健全な好奇心は 病に負けない。 大野更紗×糸井重里
第4回 「まともさ」に傷ついている。
大野 わたしは、吉本隆明さんにも
影響を受けたんですが、
同じくらい影響を受けた人に、
民俗学者の宮本常一さんがいます。
糸井 大野さんは、ほんとうにいっぱい
勉強してた人なんだね。
大野 いえいえ、ただ本を読んだだけです(笑)。
宮本さんは瀬戸内の周防大島の農村で生まれました。
宮本さんのお父さんは、
南洋に出稼ぎに行った経験のある人で、
明治時代に、なんと
畑にバナナを植えてたらしいです(笑)!
養蚕もはじめて、
当時としては豪農だったそうです。

宮本常一さんは長男だったんですが、
このお父さんは農家を継げとは言わなかった。
そして、勤め人になりました。
田舎を出て行って、柳田國男と会い、
生涯の支援者となる渋沢敬三に会い、
ひとりで日本列島の農村を歩き続けます。
いつももんぺはいて、ペラペラのシャツ着て、
麦わら帽子でフラフラと歩く。
わたしもフィールドワーク行くときは
だいたいそうなんですけれども。
糸井 もんぺですか?
大野 もんぺ、っていうのは象徴的なもので。
宮本さんにとっては、もんぺ。
それは、技術として、
「その場にいかに溶け込むか」という意味で
とても大事なことなんです。

宮本さんも晩年になって、みんなに信望されて、
「宮本神社」みたいなものができる局面もあった。
亡くなられた後ですが、
『調査されるという迷惑』という本が
出ています。
糸井 いいタイトルですね。
大野 はい。いいタイトルだと、わたしも思いました。
かじりつくように、読みました。
調査するという振る舞いは
いかに迷惑や負荷をかける行為か、
調査者は旅人であることをわきまえよ、
というようなことを宮本さんは言っている。

しょせん、外部者で、他人ごと。
他人ごとなんだったら、少なくとも
他人ごとを切り取るときの礼節をわきまえろ、
と書いてありました。

フィールドワークの初心者のときに
自分がその本に出会えてよかったと思っています。

宮本さんは、農民の方たちに対する、
あふれんばかりの愛があるのがわかります。
愛があるからこそ、自分を常に戒める。
観察者は「現場」や「フィールド」以上の
優位性は取れないし、取ってはならないと。

わたしの勝手な想像なんですが、
互いに傷つかなくても、
そこまで深く話し合わなくても、
なんとなく社会が「もつ」時代と場が、
かつて一時的にあったんだろうなと。

傷ついた人に触ろうとしたら、
自分だって傷つくわけです。

だから、いまの、とくに
都会に住んでいる人たちは
耐えられないことが多い感じがする。
これは、わたし自身も含めてです。

傷つくことに怯えがあるような気がします。
傷つくことに慣れてないのか、
別の点においてものすごく傷ついてるのかは、
わからないんですが。

糸井 うーん、どっちだかわからないですね。
弱さとか、悪さとか、傷を含めて
きっとそこにあるんだと思うんですけど、
きれいな答案用紙に載せられちゃうと、
消えちゃうんですよ。
人びとは、それぞれの責任で、
すごい完成度の答案用紙を
要求されてるように思い込んでる。
生活までそうしちゃってる。

うちの父親はね、
「まともな家庭なんかどこにもないんだ」って
ぼくによく言ってました。
自分の責任転嫁じゃないのかな? って、
幼い頃の自分は聞いてたんですけど、
後に、吉本隆明さんから
同じ台詞を聞きました(笑)。

そのあとにもあっちこっちで聞こえてくる。
ほんとうなんです、真実なんですよ。
まともな家庭はひとつもないっていうのはもう、
100%そうなんですよ。
大野 そう思います。
糸井 だけどみんな、
まともな家庭があるってことにして
生きてます。
少なくとも、
「それに近づいたほうが
 いいんじゃないですか?」
というところにいるから、
ないなんて言わないでください、と思ってる。

しょってるまともさの荷物が、
ひとりでは処理できないほど
大きくなっちゃってて、
その重さに傷ついちゃってるのかもしれない。
大野 「ほぼ日」をずっと見ていて、
糸井さんのお仕事というのは
ふつうの人があたりまえのことを
あたりまえに受け取りやすいようにする、
ということなんじゃないかな、と思うんです。

つまり、あたりまえのことを
いかにおもしろくするか、
ということに軸を置いている。
あたりまえのことはあたりまえなので、
おもしろくするのはけっこう
難しかったりするんです。
糸井 うん、そうですね。
大野 ふつうのことって、一発逆転できない。
たとえば「◯◯の真実はこうだ」と
バーンと断言しちゃうと、
なんとなく「一発逆転」みたいな感じで、
出版社とかも惹かれたりします。
糸井 惹かれますよね。
大野 みんなの「そうなんだ!」という、
一定の安心感も得られると思います。
糸井 はい。嫌な(笑)、安定感が出ますよね。
大野 はい(笑)。だから、あたりまえのことを
ていねいに伝えていくという作法が、
これからの日本社会では、
すごく重要なんじゃないかなと
個人的には思っています。
「おもしろいと思って、おもしろいのをつくる」
というのはちょっと違って‥‥。
糸井 違いますね、それはつまんないですよね。
大野 何が違うんだろう?
糸井 うん‥‥ぼくは最近、
人やものに対するほめ方が
変化したなと
自分で思うことがあるんです。

「おもしろい」とか
「かっこいい」とかじゃなくて、
ただ「いい」って言ってれば
いいんじゃないかな?
「いいねぇ」って。

「すごくあたりまえなことだけどかっこいいね」
と言うと、価値を生むんです。
価値を生むということは
商品化されやすいということです。
ぼくもビジネスやってるから、
商品化するのを否定するわけじゃない。
でも、「その方法の商品化でいいのかよ?」という
気持ちはあります。

いまも、東北の人たちの仕事論の連載を
していたりするんですが、
もともとみなさん、地元のちいさな会社の
社長さんだったりするわけですから、
ふつうの人たちなわけです。
ぼくの心情の中には「かっこいい」と
思う気持ちはもちろんあります。でも、
「かっこいいからみんなもこうしろ」
というんじゃなくて、
「いいねぇ」ということで済ませるような表現に
なるべく収めるようにしようと思っています。

そのほうが、「同じ人だよ」という話が
みんなにできる気がするからです。
「すごい人がいてすごくない人がいる」
というようには、なるべくしない。
それはぼくの、やってみたいことです。

大野さんにしても、
難病にぶちあたったからこうなったんで、
ぶちあたんなかったらなんなかったよ、
ということだと思います。
大野 そのとおりです。
糸井 そこを言わないようにして、
商品化しやすくするのはちょっと違う。
人間誰もが持ってる底力みたいなものを
掘り出して、
それぞれ元気になればいいなぁと思います。
それは、大野さんの本を読んでも、
そう書いてあると思います。

(つづきます)
2011-12-07-WED
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