クマちゃんからの便り |
不測の事態に氷のお守り マイナス12℃の朝9時。 晴れ渡った白い景色に風が冷たい。 組み上げた鉄の型枠の足元に横たわっていた緋鯉が、 ときどき11メートルの胴体の鱗や背びれを ばたつかせて生き生きして見える。 魚を天空の風に泳がせるシンプルなデザインは美しい。 ガキの頃新聞紙を貼り合わせて クレヨンで色を塗って作ったコイノボリが、 たちまち風に半分を 喰い千切られてしまった記憶がある。 コイノボリを揚げる習慣が いつの頃から始まったのかは知らないが、 5月の空に風と同化するコイノボリの風景は好きだった。 2月以降は高価になる大きなコイノボリは、 年内に購入すると半額になるというので、 緋鯉と青い鯉を手に入れて 機材と一緒に運び込んだのだった。 尾ひれにピンクの防寒服を着た小さな少女が 座って遊んでいた。 オレが準備のために作業詰め所に入ると、 落下サンが神官といっしょに 祭壇の供物の準備をしていた。 「十時から地鎮を始めますので」 レインジャーの精鋭だった彼は、 いっそう神妙な星一徹の顔になっていた。 一服しているオレのすぐ後ろに、 さっき緋鯉に座っていた ピンクの少女がひょっこり現れた。 「タバコの毒煙りを吐く大人に近づいては イケナイよ。 むこうに行ってなさい」 オレが促すと、 「タバコの匂いは好きなの」 と屈託なく言う。 手袋の上の小さな雪ダルマを 「氷だよ」 オレに差し出した。 少し歪んではいるが、可愛らしいオブジェだった。 振り向いた落下サンが 「神官の娘さんです」 と紹介してくれた。 少女はもう向こうの机で絵を描きはじめている。 ここから一時間半のところに棲んでいる神官は、 落下サンとは古い馴染みらしい。 「オレのお守りにするよ、ありがとう」 父親のシゴトに付いてくる途中に、 オレの<凍り>について聞いた彼女は、 雪玉に水を含ませて 氷の雪ダルマにしてくれたのだろう。 雪で出来た祭壇の鏡の下に置いた。 「オーオーオー」 神官の降神の儀。 急に吹き出した物凄い突風に カミが移ったような竜巻が走り出して、 結界の注連縄も供物に敷いた半紙も バタバタと騒ぎ出す。 さっきまで地面に横たわっていたコイノボリが 風を孕んで空に泳ぎ出した。 祝詞のなかでオレのくだりに掛かると、 いっそう竜巻が大きくなって祭壇の鏡さえ倒した。 落下サンが素手を延ばして必死で立て直していた。 御祓いを受けるオレのスキンヘッドが 脳ミソまで凍ってしまいそうだった。 少女がくれた雪ダルマだけは 倒れずにオレの方を向いていた。 畏怖と畏敬をもって 大自然のなかでの制作を開始したのだ。 二基の鉄枠の内側に薄いビニールを貼った。 凍りとの離型材である。 透明な凍りの塔に取りかかる前に、 もうひとつの塔に シャーベット状にした雪を詰め込んで 凍らすことにした。 透明な凍りと並んだ乳白色の氷の塔にする。 スダさんもカーペンも東京に戻った。 もう師走十二月も半ばになっていたんだなぁ。 寒気が強まった夜から、独りの作業になった。 詰め込んだシャーベットに 山からの水を注入していた時、 なんと鉄枠の底の方から水が 噴き出しているではないか。 不測の事態の発生だ。 決壊箇所に雪のカタマリを詰め込むと水は止まった。 しかし別の箇所から噴き出した。 オレは何度も何度も鉄枠と雪との間を 走りながら往復して、応急処置をする。 マイナス18℃になった2日目の夜も 虚しい応急作業が続いた。 汗だくになっていた。 防水のない防寒着は体型に凍って、 ロボコップの動きになった午前2時。 ダイヤモンドダストが舞い、 水銀灯照明から真っ直ぐ天に向かって ピラーが上がっていた。 作業詰め所に戻ると落下サンが 「まるで御百度参りのようでしたね」 と言う。薄すぎたビニールを張る作業に 油断があったのと、まだ6℃はある山の水が 氷を溶かしたのが原因だろう。 「なんとか止まったわい。 あの塔は500Wの水銀灯に仕込んで ピラーを捉えるタワーにしたよ」 不測の事態は透明な凍りに取りかかる 重大な試練になった。 |
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2005-12-18-SUN
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