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 『染まるよ』
 チャットモンチー

 
2008年(平成20年)

もう会えないわけでは
ありません。
もう会わないと決めたから、
涙が出ました。
   (ゆい)

いつだって あなただけだった
嫌わないでよ 忘れないでよ


夜、彼が私の鞄に忘れた煙草を吸いながら
一人で歩いていると、
やっぱり私はぼんやりと思い出します。

高校生のとき、私にはひとつ下の恋人がいました。

今なら笑ってしまうほど、純粋な恋でした。
それでもそのとき私は、
こどもなりに、真剣に恋をしていました。

二人でイヤフォンを半分こして、
よくこの曲を聴きました。
そして、いつか離れる前に
二人でどこかへ行けたらいいね、
なんて笑って、少し泣きました。

恋人になったことを誰にも言わず、
こっそりと会って、その日の出来事を話したり、
たまに手を繋いだり、それだけでした。
それでも確かに私は幸せでした。

三年生になったとき、私は進路活動に必死で、
恋を頑張る余裕などありませんでした。

そんな私を見て、後輩は寂しそうにしていました。
それに気付いていたけれど、
私は知らないふりをしました。

だんだんと卒業が近づいた時、
後輩は私に別れを告げました。
私は泣きながら、こうなることを知っていました。
けれど知らないふりをしました。
それでもやっぱり後輩は、
私ではない誰かと一緒に居ることを選びました。
それでもやっぱり私は泣きながら、
最後には頷きました。

私は別れたあとも、後輩のことが好きでした。
きっと後輩も、私のことが好きでした。

教室の黒板に貼られた卒業式までのカウントダウンに、
私は胸が痛くなりました。

カウントダウンが0になった日、
教室で皆が涙ぐんでいたときも、
校長講話のときも、送辞のときも、答辞のときも、
私は泣きませんでした。
死ぬわけじゃないし、
これで最後じゃないと思っていたからです。
また友達とも先生とも
きっと会えると思っていたからです。

それなのに、退場で在校生の中に後輩を見つけて、
私の視界は歪みました。
もう会えないわけではありません。
もう会わないと決めたから、涙が出ました。

後輩は私を見ていました。
そしてぎゅっと、スカートを握っていました。
私もスカートを握りました。
後輩の長い髪が揺れて、私は思わず笑いました。
彼女の長い髪が好きでした。

あの日以来、彼女とは会っていません。

彼女と過ごした二年の歳月と、
あの気持ちを思い出すたびに、
私は胸が締め付けられるような、
苦しくて、幸せな感情が込み上げてきます。

彼女がいつか幸せになったとき、
私のことを思い出して、
懐かしいなと笑ってくれたらいいなと、
私はこっそり思いながら、
苦手なくせに苦い煙を吐きます。

この煙が、彼女の元へ届いたら、
彼女は泣くのでしょうか。
それとも笑うのでしょうか。
今、彼女は煙草を吸うでしょうか。

(ゆい)

気になりながらも、
新しいお気に入りを増やすことが
ただおっくうで先送りにしていた
チャットモンチーを、
この投稿をきっかけにくり返し聴いています。

背伸びと、真っ直ぐな視線。
なんと切ない曲。

性差を超えてクロスした後輩との思い出。
たぶん、なにかの自然現象みたいに、
ある短い季節の間だけ、
純粋で特別な関係があったのでしょう。
考えてみると、それって、
とても「バンドっぽい」現象ですね。

投稿の内容とこの歌が
引きはがすのが難しいくらい
ぴったりと寄り添っているように
感じられたのは、内容だけじゃなくて、
つづられた後輩との関係や空気みたいなものが
チャットモンチーの演奏そのものと
よく似ているからかなと思いました。

永田さん、チャットモンチー、どんどん聴いてください。
いいですよー。敬愛するバンドです。
最近のでいうと『いたちごっこ』という曲とか、
PVも含めて、すっばらしいです。

(ゆい)さんの投稿は、
そう、チャットモンチーの曲のように読みました。

後輩はぎゅっと、スカートを握っていました。
というところで、
「そうか」と思うわけです。
でも、「そうか」と思うだけで、
そこまでで読み手に伝えてくれた
純粋でせつない「場面」や「心」の描写は、
グラリともすることはありませんでした。
すばらしい。最後の一行まですべてすばらしい。

ここで何度も繰り返してきたお礼ですが‥‥
きらきらひかるたいせつな思い出を、
(ゆい)さん、ありがとうございました。

イヤフォンを半分こってことは、
(ゆい)さんと後輩の
それぞれの『染まるよ』の思い出は、
きちんと半分こかもしれない。
合わせて聴くと、それがふたりが
ふたりで聴いていた音になる。
いまでも、片耳だけにイヤフォンをすれば
同じ音が聞こえてくるかもしれないけれど、
もう片方の耳の側にあった、あの体温はない。
揺れる長い髪がふれることはない。
そういうことを考えていると
とてもせつなくなりました。

高校生の恋は、それ以前の淡い恋とはちがい、
たしかに子どもだけれども
「昔」ではなく、
くっきりした輪郭を持っているような気がします。

若いときは、狭い状況のなかで
自分の殻をやぶりながら恋をするので、
傷つけたり、どうしようもなかったできごとが
たくさんあると思います。
高校生のときの恋については、
それをなんだかありありと思い出せてしまう。
『染まるよ』の歌詞みたいに
どうやったらマシだったかと、思ってしまいます。

会わないと決めたつらさ、
文字からもらい泣きをしそうになりました。
自分で気づかないふりをしている
高校3年生のスカートの「ギュッ」はせつないです。
彼女もきっと、思い出していると思う。
チャットモンチーは、私も
最近とても好きになった音楽のひとつです。
今日も聞いてみようと思います。

ではまた、土曜の恋歌で。

2015-01-14-WED

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