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 『Anniversary』
 松任谷由実

 
1989年(昭和64年)

抱きしめることしか、
私にはできませんでした。
(寧里)

あなたを信じてる
あなたを愛してる


20年と少し前、
彼は一人の女性を轢き殺してしまいました。
高齢の女性で、横断歩道の無い場所を、
横断してこられたのだそうです。
その日の朝、お天気はどうだったか。
どんなふうに車に乗ったか。
その瞬間、のこと。
そのあとの様々なこと。
そんなことを、私に話してくれたのは、
おつきあいをはじめて2ヶ月後のことでした。
まるで昨日のことのように、
いえ、たった今のことかのように、
彼は震えながら、話してくれました。
震える男の人を抱きしめることしか、
私にはできませんでした。
彼は、泣いていました。

彼の友人たちと初めて会ったとき、
そのうちの一人が、
ふと、「知ってるの?」と聞いてきました。
なんのことか、すぐ、わかりました。
「うん」と答えたら、
「話せたのか、良かった。
 わかってつきあってるんなら、
 それでいいんだ」
と笑顔で言われました。
彼は、この20年を、こんな人たちに支えられて、
やっと、生きてきたんだなと思いました。

彼から、この話を聞いたとき、
お店で、なぜかこの曲が流れていました。
あまりにも不似合いなこの曲。
窓を幾重にも閉ざした向こうから
聞こえてくるような気がしました。
でも、思い出すのです。
「あなたを信じてる あなたを愛してる」‥‥。

彼のしてしまったことは、消えない。
彼に過失は殆どなかったとされたけれど、
でもそれでも。
その方のご家族は、事故の日も、
そしてそれからも
彼を責めることは無かったそうです。
でも、彼は、自分を責めて生きている。
彼のしてしまったことは、彼の中で、消えない。

一緒に背負って歩んでいきたいと思います。
初めて、心が安らぐ場所を、彼が私にくれたから。
私と一緒にいることで、
彼が安らいでくれたらと願いながら。

もうすぐ、また事故の日がめぐってきます。
彼は今年も、その方のお家へお参りに行きます。
一緒に行かせてほしいと、頼んでみるつもりです。
(寧里)

運命というものがあるのなら
したがうしかない、
と思うような出来事が、
ごくたまに起こります。
「いま、なぜこういうことが起きるのか」
と思うようなこと。
それはほんとうにささやかなことだったり、
なにかを左右する重大なことであったり、
じぶんのことだったり、
じぶんをとりまく何かのことだったり、
そして、とても大事な人のことだったり。
いいこともあれば、
そうじゃないこともあります。
ものがたりは違うんでしょうけれど
どんな人にも起こりうること。

泣いて震える人を抱きしめる。
それしかできなかった、と、
(寧里)さんはいうけれど、
彼にはきっとそれがいちばん
必要なことだったと、思います。
こういうとき、
からだのあたたかさや重みほど
雄弁なものはないって思います。

20年以上前、ということは、
どんなにそのとき若くても
彼はいま、大人になっていて、
ずうっと償う思いを持ち続けていらっしゃるのですね。
そのときの心をなぞるような告白は
聞く側もつらい思いをしたと思いますが、
逃げないで、そのことといっしょにいるという
彼の生き方を感じます。

でも‥‥もしかしたら「忘れてもいいんじゃないか」と
思ったりしたかもしれない。
でも彼は、ありありと憶えている。
それは、きっと自分でも
どうしようもないことです。
寄り添ってくれる人がいることが
どれほど力強いことかと思います。

「それは自分だったかもしれない」

重大な出来事に出会った人を知ったとき、
そんなふうに考えてみることがあります。
当事者の気持ちに及ばないのはあたり前としても、
「自分だったら」と思うことで、
ちょうどいい接し方のヒントのようなものが
ぼんやりと見えてくる気がして。

でも、それでもそれは間違っているかもしれない。
「そっとしておいてほしい人」に
たくさんの言葉をかけてしまうことがあります。
逆に「なぐさめてほしい人」に、
腫れ物に触るような扱いをしてしまうことも。
だから、
重大な出来事に出会ってしまった人に接するときは、
それなりの勇気と慎重さがいると言えるでしょう。

(寧里)さんの彼には、
ちょうどよい接し方で
彼を支える人が何人かいらっしゃるのですね。
もちろん、(寧里)さんを含めて。
それは彼にとって、本当におおきな財産。
彼のなかにある自責の念を消すことは難しくても、
まちがいなく、そう、
ご自身でもおっしゃっているように
「安らぎ」は届いていることでしょう。

「あなたを信じてる あなたを愛してる」
なんて、支えになる言葉だろう。

彼の友だちの振る舞いが
とてもすばらしいと感じました。
そして、その友だちをふくめて、
彼の人間性なのだろうな、と。

曖昧な話になってしまいますが、
どんなかたちであれ、
人が亡くなってしまうということは、
多くの常識的な人の口をつぐませます。
感情の機微を表すことを自粛させ、
本来の欲求を少し奥の方に追いやります。

その礼儀は守られるべきだと思います。
自由を履き違えてはいけないと思います。
けれども、奥に封じ込められた
「ほんとうの気持ち」が
まったくなかったことになってしまうのは
よくないとぼくは思います。
行動に表さなくても、ことばにしなくても、
「ほんとうの気持ち」はたしかにそこにある。

彼の「ほんとうの気持ち」を、
そういう意味で尊重できる人たちが、
彼の世界を守っているのだろうと思います。
そしてその世界の、新しい重要なひとりが、
投稿してくださった彼女なのでしょうね。

投稿を読んで、最初に思い浮かんだのが
さだまさしさんの『償い』という歌でした。
この投稿の話と同様に、
ハッピーエンドはありえないのですが、
最後にすくいのある、哀しくてやさしい歌です。

クリスマスにまつわる投稿は、
これまでたくさん寄せられたのですが、
クリスマスイブという特別な日に、
ぼくらはこのお話を選びました。
それでは、次回の更新で。

2014-12-24-WED

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