クマちゃんからの便り |
<エッチ ツー オー>分子との戯れ <制作基地>のFACTORY後ろに、 白っぽいゴロタ石が賽の河原みたいに拓け、 大武川が何とものどかに流れている。 日がな小さな雨が降り続いているような 水の音が止むことがない。 台風の季節や梅雨どきにひと雨降れば、 無数の沢が流れ込んで水嵩を増した大武川は、 たちまち褐色の濁流に豹変し河原を呑み込み、 ゴロタ石がぶつかり合う重低音は 夜になればいっそう地鳴りのようで不気味である。 恐ろし気な唸り声をあげながら 川上を目指して駈けのぼる荒々しい竜にも見え、 この神話的な景色を眺めるのが好きで 台風を待ち望んだりしたものだった。 しかしこの十年のあいだ、 砂防工事で両岸と川底を固められ すっかりチカラを失った大武川は、 コンクリートで囲われた河原のなかを 大人しくうねっている。 それでも時々、飛び交う羽虫を狙って アマゴが跳ぶ晩秋の夕まずめ、 甲斐嶽を源にした渓流は澄みきっている。 間もなく川は甲斐嶽おろしの通り道になり、 オレの<制作基地>も 年の暮れから年明けの頃には、氷点下になるから ウッカリしたら水道管を凍らせてしまうことになる。 この冬はマイナス三〇℃にまでなるという 北海道の原野で、 <エッチ ツー オー>をゲージツする計画である。 雪や氷に囲まれた北の国で生まれ育ったオレには、 雪で作った像に水をかけてただ凍らすコトには 今さら興味はない。 膨大な型枠に溜めた水を凍らせ 透明なヒカリを創る氷点下のオブジェである。 夏の終わりから、 オレは図書館に行くことが多くなっていた。 水や氷に関する本を探して借りてくるのである。 一回一〇册までの借り出しで二週間、 読んで必要なコトだけをノートに書き出す。 この手の科学書は借り手も少ないから、 更に二週間の延長も可能なのだ。 身の回りに所有物が増えるのは鬱陶しいことで、 最近、読み返す必要もなくなった本を燃やして スッキリしたオレは、読み終えるとさっさと返却し 新しいのを借りるのが一番でイイ。 図書館から借りた水や氷に関した科学をノートし、 イメージをメモしていく 雑記帳はズンズン厚くなっていく。 スクラップ鉄をゲージツするショードーが来たのは、 まだ棲息のテリトリーが新宿だった。 大きな書店で専門書の階の客はいつも少ない。 溶接の本を覚えられる限界まで立ち読みしては、 階段の踊場まで何度も走りノートしては 頭蓋内の溶接機でシミュレートしていたから、 本物を手に入れた時はもう自在に扱えるようになっていた。 鉄を溶かすキューポラ炉を作るときも その方法で基礎学習をしていると、 偶然出会った老人が、工場をたたんだばかりの 見知らぬ鋳物師だったのもゲージツの流れというものだ。 現役の鋳物道具を分けてもらったうえ、 砂型の手解きまで受けたのである。 一八〇〇℃の火力を手に入れると、 ヒカリを宿すカタマリを創る溶解炉も 本屋でのメモが設計の基礎になったし、 彼に教わった鋳型の技が役立った。 今度は<氷>である。 今まで使ってきた大きな火力とは対局の、 温暖化する大気のマイナス温度のエネルギーと、 <エッチ ツー オー>分子が 水素結合するのが氷の結晶だ。 膨大な型枠に鋳込んだ水を透明に凍らすとなれば、 製氷屋の氷柱を重ねてカタマリを作るのとは違って、 これまた厄介な方向である。 図書館通いの基礎知識をもとに、 今度は北海道に渡り 氷の博士の手解きを受けることになった。 型枠作りや、凍結状態を観察で何度か渡道する。 氷の結晶格子から排除された不純物や気泡の水を、 新しい原水と交換する作業は、極寒のなかだろう。 北方の儚く透過するヒカリを宿す ミステリアスな氷のオブジェを、 やがて遅い春のエネルギーが氷解した <エッチ ツー オー>を大地のなかに戻すだろう。 |
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2005-10-23-SUN
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