クマちゃんからの便り

NYにて<空>


初めて這入った空間で、
瞬間的に自分の居場所を決めてしまう習性がオレにはある。

六階の狭い廊下の突き当たり、
渡されたドアの鍵を開けるなり南と西に一個づつ
小さな窓がついた角部屋はヒカリに充ちていた。
キッチン、椅子とセットになった丸テーブル、
テレビが載ったタンス、低いテーブル、
壁に沿ったソファーが備え付けになった
部屋全体が視界におさまる小さな部屋である。

ソファーからクッションごと床にズリ墜ちて、
低いテーブルを座卓にして窓に向かって座った。
迫った摩天楼しか見えない窓。
特に見物したい処もないオレは、
座したまま生活の全て済んでしまうこの位置が、
NY滞在中の
<起きて半畳、寝て一畳>の居場所になった。
NYに来たところでやっぱり習性は変わっていない。
たった一冊しか持ってこなかった小さな本を取り出して、
久しぶりに読んでいた。

これは、ムカシ、フィンランドを旅したとき
知り合ったラップ人に特別作ってもらった
革表紙の小さいながら分厚い帳面だ。
有り余るジカンに<唯識>の本から
意味なぞも考えずにひたすら書き写した、
オレだけの<唯識ノート>みたいな手製の本だ。
罫線も引いてないページに乱れることもない
四ミリほどの小さな字に
誤字脱字もない集中に驚くのだが、
今となっては老眼鏡を無くしては、
読みにくくなっていることに過ぎ去った時間を感じる。

水を飲み、オーガニックのコーンフレークを喰い、
飽きればパソコンに向かって日記を打つ。
オブジェの設置があっさりと終わり、
過剰な再構築作業の代償に痛んだ脚腰に膏薬を貼っていた。

NYに居ながらにしてもうNY個展のことが
意識の底にボンヤリと沈んいく自分に
<不思議>を思いながら、オープニング当日まで、
今更ながら『オレとは何者だ』を
淡々と反復しているに違いない。

ジャパン出発直前、
東大寺の若き塔頭住職を務める森本公穣さんに、
サンスクリットの<sunyata>という語について
質問したメールの返信が、太平洋を隔てたNYの
液晶のヒカリに浮かび上がってきた。
仏教用語を使わずに、丁寧に噛み砕いたコトバで
<空>を説く嬉しい便りは、
<唯識>の写本と絡み合って
オレの頭蓋内をエキサイトさせてくれ、
思わず液晶に向かって合掌した。

その液晶の縁に大きな蠅が留まって、
赤い大きな目でオレの方を見て
しきりに前肢を摺り合わせている。
それにしてもこの密封された部屋に
何処から這入ってきたのだろう。
蠅にはオレがどのように
映っているのかなぞと思いながら、
素粒子レベルのミクロの世界は別にして、
この空間で活動しているのは、
クーラーと生き物ではオレと蠅だけだった。

せっかく<赤目>と名付けた途端、
飛び立ちオレの頭上の宙でちょっとだけ停滞し、
すぐに直角に方向変換して何処かに消えた。

『仲間だと思えた赤目にも都合があるんだろう』

東側の窓に近づいたのは今日、何度目か。
見飽きた摩天楼を眺めていると、
窓ガラスの外側に張られた虫除け網に、
さっきの蠅が留まって
また脚を摺り合わせているではないか。
ルーペでソオッと確かめる。
赤い目といい脚の毛の本数といい、
あいつに間違いなかった。
デジカメで記念撮影。
自在な蠅の飛行術は科学の進歩も叶わないだろう。
うまく撮れたか確かめている間に
また赤目は何処かに消えてしまった。
あいつしか知らない抜け穴をもっているに違いない。

またパソコンに向かうと、
今度は国立博物館経由で転送されてきた
カナダ人からのメールに驚いた。
添付写真には、一〇年ちかく前にオレがサハラ砂漠の
ど真ん中に出掛けて建てた<風の樹>が
写っているではないか。

サハラ砂漠のニジェール部分四〇〇Km平方に
一本だけ大きなアカシアの樹が伸びていて、
往き来するラクダのキャラバンの目印になっていた。
こともあろうに、この<テネレの樹>に
トラックを激突させ、
うち枯らしてしまったらしい。
傍にはラクダやヒトが呑むための
深い井戸が二本掘ってあるだけだが
重要なオアシスだったのだ。
目印を失って砂嵐の中で
遭難するキャラバンが増えたという。

大型トラック三台に鉄や発電機、
溶接機を積んで四輪駆動車二台のキャラバンを組んで、
文明のチカラは砂嵐に襲われ
一溜まりもなくクラッシュさせられながら、
一〇〇km先からも見える鉄の道標
<風の樹>を創ったのは、遠征ゲージツの一環だった。
このオブジェを日本人が創ったのは突きとめたのだが、
作者がどんな人間で、
どのような経緯と意図だったのかを知りたいという。

オレは半畳のクッションの上で、
過酷だったアフリカの砂漠への遠征を
昨日の出来事のように想いだしていた。
それにしてもジャパン→アフリカ→カナダ→
ジャパン→ニューヨークという電信網で、
ムカシの自分と出会う不思議。
しかもあの遠征に同行した
ドキュメント・カメラマンの室井と
NYであれ以来久しぶりに再会したばかりだという。

オレは遠いアフリカ大陸に渡ってもう一度、
ゲージツしてみたくなっていた。
と言うより往かなくてはならないようになっている
磁気が発生したのかも知れないとも思った。

東方の窓から来た<赤目>は、
やっぱり仲間でオレに迎えの便りを運んできたに違いない。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2005-06-24-FRI
KUMA
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