第1回それでも好きな野球がやれる。
- 金沢
- 僕は8年前にパニック障害になりまして、
それがきっかけで、
小谷野選手がパニック障害を
公言されていると知りました。
小谷野選手がパニック障害の発作で
ベンチから動けなくなった後、
大汗をかきながら打席に向かわれる動画を見て、
すごく勇気付けられたんです。
- 小谷野
- あ、そうなんですか。
- 金沢
- パニック障害のつらさを
経験している自分からすると、
大勢の観客の前で打席に立てるのもすごいし、
守備につけるのも信じられないようなことで。
本当に勇気をいただいたんで、
今回お話をおうかがいできればと思いました。
よろしくお願いします。
- 小谷野
- よろしくお願いします。
- 園田
- よろしくお願いします。
- 金沢
- 動画に残っている打席のことって、
覚えてらっしゃいますか?
- 小谷野
- えっと、いつの時ですか?
- 金沢
- 2011年頃の、
千葉ロッテ戦だったと思うんですけど。
自分の打席になってもベンチから出れなくて、
汗びっしょりになった小谷野選手が
テレビに映し出されたんです。
そのあと、打席に立って大歓声が上がるっていう。
- 小谷野
- ああ、覚えてますよ。
だけど、その前に、きっかけになったことが
一番、頭に残っていて。
- 金沢
- ああ、本を読みました。
2006年、日本ハムの二軍にいた頃ですね。
- 小谷野
- その前年から異変は感じていて。
「なんかおかしいな」って。
最初は、「疲れなのかな」とか、
「寝不足なのかな」とか、
「二日酔いなのかな」とか(笑)。
いろんな可能性を探ったんですけど、
それでも良くならなくて。
それで、2006年。二軍の試合で、
桑田真澄さんと対決した時なんですけど。
- 金沢
- はい。
- 小谷野
- あの時が初めてですね、本当の意味で、
パニック障害を経験したのは。
打席の目の前でタイムかけて‥‥その場で吐いて。
結果、ピッチャーゴロを打ったんですけど、
桑田さんが捕ってくれたおかげで、
「走らなくて済む、そのままベンチに帰れる」
と思ったのが、
ずっと、自分の中では記憶に残っていて。
- 金沢
- いちばん最初に発症した記憶が強いんですね。
僕も、はじめて過呼吸になったときのことは
今もはっきり覚えてるんで、わかります。
- 小谷野
- そうなんですよね。
そこから、打席だけじゃなくて、
守備にもつけなくなったり。
最終的には部屋から出れなくなる、
という状態まで行きました。
- 金沢
- あの、電車は乗れましたか?
- 小谷野
- 全然乗れなかったですね。
人とも会えなくて、寮生活なのに、
チームメイトとも会えなかったです。
- 金沢
- なるほど。
- 小谷野
- でも、今は
電車乗るの、楽しいくらいですけどね(笑)。
「こんなのに乗れなかったの?」と思って。
- 金沢
- 今は完全に、
電車に乗るのは平気なんですか?
- 小谷野
- ああ、でも、サングラスとかしますね。
周りと自分の間にワンクッション置くというか、
「自分の世界」を作ると落ち着けるんです。
かっこつけるわけじゃなくて、
スーツとかの時もサングラスはかけます。
それをやれば、1人でも電車乗れますね。
- 金沢
- じゃあ、今はもう打席に立つ時も
まったく大丈夫なんですね。
- 小谷野
- いや、もう、毎日吐いてますよ。
- 園田
- え。
- 金沢
- え‥‥今もそうなんですか?
- 小谷野
- そうですよ。
- 金沢
- それは、まだ全然大変なのでは‥‥。
- 小谷野
- もう、今でも思いっきり吐きます。
でも、吐いたりしても、
「これで好きな野球やれるんだったら、
全然いいや」って、思うようにしてますね。
- 金沢
- すごい‥‥。
症状は、吐き気だけですか?
- 小谷野
- いえ、息ができなくなって、
倒れる時もありますね。
「呼吸の仕方わからなくなってきた」って、
急にバタンと倒れちゃったり。
- 園田
- ああ。
- 小谷野
- それも吐き気と一緒で、
「それでも好きな野球やれるんだったら、
いいっしょ!」って、思うようにしてるんです。
- 金沢
- はぁ‥‥。
もう、回復されたというか、
症状は出なくなったのかと思い込んでました。
- 小谷野
- いやいや、全然。毎日ですよ(笑)。
- 園田
- そうなんですね‥‥。
- 小谷野
- 毎日、毎試合ですね。
吐いたり倒れたりするのは、
12年前にパニック障害になってから
何も変わってないです。
(つづきます)
2018年7月12日(木)