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 『桜の時』
 aiko

 
2000年(平成12年)

一人の時にひっそり
歌っては、誇らしい
気持ちと薄桃のベールを
思い出しています
   (まだ毎日夢のよう)

憧れだったその背中
今は肩を並べて歩いている


カラオケで、目の前の人に向けて
「思いをのせて歌を歌う」ことなんて、
絶対にすべきでないと思っていました。
ひっそり思いながら歌うならともかく、
あからさまなメッセージとして歌うなんて、
信じられない、恥ずかしげもなく。

だから、その時は本当にタガが外れていたのです。
はじめて、好きになった相手と付き合えて。
見るものすべてに
薄桃色のフィルターがかかっていた日々。
長く憧れて尊敬した人と一緒にいられる誇らしさと、
こんなお祭りはいつか終わるだろう
という根拠のない寒い不安が
いっしょくたになった薄桃色の世界で、
つい油断して、二人で行ったカラオケで歌いました。

自分の心情にぴったりだとひとり口ずさんでいた歌。
だけどその歌手の歌はもともとよく歌うし、
恋の歌もよく歌う。
まさかわかりはしないだろうという
秘密のひとり遊びのつもりもありました。

「これ、俺にむけての歌やろ?」

じっと歌詞を読んでいた相手が言った時、
とっさに否定したのに、相手はにこにこしながら
「そーかそーか。ありがとなー俺もなんか歌おう」と、
こちらの覚悟も秘密も台無しにする明るさで
何らかのラブソングを検索していました。

こんなことしたの初めてだったのに。
なんでわかったんだ?
しかも、なんで動じてないんだ?

混乱と恥ずかしさで脱力しながら
歌い終わった私は茫然としながら
相手の入れたモンパチの歌を聴きました。
腹から声を出して、外にいるみたいな歌声でした。
堂々としてるなー。この人は、恥ずかしくないんだな。
やっぱり、すごいな。

あれから8年が過ぎて
薄桃のフィルターはなくなりました。
代わりに一層鮮やかに見える世界が表れて、
今は彼と、二人の子供と一緒に暮らしています。

この曲は、一度ばれた以上
まだまだ目の前では歌えませんが、
一人の時にひっそり歌っては、
誇らしい気持ちと薄桃のベールを思い出しています。

(まだ毎日夢のよう)

「誇らしい気持ち」という表現が
とってもいいなあと思いました。
好きとかいっしょにいたいとか、
そういう恋愛的な一時期を超えて、
長くふたりを貫いていくのは、
そういう「誇らしい気持ち」みたいな
ものなんじゃないかなあ。

もちろん、恋の終わりがどうであっても、
恋の思い出そのものは変わらないんですけど、
そうはいっても、この投稿のように、
「誇らしい気持ち」をもったまま
二人の関係が続いていると、
なんとなく、ホッとした気持ちになります。

まだ毎日夢のよう、だなんて、
すばらしいなあ。

プロじゃなくても、アマチュアでも、
「うたのすごみ」が出るときって、
こういうとき。
(まだ毎日夢のよう)さんの、
そのときの「桜の時」は
さぞや、さぞや、さぞや、
思いのこもったものだったろうなあ。
たぶん、いっしょにいた仲間も
「ひゃーっ」って思ってたと思います。
ちゃんと伝わってよかったねえ。

彼はモンパチ(MONGOL800)、
なにを歌ったんだろう?
「小さな恋のうた」かなあ。

なんで彼はわかったんでしょうね?
やー、やっぱりわかるもんなのかな。
わかるということはつまりね、
すっごく、好きだったんだと思いますよ。
好きな相手のことは、どんなに細かいことだって
わかるものなんですよ。
私はそう思います。

この『桜の時』の歌詞のように
長い時間を越えて、ちがうキスをする相手が
ほんとうに彼になるなんて、すごい。
この「唯一無二」の関係になる感じ、
憧れや淡い恋だったものが
ぐぐっと強い関係になる瞬間は
恋愛の醍醐味のひとつですね。

ぼくらが若いころは
カラオケはそれほど身近ではなかったので、
カセットテープに編集した恋歌を詰めて
送ったりしたものでしたが‥‥なんてことを、
なら、書くかな?

山下はいま、お休み中なのです。
彼になりかわりまして、お礼を言います。
すてきな投稿、ありがとうございました。

つぎの更新は水曜日です。
バレンタインまでは続きそうだけど、
卒業式までは、どうだろう?
それでは、また。

2015-01-17-SAT

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