健全な好奇心は 病に負けない。 大野更紗×糸井重里
第3回 そんなこと言ってる場合じゃないだろう。
糸井 いつの間にか、
みんなが為政者のように語る社会が
来てしまいましたね。
とくに「9.11」は
大きな影響があったと思います。
中近東にどう支援するかというような話も
為政者のように考える練習になったことでしょう。
あのときから、ずいぶん人は
情報に絡んで生きはじめたような気がする。
「ひとりの人」の役割を多くしすぎちゃって、
いまはにっちもさっちも
いかなくなっちゃってるんじゃないかな。
大野 糸井さんがおっしゃったようなことを
その場にいたことのない人が
リアリティをもって感じられるように書いてあるような
1970年から80年代の本は、
あまりないんじゃないかなぁと思います。
糸井 ないよねぇ。
大野さんのビルマの話だって、
本には書いてないことだらけ。
そうに決まってますよね?
大野 そうですね。
本はいろんなメディアの中でも
いちばん細部にこだわって「書き込める」ものですが、
すべてを描ききることはもちろんできません。
糸井 人はきっとまだら状に考えるのであって、
そのまだらは、混ぜないまま記録しないと、
間違えると思うんですよ。

さっき大野さんがおっしゃった、
ビルマの現地の人との
世知辛い交渉みたいなものも、
何かに混ぜちゃうと
「その人もそういう事情があってね」とか、
そういうことになっちゃうでしょう。

そのオヤジがそのときに
すごくずるがしこい目でこちらを見たとする。
一方でそのオヤジがどこかで
ものすごい暴力で
痛めつけられていたかもしれない。
それは、
ミックスフルーツのジュースじゃなくて、
ミックスフルーツのままで
かごに盛る必要があります。
そこからぼくらは頭の中を
自分で整理しなきゃいけないんです。
大野 それで思い出したんですが、
糸井さんが編集された
『吉本隆明の声と言葉』を読んでいて
ああ、すごいなと思ったことがあって‥‥それは、
言葉の格差についてのことです。

例えば、太宰治の『人間失格』という小説が、
すばらしいという。
それはそれでいいんだけど、なんだか
「太宰治の神社を建てて、みんなで拝んじゃおう」
というような一面もあります。

東日本大震災の被災地が、
東京とのあいだで乖離があることは
あたりまえなんですが、
どうしてだろう?
言葉の格差があるのかな?
と思うようなことがあります。

わたしの通っていた高校は
福島県の郡山市にあります。
震災後、県内最大の書店さんが
イベントを企画して、わたしのことを一度、
呼んでくださった。
体のことがあるので、日帰りで
車で送り迎えしてもらう体制を整え、
トランクに車いすや薬、毛布を積んだり、
タイムスケジュールを考えたり、
誰かに付き添ってもらったり、
いろいろな準備が必要です。
しかしそれでも結果として、
ほんとうに行ってよかったと思っています。
自分の体で行ってみないと、
その場の『空気』はわからない。

後輩の話を聞く機会があったのですが、
その高校生に、震災後からずっと
体育館で授業を受けていたと聞きました。
校舎の大部分が損壊して、
新校舎が建つのは3年後らしいのです、
と話してくれた。

3月からずっと、体育館で
高校生9クラスが授業していた。
夏は暑かったでしょうし、
仮設校舎にやっと移ったそうですが
これから冬だって大変です。
特に、3年生、受験生にとっては
あまりに大きなハンディになるでしょう。

福島のその子は、それが「あたりまえ」すぎて、
人に自分から進んで話すようなことだとは、
まったく思っていなかったのです。

そのほかに、おじさんたちにも、
いろいろ話を聞いたりしたんですが
「いやぁ、んー、まぁ、なんか、
 逃げるって言われてもねぇ、
 そういう感じはまったくしないよね」
とひっそりと、ぽつりと、
わたし相手に個人的に話してくれたりした。

福島に住む人たちにとっては、それが「日常」です。
日常すぎて、話す価値があることだと
自覚してない。
ほかの被災地でもこういう面があると思いますが、
「わたしは今日はこういうことを感じた」とか、
「今日こういうことがあった」とか、
あらゆることを記録していく作業が
必要なのではないかと、
そのときに考えさせられました。

外部者の判断というのは、応急措置なんです。
内側から見える風景と、
外側から見える風景は全然違う。
外側からの言葉だけでは、
あまりにも限界がありすぎる。

けれども、とくに東京で、
そのあたりまえのことを、
なぜか受け入れられなくなっている気がします。
それはなんなんでしょうか。

糸井 うーん。そういうことはきっと上位概念に
吸い込まれていくからですね。
「それは些細なことで、
 もうちょっと些細じゃないことに
 まとめましょう」
という声に、勝てなくなるのです。

地の文が小見出しになり、
小見出しを集めて中見出しになり、
中見出しを集めて大見出しになって、
結局、話が全部同じになっちゃう。

大野さんの『困ってるひと』は
そのあたりを一貫して
あたりまえに書いてるんですよ。
ひとつひとつの話が、大きい見出しに
吸い込まれていってないんです。

ぼくは、そのことをみんながわかるといい、
という気持ちがあります。

いまは、
そこにいる人たちが普通にやってることを、
大見出し側から小見出しを否定しちゃうみたいに、
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう」
と言いやすいときなんでしょう。
ぼくがいちばん恐れるのは、
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう」
という言葉です。
例えば、大野さんの名刺の肩書きに
「難病人」って書いてあったら、
もう、大野さんのすべてがそうなりますよね。
大野 そうですね。腫れ物に触るように扱う、
というのは短期的にはもちろん
良心と善意がその根底にあり、
慎重さや優しさでもあります。
でも長期的にその人とつきあう、
ともに生きてゆく、
「支援する」というまなざしは、
ちょっと違う姿勢が問われますね。
糸井 あらゆる場面で、
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう」
ということになる。
それは、その人の否定になっちゃう。
大野 そうなると、生きていけないですよ。
同じ、均質な世界観を持つ人しか
生きていけないことになる。
「均質な人間しかいない集団」を
追求したケースがもたらした
大きなあやまちの例は、言わずもがなです。
糸井 人はやっぱり、大見出し同士のやりとりを
したくなっちゃうんです。
たぶん、考えると頭が痛くなるから
頭を休めたいんじゃないかと思うんだけどね。
実際には
ばらばらのまだら状のものが、
そのまんま動いてるんだけど‥‥。
大野 はい。
だからこそ生きていけるというのに、
まだら状のものが伝わることが
少なくなっているんです。

(つづきます)
2011-12-06-TUE
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