クマちゃんからの便り

ソウルフルな糠漬け



数日前、親友の嵐山光三郎が
小さな町の小さなホールでプロデュースした
イヴェントに誘われた。
FACTORYの敷地を出るのは久しぶりだったし、
中村誠一のテナーサックスと、
伊東忍のギターだけという気安いサマージャズの夕べだ。
上りのアズサ乗った。
誠一とは三〇年以上前の新宿でよく呑んでは騒いで
朝を迎えたものだった。

彼のサックスはその夜もいっそうたっぷりと唄いまくる。
<SERENATA>いいね。
<THE THINGS I DIDN'T DO>。
嵐山が奢ってくれた赤ワインに酔い、
熱いジダイの<新宿のコドク>に浸った二時間だった。

誠一がサインしてくれた<SERENATA>の
CDを土産に、プラットホームのコンビニでパンを買い、
最終の<甲斐路>でトンボ返りである。

ところが夜汽車は甲府駅で止まったままになった。
小淵沢方面の集中豪雨のためで、
復旧はいつになるか分からないとのアナウンスだった。
山岳地帯を走る特急はちょっとした降雨でも
すぐに止まってしまうのだが、
こんなコトになるのならムカシのように
二次会で朝まで呑んで
一番列車にしてもよかったかなと後悔したがアトの祭りだ。

重低音を詰め込んだ頭蓋をシートに埋めながら、
喰い慣れないパンをペットボトルの水で流し込んだ。
ゲージツでやり過ごし屁のように漂ってきたオレには、
六〇年代後半、七〇年代のアングラジダイは
『懐かしいのではなく、いまだかってない
 奇跡のジカンだったのかもしれない‥‥』
とボンヤリと窓の外を眺めていた。

やっと動き出した各駅停車を乗り継ぎ、タ
クシーを叩き起こし工場に辿り着いたのは
午前二時近くなってしまった。
しかし不測の事態のこの流れも悪くなかった。

ガラスを叩く乾いた羽音が降っていた。
工場の天窓から射すひしゃげた平行四辺形のヒカリが、
正体不明の羽音とオレを繋ぎ、
村の雑貨屋で買ったクレヨンが走る音と、
羽音だけが工場内の生活音だった。
すでに夏が傾ぶいた絵の上を、
激しく翳りが往き来していた。

ヒカリを透かして見上げると、
天窓のガラスに大きなオニヤンマのシルエットが
激しく躍っている。
シャッターは閉めたままだったし
何処から這入ってきたのか分からないが、
戻り口を忘れちまったオニヤンマが腹いせに、
網入りガラスをも突き破ろうという心意気なのか、
激しく躯をぶつけている。

秋口になった工場の隅に毎年、
いくつか<オニヤンマ>の大きな屍骸を見つけるのだが、
奇妙なことに首は一様に無かった。

『アレは夏の結末だったのか』。
羽ばたく筋肉を使い果たして墜落したダンサーの首は、
待ち構えているアリやカマキリが持ち去ったのだろう。

こんな食物連鎖のために
オニヤンマがわざわざ入って来るとは思えない。
虚しいダンスでチカラ尽きる前に
脱出口を作ってやらなくてはなぁ。
しばらく使ってなかった排煙窓のスイッチを押した。

歯車が軋む音がして天井の窓ガラスがゆっくり開いていき、
オレはまた絵に戻った。
しかしオニヤンマはオレの気遣いに気づかないらしく、
まだ羽音が聞こえていた。

少し飽きてきた頭蓋に甦っていた誠一の
<SERENATA>のCDを鞄からだして
セロファンを剥がした。
CDカセット付きラジオの音量を大にすると、
工場内に割れて潰れたテナーサックスが響いた。
ステレオだろうが、それを聴くオレは
右耳だけのモノラルだ。
久しぶりに流れるJAZZサウンドに、
絵のピッチが上がった。

天窓からのヒカリはとっくに消え、
オニヤンマの羽音も消えていた。無事に脱出したらしい。

オレもシゴトを止めにしてヌカ漬けをかき混ぜていると、
CNNニュースでニューオーリンズの
大洪水救済コンサートで、
ウイントン・マルサリスのトランペットが
<セントジェームス病院>をゆっくり語っていた。
僅かなジカンだったが、名手の語りかけるような
切ないソウルフルなフレーズに、
ヌカを滴らせたまま居たたまれなくなっていた。

いつまでも聴いていたかったが、ニュースは所詮、
世界を切り貼りにした断片でしかないんだよなぁ‥‥。

クマさんへの激励や感想などを、
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2005-09-09-FRI
KUMA
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