ほぼ日刊イトイ新聞

過去の僕に 戻りたいとは思わない。 金沢と園田、 オリックス・バファローズの 小谷野栄一選手に会いに行く。

金沢俊吾(ほぼ日の塾・第4期生) 園田菜々(ほぼ日の塾・第3期生)

「パニック障害」をご存じですか?
満員電車や人ごみといった、
特定の緊張するシチュエーションなどで感じた
不安や恐怖が、身体に伝わり、動悸や過呼吸、
吐き気などの症状を引き起こす病気です。
日本人の100人に1人は
パニック障害にかかっていると言われています。
オリックス・バファローズの小谷野栄一選手もそのひとり。
12年前にパニック障害を発症し、
今も病気を抱えながら、プロ野球の世界で戦っています。
今回、同じく不安やパニックで苦しんだ経験のある
「ほぼ日の塾」の卒業生、金沢と園田が、
小谷野選手にお話をうかがいました。
年齢も職業も症状も異なる3人に共通していたのは、
不安や恐怖を伴いながらも
「その経験をした自分を肯定しよう」という、
前向きな気持ちでした。
前半は金沢と園田による対談、
後半は小谷野選手へのインタビューです。

小谷野選手のプロフィール

小谷野栄一(こやの・えいいち)

1980年生まれ。東京都出身。
プロ野球選手。内野手。右投右打。
創価高校、創価大学を経て、
2002年、日本ハムファイターズから
ドラフト5位で指名され入団。
2010年、最多打点のタイトルを獲得。
2014年オフにFA権を行使し、
オリックス・バファローズに移籍。
2006年、パニック障害を発症し、
現在も症状を抱えながらプレイしている。
著書に『心で勝つ 技で勝つ』(潮出版社)。

金沢と園田の話
パニック障害になった日。

金沢
僕がパニック障害になった日は、
忘れもしないんですけど、
大学4年の時、池袋の映画館に1人で行って、
観てる途中に、なんか息苦しくなって。
だんだんひどくなって、
途中で映画館を出たんですけど、
意識が半分飛んで、
駅前で倒れ込んでしまったんです。
園田
え、倒れたんですか?
金沢
はい。
いわゆる過呼吸なんですけど。
「このまま死んでしまうんだ」っていう恐怖と
息ができない苦しさで倒れちゃって。
その発作自体は30分くらいで収まったんですけど、
その日から、「また起きたらどうしよう」
って不安が消えなくなってしまった。
次の日から、電車も、映画館もライブハウスも、
ひどいときは風呂場も怖いし、
とにかく身動きがとりにくい
狭い所は全部ダメになって。
園田
予兆はなかったんですか?
金沢
予兆、まったくなかったんですよね。
だから余計ビックリしちゃって。
園田さんは、きっかけはどんな感じでした?
園田
私は、逆に、まったく覚えてないんですよ(笑)。
というか、「このときから」っていう
はっきりしたきっかけがなくて。
金沢
そうなんですか(笑)。
園田
私、集団行動がとにかく苦手で、
学校に行きたくない子だったんですよ。
「ちょっとお腹痛いなぁ」
って仮病つかって休んだりして。
それが大学に入ったら、
本当にお腹が痛くなるようになっちゃったんです。
でも周りに「そんなの誰でもなるよ」って言われて、
そうなのかなあって。
金沢
言われますよね、「よくあること」って。
園田
ただ、そのあたりから、熱中症で倒れるとか、
熱出して倒れるとか、たまたま重なって。
あと、人間関係のいろんなことが重なったりとか。
それまで、ずっとほんのり息苦しくて、
「生きづらい、生きづらい、生きづらい」
と思っていて、
大学4年生で、一気に体調に表れ出したんだと思います。
金沢
うんうん。
園田
朝ご飯食べてると、もう意味もないのに、
泣けてきちゃうんです。
涙がボロボロ、ボロボロ出てきちゃって。
それで、さすがに病院に行ったら、
症状は言われないんですけど、
「ちょっと疲れちゃったね」
って言われて、薬をもらいました。
金沢
そこで、お医者さんからパニック障害みたいな言葉が。
園田
それは一切言われてなくて。
金沢
言われてないんだ。
じゃあ、今まで、そういうふうに診断されたこともない?
園田
えーっと、「病名は言わない」って言われました。
金沢
ああ、なるほど。
園田
私、うつも併発してたので、うつの薬も飲んでたし。
だから、処方箋をみて調べれば、
どういう診断をされているかはわかるんですけど。
先生は「言わないよ」って。
「ただ、1つ言えるのは、絶対死なないから大丈夫」
って言われましたね(笑)。
金沢
僕も病院に行ったんですけど、逆にハッキリと
「典型的なパニック障害だね」って言われて。
得体のしれない不安から、
形あるものとして理解できた感じで、
かえって病名がついたことで安心しましたね。
園田
あぁ。
金沢
だから、そこであんまり落ち込まなかった。
園田
そうなんだ。
金沢
パニック障害って、うつを併発しやすいらしいんですよ。
僕は、パニック障害だけで。
園田
金沢さんは「病名がついたことで安心した」
って言ってましたけど、
私は逆に、症状がひどいときは、
そういう病気に関する情報を見るのもつらくて。
だから、「パニック障害」っていう言葉も
なるべく使いたくないんです。
金沢
人によってそれぞれ違うんですね。
園田
そうですね。
金沢さんは、一番しんどい時を言葉にすると、
どんな感じなんですか?
金沢
うーん。
「息ができなくなる」っていうか、
とにかく本当に苦しくて。
じつは過呼吸の大きい発作って、
その大学4年の最初のときだけなんですよ。
息ができなくて倒れるくらいになったのって。
でも、それがあまりにも苦しくて、
それ以降は、「また起きたら、どうしよう」っていう。
園田
息ができなくなる苦しさ、に対する恐怖?
金沢
そうですね。
不安が、動悸とかめまいを引き起こすんです。
すごく汗かいたり。
園田
それは私もいっしょですね。
「動悸と息切れで、死ぬかもしれない」って。
普段は全然気にしない呼吸が、
いきなり、バクバク、バクバクって。軽い酸欠状態で。
何がなんだかわからないみたいな瞬間が
苦しさで言ったらピークかな。
金沢
物理的につらいんだよね、呼吸ができないって。
どうやって息したらいいか分からなくなる‥‥。
園田
でも、それはほんとに物理的なことで。
その後、家を1歩も出られなくなるっていうのが、
本当は一番つらかったかも‥‥。
金沢
そうなってしまった自分自身に対する
気持ちがつらいってこと?
園田
そうですね。
今までできたことも、びっくりするくらいできなくなって。
赤ちゃんか、ってぐらいに、
本当に、なにもできない。
たとえば、外で症状が出たらどうしようって思って、
家から出られなくなった時があって。
その時は、まず3分かかるコンビニに行けるようにして。
で、そこが慣れたら、5分かかるスーパー。
次は10分かかる最寄駅。
最終的には、電車に乗って遠くに行ってみる。
みたいに、少しずつできることを増やしていきました。
金沢
すごくわかる。
僕も電車に乗れなくなって。
急行電車は怖いから、まず各停に乗れるようになろうって。
園田
私も症状つらい時は、まったく一緒でした。
あえて各停に乗る。
金沢
ほんと、一緒ですね。
園田
で、本当に苦しくなったら、各停から降りて。
金沢
あとは、たとえば、最初は、誰かと映画館に行って、
大丈夫だったら、1人でも行くとか。
誰かと一緒だと多少は落ち着くので。
できることをちょっとずつ増やすっていうのは、
園田さんと一緒ですね。

(つづきます)

2018年7月9日(月)