどき出てくるところといい、
ちょっと前のおはなしなんだろうなと読んでいたら
「天国」ということばにギョッとしました。
60代ってそんな覚悟をする年齢なんだ‥‥。

でも、フェイスブック。
まさかそんなものができるとは
思いもよらなかったですよねえ!
当時「LINE」とかがあったら、
また別だったのかな。
そんなこと言ってもせんないことだけど。

しかし、彼、若いなあ。
「走り方」って!
走ったんだ!

出ました、
「恋歌くちずさみ委員会」名物、
さらっと何十年も経ってしまう投稿。

「言いたいと思いながら40数年」ですよ?
恋に悩める若者たちよ、
「あれから2年も経つのに‥‥」とか
ぜんぜんまだまだなのかもよ?
いや、「まだまだ」っていうのも変な話ですが。

そして、この、全体に
若々しい文体ったら、どうだろう。
最後に「孫」とか出てきて
びっくりしちゃいました。
ほんと、恋する気持ちは
「いくつになっても‥‥」ですね。

文末でお孫さんのM君が登場したのち、
もういちど前にもどって読みました。
恋歌の『真冬の帰り道』が発売されたのが1967年。
ちょうど私が生まれたあたり。
(45年ぶりの再会‥‥うん、そのくらいですね)
あの頃の恋のお話かぁ!
普遍のみずみずしさ、恋にはあるんだなぁ。

自分で決めたルールって
あとで考えると「なんじゃろな」と思っちゃうことが
ありますよね。
でも、でもでもでも‥‥
恋でもなんでも、最も大事で、無視できないことに
「自己満足」というものがあると
私は思うのでございます。
そうだとすると、そのルールは
「そうしないと自分が納得しなかった」
ということであり、
もっとも大切な感情であるわけです。
自らの意志で、自らの喜びにおいて、恋をする。
だからいいんだ、それでいいんだ、と思います。

いまでも「だーい好きだった」と
言える彼で、うらやましいです。
当時のなかよしっぷりが
そんなふうにいまにつながってるんだから
気持ちは通じていたにちがいない。
M君も、きっと(沢庵)さんがだーい好き、でしょう!

わあ、もう、みんなに言い尽くされてしまって、
何を書こうか困ってしまうのですが、
でも素直に。

40数年ぶりの再会の、
そのさわやかさに感動しました。
一気にみんなで大学生に戻る感じ、
いいですねー、すばらしい。最高の時間ですね。

そしてそう、
この投稿はどうしたって二度以上、読みたくなります。
時系列を把握した上で読むと、
ぼくらの先輩世代の青春が、味わい深く伝わってきます。
「告白」っていうのは、なかったんですね。
季節とともにデートを重ねて、
なんとなくそうなっていく‥‥
自分を律しながらすこしずつ心や体を近づけていく‥‥。
誠実で切ない恋のお話。

一転して、さらりと、
「僕たちのファーストキスって」と言える今。
経過した時間のすばらしさを感じます。
(沢庵)さんが、
「だーい好きだった」と言わなかったのも、いいなぁ。
かっこいい。

ありがとうございました。
先輩から、こういうお話を聞けてうれしいです。
最後のお孫さんの話もうらやましい!

それでは。
また次の投稿でお会いしましょう。

2014-11-12-WED

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