クマちゃんからの便り

荒野東京荒野

気温零下の二桁が続く雪のなかでは、
大自然の都合に振り回され日夜悪戦苦闘が続いている。
高さ三メートルの型枠の縁まで
雪のシャーベットを詰め込むように変更したのだが、
水漏れはいつまでも止まらない。
やっぱり型枠の内側に張ったビニールの破損が原因だ。
詰めたシャーベットにも
水の路が出来てしまったのだろう。

真夜中を過ぎてダイヤモンドダストが舞い、
頭蓋内まで凍りつきそうになっても
水漏れとの闘いは続いていた。
地鎮の鏡を倒したあの突風が今さら気になりだす。
めげてしまいそうな睡魔を払い除けてくれたのも、
水漏れを食い止めたのも明け方のマイナス20度だった。
型枠の水漏れ箇所は、
金魚のランチュウの頭みたいに幾重にも
氷が盛り上がっていた。
ついに自然もオレに味方したのだ。



今年最後の<誰でもピカソ>収録のために
一旦戻った東京は師走だった。

収録終わりで例年のコトだが忘年食事会だ。
北野武監督は残念ながら体調を崩し欠席だったが、
風邪気味の今田と新婚の満里奈、
数人のスタッフは六本木のイタリア料理屋。
瀬崎プロデューサーが書籍を渡してくれた。

先日の番組ゲストでお見えになった
大江健三郎さんの最新刊
≪さよなら、私の本よ!≫である。

アングラの<状況劇場>に身を寄せて、
ポスターや舞台美術に関わっていたオレは、
夏も冬も着流し一枚で過ごすビンボーだった。
街の片隅に忽然と現れる紅テント小屋の公演が始まれば、
木刀を持って狭い茣蓙桟敷に大量の客を詰め込んだり、
テント周りの狼藉者を成敗したりする
用心棒にも早変わりしていた。
細かい鉛筆画のポスターを描き、
巷では荒くれていたジダイは、まだ<昭和>だった。
そんなアングラ芝居を、
大江さんは何度か観に来ていたが、
オレはコトバを交わしたことはなかった。

たまたま乗る小田急線で、
大江さんに出会うことがあって
いつも連結器の近辺だった。
オレは小説家と会話するコトバの持ち合わせもなく、
持て余して袂に突っ込んで取り出してしまった
トランペットのマウスピースを、唇に押し当てたまま、
通り過ぎてゆく屋根屋根を眺めていた。
≪空飛ぶ怪物アグイー≫も懐に入れてあったが、
気恥ずかしくて触れなかった。

大江さんは微笑みながら、
乗り換えの明大前までの短い時間、
サックス吹きのエピソードを話してくれた。
麻薬漬けで放浪するジャズマンの所有物は、
唯一自分のマウスピースだけだった。
ひとたび演奏する時は、
借りた他人のサックスに自分のマウスピースを差して、
物凄いサックスを吹きまくる男の話だった。
着流しスキンヘッドの得体の知れない風体のオレに、
たまたま思いついた話題だったのだろうが、
鉛筆とスケッチブックだけを包んだ風呂敷だけで
巷を流離っていたオレには、
『そのままでイイんだ』と言われたような
気がしたものだった。

オレのゲージツ行動が鉄屑のスクラップ・ゾーンに移り、
もう彼とは出会うこともなくなっていた。

世界の北野監督と
ノーベル賞文学者大江健三郎氏の出会いは、
久しぶりにエキサイティングな収録ジカンで、
格闘技のイイ試合をリング下で観ているようだった。

極寒の荒野でのゲージツで酒なぞ
口にする余裕さえなかった。
オリジナルなイタリア料理もよかったが、
石垣島の<ななこ>という
日本最古の黄麹をつかったショーチューのスピリッツが、
心地よく染み込んでいった。
明け方3時の巷は、
タクシーがつかまらないやっぱし師走である。

夜が明けタッチアンドゴーで、
再び早朝割引で極寒の荒野へ。
鞄には分厚い≪さよなら、私の本よ!≫が一冊入っている。
見返しに記してくれた

『冬眠のさなかに起きて
 ふたみこともらすがごとき
 篠原の良き』

雪の荒野を往く急行列車のなかで眺めていると、
ホワイト修正液で<眠>の字の一部を直している箇所が、
ノーベル文学者のドローイングに見えて嬉しかった。
まだしばらく格闘が続く折々に読むには
絶好の本が友である。

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2005-12-21-WED
KUMA
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