クマちゃんからの便り |
スープと極寒 喫茶店は出発のチェックインを 済ませた客でいっぱいだった。 ケイタイでふざけあう Tシャツの若い男女のグループはハンバーガーと炭酸飲料、 トマトソースの唇でにぎやかな中年オンナの集団、 おぼろ気の老婆をいたわる家族連れはチキンカレーだ。 似たような銀縁メガネに背広姿の会社員は、 資料を捲ってはパソコンに打ち込み、 慌ただしくコーヒーを啜っている。 早朝割引便で地方へ向かうヒト等は それぞれの朝メシを摂っていた。 数日前、低気圧の海から釣り上げた スズキを三枚におろして金串に刺し、 細かいモンゴル岩塩を軽く振って、 焙って皮に焼き目をつけた身を薄く切る。 伊豆のワサビ、セリを添えたドンブリの飯に載せて、 熱々の煎茶をかけた茶漬けがオレの朝飯だった。 オレも安い早朝便で北海道へ向かうのだが、 ミネラルウオーターだけ頼んで、 ぼんやりとポケットの<氷室神社>のお守りを弄んで 出発を待っていた。 スズキの皮の旨味を際だたせた 岩塩の豊かな真新しい記憶は、 <凍り>が占めていた頭蓋内に モンゴルの草原を拡げていた。 草原の長老が、自分の羊の群れから 一頭の前肢を一緒に掴み地面に押さえこんだ。 初めて会ったオレへのもてなしだったらしい。 そのままの格好で横たわる羊の目に 草原の空が映っていた。 長老は愛用の小刀で胸の辺りの毛を掌大に剃り、 皮膚に10センチほど縦に傷を入れると、 刀の形にした掌をゆっくり刺し込んでいく。 羊は痛みを感じないのか、 草原の運命に委ねたように大人しくしている。 肘の上まで隠れた長老の二の腕が僅かに動くと、 羊は欠伸をする時のように肢をいっぱいに延ばし、 目からはヒカリが失われていった。 再び手にした小刀で広げた腹の皮の風呂敷の上から、 血の一滴も大地に溢すことなく 素早く肉や内臓の部位を取り分けていった。 アルミの牛乳缶の中に羊の肉を入れ岩塩を振ってから、 焚き火の中から取り出した熱い石を放り込む。 また肉を入れ岩塩、香草、熱い石を繰り返していき、 蓋をすると倒して草原をゴロゴロと転がして、 頃合いで戻ってくると蓋を取った、 長老から渡された石の暖かさが最初の御馳走だった。 石で灼かれ脂がまわった 岩塩だけの味付けの柔らかい羊肉は 植物の濃い味だったし、 缶から直接取り分けてくれた純粋な肉汁は、 どんな高級スープよりスピリッツな味だった。 あの調理法は 未だ名前なぞも無い長老のオリジナルかもしれないが、 大地からきた岩塩の底チカラと、 長老への友情に感謝したものだった。 岩塩のメモリーは、束の間の至福に浸してくれていた。 雪だけの景色への出発のアナウンスがあって、 また<凍り>の世界へ引き戻された。 マイナス9℃。山梨FACTORYから送り出した 4トントラックの資材は、 トマムの白い荒野のなかで青いシートを被っていた。 資材を点検しているところに、 ヴェネチアや奈良でのゲージツに参加した スダさんとカーペンが着くと吹雪になった。 落下サンとミッキー君が用意してくれていた氷柱を 18平米に敷き詰めた。 その上に直径2メートル、 高さ3メートルの型枠を組み上げていく。 夕方になって吹雪が止んだ。 途端に寒波が押し寄せてきて、 たちまち気温マイナス13℃である。 さっそく極寒のエネルギーを浴びた。 2基を組み上げ終わったのは真夜中2時になっていた。 そしてマイナス16℃。 1基の透明な<凍り>は3.6トンになる。 水を注入するまでにはまだまだ、 繊細とダイナミックの連続である。 |
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2005-12-14-WED
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