クマちゃんからの便り |
梅干しの夏休み 梅や桜が咲いたからと言ってジロジロ眺めては 独り酒を呑むような風流の持ち合わせがなかったオレは、 巷の浮遊の道すがら横目の端に 季節を見過ごすのが常だった。 甲斐嶽の麓にFACTORYを建てた一〇年前、 何の考えもなしに植えた苗木が、 いつの間にか梅の実を付けていることに気づいたのは 数年前のことだった。 その年の収穫だった片手に載ってしまう程度の実を、 一個ずつアラ塩で洗い中華ドンブリで塩漬けにし、 遅れて色付く紫蘇の葉を塩で揉み梅に漬け込んだのは、 近所の百姓に教わった基本だった。 そして梅雨が明け土用になると新聞紙に並べ 陽に当て夜露にさらした三日三晩である。 ドンブリに戻し紫蘇の葉を載せて年の暮れには、 数個の貴重な梅干しが出来上がったものだった。 それ以来、<梅干し>を漬ける行為は オレの初夏の儀式になったのである。 今年は<チベット岩塩>で 春の儀式を目論んでいたのだが、 暖冬はFACTORYの梅の開花をも早めてしまった。 しかし虫たちはまだ蟄居したままだったから、 受精しなかった花はたちまち散り、 小指の爪ほどの実が根本に無惨に積もっていた。 仕方なしに<チベット岩塩>をスダさんに預けて、 個展が迫っていたオレはNYへ出発したのだった。 「ニューヨークはうまくいったようじゃんけ」 スダさんが抱えてきた甕の梅には、 白梅酢が浮んでいた。 「今までにはない色んなコトを感じたよ」 オレは思わず空間のことや量感、 重量について喋りたい気分になったが止めて、 指を突っ込んで白梅酢を舐めた。 梅から吸い出した荒い果実の酸味が拡がり、 地層ジカンの甘味がオレの舌を痺れさせた。 「ありがとう。こりゃイイ味だ」 「チベット岩塩なぞ初めてだったから、 うまくいっただかなぁ」 少し不安顔のスダさんは 「武川米のヌカで作ったぬか床だけど、 二本だけ入っているキュウリは今晩から喰えるだ。 ぬか床は段々良くなってくるだよ」 「ひと品増えたな」 焚いて喰う雑穀のメシにただ塩味をつけるためではなく、 幾億年からの<チベット岩塩>は 雑穀の旨味をじゅうぶんに引き出してくれる物質なのだ。 紫蘇の葉も岩塩で揉んでまた甕にもどした。 梅雨も明けたし、 三日三晩の昼干し夜干し作業を済ませると、 秋の終わりにはいよいよチベット岩塩に導かれた オレの<梅干し>になっているはずだ。 むしってもむしっても息を吹き返す雑草をむしり、 今まで放っておいた本を読み 読み終われば焚き火をする。 梅を干し、ぬか床を掻き混ぜる。 手元の鉛筆を走らせつい自分の顔の素描をしたくなるが、 まだ山積みになっている読書を選ぶ。 夏も冬もゲージツに過ごしてきたオレが、 淡々とこんな夏を過ごすのは 一〇数年ぶりのような気がする。 作ったモノと言えばゴツゴツしたサンショの木を削った スリコ木一本だけだ。 こんなジカンを忘れていたわい。 雑穀のメシを喰う。 新しい発想なぞいらない。 ただオレのゲージツのなかで試されていないモノへの 執念みたいなものである。 この夏はその輪郭を明快にするジカンにするのである。 <THE CONNECTED UNITY>が 暑いNYで人前にさらされている間、 オレは次の旅への準備だ。 |
クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。
2005-07-22-FRI
戻る |