健全な好奇心は 病に負けない。 大野更紗×糸井重里
第2回 アポロ11号のニュース。
大野 タイとビルマの国境には
難民キャンプがいっぱいあって、
およそ14万人の難民が住んでいます。
そこに「ミャンマー難民です」と見えるような
格好をして潜入していきます。
最初に行ったときは、
「そこにいる人たちは難民だから、
 清く正しく美しく、
 かわいそうな人のはずだ!」
と思っていました。
本にもそう書いてありましたし。
糸井 うん、本にもね。
大野 現地に行く前に100冊読んで
予習してから行くんです。
でも、現地に着くと、それが
どんがらがっしゃーんと、崩れます。

本に書いてあることは
間違ってるわけじゃないんです。
だけど「ほんの一部分なんだな」と思いました。

そこで生きている人たちは「清く正しく」はなくて
みんなけっこういい加減でした。
約束をドタキャンされることもあるし、
こちらが話を聞こうとしても、
「えーー、もうお昼の時間だからごはんにしよう」
みたいなことを言われる。
でも、考えてみれば、それはあたりまえですね。
一度会ったぐらいでは信用してもらえません。
「おじーちゃーん、頼むよ、
 これ日本のポラロイドカメラ、
 これで写真撮るから。どう?
 はいはい、ポーズとって」
「おっ、写真か。それは撮ってもらおう」
みたいな。そんなことのくりかえしで(笑)。
糸井 うん、うん。
すごくわかるよ。
大野 あたりまえですけど、
難民といっても、ふつうの人で、
ぜんぜん清く正しくないんですよ。
糸井 なぜ、100冊の本にはそのことが
書いてないんだろうね(笑)。
大野 彼らが本のとおりに
大変なことには違いないんです。
紛争のなかで生きて、
ものすごい暴力を受けてたりする。
遠くのほうから「パンパーン」と
銃声が聞こえてくるような場所もあるし、
すぐ隣で「マラリアで死んだ!」という声も
聞こえてきます。

でも、難民キャンプの中で
わたしが何をしていたかというと
お茶やお酒をいっしょに飲んで、
「で、昔はどうだったの?」
というような、与太話をしていただけ。
それをひたすらノートに記録していました。

それでも、そこにいるだけで、
目の前の状況はどんどん変わっていきます。

マニュアルや『地球の歩き方』や
100冊の本には書いてない、
目の前に起こってる事態に対して、
「これはどういうことなんだ?」
と思いながらも、
自分が見聞きしたことをそのまま書いて、
できるだけ何も考えずに記録していく、
ノートテイクのようなことをずっとしていました。

そうしていると、だんだん
日本との感覚のずれが起こりはじめました。
だけど、ちょうど進路について
考えなくてはいけない時期で。
糸井 それは何歳ぐらいのことですか?
大野 大学院へ進学するときですから、22歳です。

大学院にいるような研究者は、
やっぱりそれで食べなきゃいけないわけで、
ある程度の理論とか言説を
作らなくてはなりません。
あたりまえのことなんですけど、
それに直面しました。

どんな情報も自分の主観から入ってくるのが
その頃にはなんとなくわかっていました。
だから、純粋な客観性というものは
ありえない中で、ある程度割り切って
「枠組み」を分析に使わないといけない。
だけど、わたしは
割り切れない気持ちだったんです。

日本でわかりやすく伝えるためには
一部を切り取って言わなくちゃいけない。
「ミャンマーの人たちは
 こんなに迫害されていて、
 こんなにかわいそうです」

でも、現場は必ずしもそうじゃないし、
自分との乖離も、どうしても生まれます。
そこにすごく悩みはじめました。
「こりゃちょっと頭を冷やさにゃいかん」
と思いたち、タイで冷静になろうと思って、
タイに行くことが決まって、
そこで発病しました。
糸井 ちょうど行き止まり感があったときに
発病したんですね。
大野 はい。
糸井 そこに一回
行き詰まってたところに、かぁ‥‥。
なるほど。
大野 ここで‥‥ちょっと話は変わるんですが、
じつは今日、
糸井さんにお聞きしてみたかったことがあります。
糸井 はい。なんでもどうぞ。
大野 わたしには高度成長期や
バブル時代の体験がないので、
その時期のことについてお伺いしたいんです。
非常に異様な空間だったんだろうな、
ということは、想像つくんですけど‥‥。
糸井 そのときどきによって違います。
たとえば、どういうとき?
個別に言ってくれたら思い出せるかもしれない。
大野 例えば、アポロ11号とか。
糸井 アポロ11号。
そのころは、自分は職も安定してなくて、
どうしたもんかと、街を歩いていました。
大野 そうでしたか。
糸井 やることがなくて、
街を歩ける時間がたっぷりあって、
それ自体が楽しかったし、
歩くことって、タダだった。
大野 はい(笑)。
糸井 歩いてて、空を見上げて
「アポロのニュースのつづきを見たいな」
と思いながら、オフィスに戻ってる
自分を思い出します。

でもね、アポロ11号について、
みんながそんなふうに興味があったかってぇと、
そうでもない。
アポロと生活って
地つづきじゃないじゃないから
「どっかに火事があったね」
というようなニュースと同じ感じでした。
アポロがどういう意味を持つかとか、
どういうインパクトがあるかは、
それぞれの人が考える責任なんかなかった。

だけど、いまはみんなが
そういうことについて考えてますね。
「考える責任」についてまで、考えています。

ぼくはやっぱり、本来は
ニュースとはあんなふうなものだった、
と思います。
いま、大野さんにアポロのことを訊ねられて
はじめてそう思ったんですけどね。

アポロのニュースを見て
「すごいもんだねぇ」という、
花火を見たときのような歓声を
あげるだけでいいんじゃないかな?

毎日、平凡な何かを思ったり、
偶然のように特別なことを思ったり。
そういうことが近所でやりとりされて、
「そうだ、そろそろ秋刀魚が出てきたね」
というような日常の会話に
すっと戻っていく感じ。
大野 うん、そうですね。わかります。
糸井 アポロ11号と聞いて思い出すのは、
そんなふうに生きていたぼくらのことです。


(つづきます)
2011-12-05-MON
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